津から上野を経て奈良に通ずる伊賀街道は、古くから開け、阿波では平松宿がこれ沿いに発達した集落とのことです。
この平松宿も幾度の大火に遭い、現在では街道沿いに当時の区画の家並みと「屋号」が当時を忍ばせるのみです。
ここに、阿波地域の戦後の好景気を象徴する一軒の大きな建築物の旅館が有ります。行商人や阿波の「ペコ市」、山林売買業者で賑わい、当地域の75才以上の男性が、「天井がグルグル回った」と言うほど飲んだ【板屋旅館】です。この旅館の軒下に欅の一枚板高1.1m幅0.3m程度の看板が下がっていましたが廃業とともに家主が大切に保管していました。この旅館も空き家となり取り壊すことになったとき、平松区または阿波の歴史を物語るものとして公共団体が譲り受けようと申し入れましたが既に他人に渡った後で、関係者が落胆したものでした。今回、富永の上田 正さんが先日の芸術文化祭出展に合わせ、この看板を復刻し、先ほどセンターに展示すべく持参頂きました。
皆さん、看板の文字読めますか。
この平松宿も幾度の大火に遭い、現在では街道沿いに当時の区画の家並みと「屋号」が当時を忍ばせるのみです。
ここに、阿波地域の戦後の好景気を象徴する一軒の大きな建築物の旅館が有ります。行商人や阿波の「ペコ市」、山林売買業者で賑わい、当地域の75才以上の男性が、「天井がグルグル回った」と言うほど飲んだ【板屋旅館】です。この旅館の軒下に欅の一枚板高1.1m幅0.3m程度の看板が下がっていましたが廃業とともに家主が大切に保管していました。この旅館も空き家となり取り壊すことになったとき、平松区または阿波の歴史を物語るものとして公共団体が譲り受けようと申し入れましたが既に他人に渡った後で、関係者が落胆したものでした。今回、富永の上田 正さんが先日の芸術文化祭出展に合わせ、この看板を復刻し、先ほどセンターに展示すべく持参頂きました。
皆さん、看板の文字読めますか。