今日は天気がいいのでどこへも行かなかった。
ということで、以前 livedoorへ掲載していたのですが livedoorは使い心地がよくないので記事をこちらへ持ってきて少々手直しいたしました。お暇な方は眼を通してください。
学校は出たものの、担当教授に仕事を紹介してもらうなどと考えもつかず、東武東上線の沿線の四畳半で何とか生活していた頃。後から同級生からきいたところでは、彼は何で僕の所へ仕事を紹介してもらいに来ないんだろうと言っていたらしいです。
卵を1ケース買ってきて朝昼晩三食卵でしのいでいたのもその頃のこと。生卵、目玉焼き、卵焼き、思い出すだに気持ち悪いですねえ。ま、今でも卵は安いから食してはいますが。
何で探したかは忘れましたが、たぶんそのころ首都圏で得ていたアルバイトニュースかもしれないです。ようやく見つけた仕事は探偵社の編集業務。 このころ、パソコンは全く普及していません。
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その探偵社は東京の山手線の、とある駅前にありました。その名も日本秘密探偵社。なんとも名前だけは重量感にあふれています。なんといっても給料はその日払いというのは魅力でした。日銭が稼げるのだったら今でもありがたいです。 他にやりたい仕事があるわけでもなく、今もそれは変わりはないですが、とりあえず食うためにはそれしか思いつきませんでした。
採用されて職場に行ってみると、その探偵社には営業部と編集部と二つの部署がありました。 編集部というのは、何をするのかといえば、人事興信録という分厚い本(厚さ10センチもある)を出版しているのです。
同時に採用されたのは、いつもすっとぼけた表情でいる三平君、黒縁眼鏡の松浦君。休憩時間、二人ともいつも文庫本を読んでいました 。
三平君は昼休みになると欠けた前歯に煙草を咥えダシール・ハメット、レイモンド・チャンドラーといった本をよんでいて、まし松浦君は松本清張の昭和史発掘だとか大仏次郎の天皇の世紀を読んでいました。だから自分の読書は彼らの影響が大きいです。
編集部の社員は編集長沢田さん、いつも三つ揃いの白っぽいスーツを着て頭はもじゃもじゃの真ん中分け、いろいろと細かい事を世話してくれる米木おばさん。
このおばさんが社長の奥さんでした。社長は山形県の米沢の出身という事で東北訛りの標準語を話す人。 米木のおばさんは「うちの人は今でも犬のことをエヌっていうのよ。」なんて言っていました。
編集部のもう一人はサラッとした髪を真ん中から分け、いつもこめかみに十字マークを表して辛そうに目を絞っている青木さんという若い女性。彼女はいつも青臭い体臭がしていました。
仕事と言っても中身はよその大手探偵社で出版した人事興信録を原稿用紙に書き写すことと、それと写植された原稿を校正すること。 後年読んだ本によると、辞書というものは先に出版された辞書の中身を写して少々手を加えたものであるそうだからこの業界はそんなものなんでしょうね。
探偵社の業務が人事興信録、しかもよそで出版されたものを丸写しして作成することがメインだとは想像もしていませんでした。 後で調べたところこんな本でも国会図書館にあったのは驚きです。
編集の仕事は眠くなることこの上ありません。現に編集長の沢田さんはいつも鉛筆を持った手を宙に浮かせ毎日船を漕いでいました。時々頭がガクッと落ち、ふと我に返りあたりを見回しまた同じ姿勢で居眠りに帰るのでした。我々もそれを見届けた後、各自が仕事を続けるか或いは同様に船を漕ぎ始めるのが毎日のことでした。 三浦しおんの小説に辞書を編纂する話で《船を編む》ってありましたが、同じ編纂でもこちらは《船を漕ぐ》と名付けた方がよかったようです。
編集部と同じフロアの窓側は営業部のデスクが並び、いつもこちらからかける電話でにぎやかでした。 探偵社の営業なんて何するんだろうとみていたら、こりゃなんと、人事興信録を売るのが商売で、実際の信用調査、探偵業務なんてほとんど行っていないようす。
営業部長の電話は例えば、
「こちら日本秘密探偵社と申しますが、……実は折り入って御社の人事についてお話しが」と切り出す。電話を受けた方はたまったものじゃないです、ぎょっとして話に引っかかります。
アポさえとれば後は高額な興信録を買う羽目に。
中にはこういった手合いに慣れた人事担当者のいるところでは、「興信録のセールスでしょう、そんなもの要りません、なんの役に立つんですか。」
それに対する営業部長の応対、「いや、うちのは分厚いですから枕にはなりますよ。」
日当日払というのはその頃有難かったですね。翌日の必要経費を取り置き残りは月の必要経費に回せる。今も昔もサラリーというものは、多くが15日締めの25日支払いと働く側が支払う側へ45日貸す形になっています。
成績優秀な営業マンというのもいて、その人は信じられないほどの注文を取ってきます。また、たまには探偵の業務依頼も入ってくるのではありましたがたいていは浮気の調査。
ある自衛隊上がりの体格のいい新人さん、さっそくその業務を任されました。帰ってきて上司に報告、
「どうも尾行がばれたようです。」
そりゃそうでしょう、あんなでっかい体格して、真っ白なスーツ着て、それで尾行はないでしょう。
その当時はまだ国鉄、私鉄だったか。ストライキが予告されると我々アルバイトは原稿を家に持って帰って自宅業務をすることを許されたものでした。日当は正規の分が支払われます。
期限が来てアルバイトが終了するとき、社長がそばに来て一枚の白い紙を示し「チミ、これにならんか」
その紙には「社員」と書いてありました。
その場はお断りしましたが、ここのアルバイトは翌年も行きました。そこには前年のメンバーが同じく顔をそろえていました。
以下続く
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