桜台マリモ、話は中盤以降にあります。
東京へ出て、初めて買ったレコードがERIC DOLPHYのAT THE FIVE SPOT 、Vol.1とVol.2。アナログは今はもう手元にありませんがCDは今も愛聴盤です。
ちなみに、高校時代の友人のお婆さんは、レコード盤のことを種板(たねいた)と言っていました。レコードが床に置いてあると、「〇〇や、タネイタこんなところさ置くな」というのだそうです。これより時代が下るとLPレコードは音盤と呼ばれていました。年配の学校の先生は時々そう言っていました。海外ではLPとは呼ばず、カタログ上ではvinyl (バイナル)=ビニール盤と表記されています。カタログで購入する時はvinyl と書いてあったらLPレコードですのでご注意を。
で話はちょっと飛びますが、その友人、ある日、お婆ちゃんがカレーを作ってくれたのだそうですが、食べて思わず、「不味くて食わんねー」 するとお婆ちゃん前掛け(ここはエプロンではなく前掛けでしょう。)を顔に当てて覆い、しくしくと泣き始めたのだそうです。いった本人も反省していましたけど、お婆ちゃん。かわいそう。
話脱線ついでにもう一丁。その友人、同じ高校を受験したのですが、試験が終わっての帰り道、みんなでの帰り道、試験問題に「雪について述べよ」とかなんとかあったのですが、彼曰く、「俺は、自分の両親を奪った雪が憎い、将来この雪を人の役に立てるようにしたい。」と書いたとか。周囲の皆が目を丸くして「お前の両親、いつ死んだ?先週会ったぞ。」……おあとがよろしいようで。
※その友人、しばらくの間、日吉に住んでいて、ある日、「お前の好きなジャズ喫茶みつけたぞ」と葉書が来ました。かつてはみんなハガキでやり取りしていたのですね、マメに。
閑話休題
そのERIC DOLPHYのAT THE FIVE SPOT、購入したのは江古田の線路そば、武蔵堂だったかムサシレコードだったか。当時、今廃園になると話題の豊島園に住んでいたので西武線沿いにそのレコード店は見えるのです。そんなわけで、他へ住んでいればよほどのことがない限り訪問しないような場所にあったのが桜台マリモです。
いつ行っても余りお客さんのいない小さな店でした。ある時、マッチを所望したところ、画像のような普通の小さなマッチではなく、それこそ葉書に近い大きさの同じデザインだったような、マッチ箱をいただきました。しばらくの間マッチには困らなかったです。
もう一軒は、日暮里夕焼けだんだん坂 を降りたところにあるシャルマン。
写真の「谷中銀座」の看板の柱左の黒い建物だったでしょうか。当時は観光客もそれほどおらず、全くの下町商店街でした。小さいスーパーのような食料品店では、今でいうクレーマーオバサンのようなものが、「どうして納豆がないの!私が来るといつも納豆がない!!どうしてなのよ!!!どうなってるの、このお店は!!!!」と金切り声をあげていました。そんなところにあったジャズ喫茶です、おっと今もまだやっているようですが日中は開いていなかったです。記憶の中では階段降りて右側にあったような気がしたのですが、そしてうす暗く奥行きの細長い店だったような気がします。記憶というものはあまりあてにはなりませんが。
それともう一軒、記憶にあるのは京都の「しあんくれーる」。実際に行ったことはないのですが、京都の予備校へ行った友人からそこのマッチ箱ではなく、紙製の煙草ケースを送ってもらった事があります。しばらくの間使っていました。未使用で保管しておけばよかったなあ。
Champ Clair 明るい部屋、というよりも「思案に暮れる」というイメージでした。高野悦子の「二十歳の原点」に登場するジャズ喫茶です。「二十歳の原点」はあの頃、読んで涙を流しました。今では気恥ずかしくてもう一度読めるかどうか、でももう一度読んでみたい本ですね、こっそりと。
一度京都に旅行に行ったとき、名前は忘れましたがジャズ喫茶に寄りました。帰りにレジでお金を払ったところ、「おおきに」と言われ、ああ、京都にいるんだなあと思いました。
こんな話ばかり書いていたら某サイトからWEB上の記事を書いてみないかとお誘いがありました。でも、書いているのは半世紀近い前の昔話ばかリですからねえ。
次回はまた、鳥海山の話に戻りましょう。
ウチ(豊島園波のプール辺り)から一番近いジャズ喫茶だったので、よく行ってました。日芸近くのジャズインも。
レコード店、ムサシ...なんでしたっけね、ポップスのシングル盤をここでよく買ってました。ジャズのレコードは新宿のオムとかディスクロードなどの輸入盤店で。
とまあ、色々共通点があり、懐かしいなと思いまして。それだけなんですが...。☺