鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

鳥海山蕨岡の旧道

2021年05月13日 | 鳥海山

 鳥海山蕨岡の旧道を歩いてみたいと思っているのですけれど、問題は

 今は歩く人も皆無に近い状態。かつては栄えた蕨岡道も今は廃道です。先日あった山岳ガイドのAさんは復元にも努めているそうです。ただし、国定公園なので一木一草も切ることはできません。ただし、それが道であるなら道を覆った草木は伐採できるのだそうです。

 そんな人も来ないところですから熊にとっては絶好の場所です。まれにソブ谷地、蓬莱山とこの道を歩いた人からは熊の気配、足跡の話は聞きます。春先、まだ雪のある時期ではたった今通ったと思われる足跡もよく見るそうです。人は気が付かないけれど熊はどこか近くでじっと見ているのでしょう。雪があるから冬眠中とは思わないでください。熊は冬眠といっても熟睡しているわけではないのですから。

 今までいろんな方に鳥海山での熊体験を聞きましたが実際に遭遇した人はごくわずかです。鳥海山に一千回以上登った方でも遭遇したことはないそうですから。中には格闘した人もいましたが。意外ですね。だもんだから皆さん何も考えないで山に入っていくんですね。一人で歩いていて藪のなかでガサッと音がすると心臓が口から飛び出しそうになります。一千回以上登った人が熊に出会わなかったからといってあなたが出会わないという保証はありません。近年目撃の話も増えてきています。十分に気を付けましょう。

 

 ところで鳥海山で出会う強烈な獣臭は熊だと思っていましたが熊はそれほど臭わないのだそうです。知りませんでした。臭いのはてっきり熊だと思っていました。熊が聞いたら失礼な!!と怒るかもしれません。

 動画サイトを運営しているマタギの方に訊いてみました。

 回答は意外、「クマには臭いないッスね(^^;)」というものでした。

 他の方からも熊はそれほど臭いしないということを伺いました。臭いがするのは山ではどうやらタヌキの類のようです。でも山で獣臭に出会うといい気持ちはしませんね。今まで山での熊の臭いについて書かれたものはなかったのでこれで一つ疑問が解決しました。

 とはいっても臭いがしないからといって熊と遭遇する危険が去ったわけではありません。古道探索は大勢でやらないとだめですね。歩けるうちにAさんにお願いして一緒に蕨岡旧道の復旧に少しでも協力したいと思います。

 おれの邪魔しないでおくれよ、といって熊は去っていきました。


山岳ガイドのAさんと鳥海山の話を三時間

2021年05月12日 | 鳥海山

 一度会って意見をききたいと連絡をいただいていた山岳ガイドのAさんと会って話をしてきました。話が弾み気が付けば夕方。それにしても今日は鳥海山がきれいでした。

 田植えも始まりです。

 

 話題はスノーモービル。

 北海道はかなり規制が厳しいです。東北は締め付けもそれほどでもないため全国から集まってきます。そして雪原の上に飛び出た樹木をバリバリと踏み砕きながら走行しています。砕かれた樹木は雪溶け後は高い場所となるため登山道からは被害を確認できません。

 運行会社は法律を守っているというでしょう。誰がそれを証明するのですか。彼らは法律を逆手にとって営業します。その業者でないにしても現に特別保護区域、すなわち乗り入れ禁止区域を多くのスノーモービルが走行しているのを目撃されています。標高の高いところでは事故の可能性も極大ですしもう少し低いところでは冬眠中の熊だって起きだして来て安眠妨害を訴えモビラーに襲い掛からないとも限りません。これも自己責任という名の無責任、責任転嫁に発展するのです。

 
 あの貴重な自然の中を爆音を鳴らして走るのは気持ちが悪い、という感覚を持つ人が少なからずいるということは法律がどうこう言う以前の話です。また何らかの悪影響があるだろうということは100%予測されることでもあります。
 人の犯罪であれば疑わしきは罰せずですけれど、この場合疑わしきは禁ずべきです。 後日野放しでこの自然に何か起こった場合は二度と取り返すことはできません。自然保護はフェイルセーフで行かなければならないのです。規制した結果何も起こらなかった、それでいいのです。笑い話になってもいい、それが自然を保護するということではないでしょうか。
 法律論でもない、自然保護とスノーモビラーとの対立、行政の板挟みという問題ではないのです。原理原則ではなく今起こっていること、起こりそうなことには対処しなければなりません。
 
 対策の案としては近日中に山岳ガイドの方から記事が出ると思いますのでそれまでお待ちください。

昭和の新宿 DUG

2021年05月11日 | Jazz

 出没!アド街ック「昭和の新宿」というタイトルでDUGが紹介されていました。

 1:09あたり創業当時のDIGとテロップにありますがあの店内はDUGのイメージですね。DIGは当時の二幸裏のビルの3階、その頃の紀伊國屋裏DUGは地下にありました。新宿へ寄るとそこにDUGはとうの昔になくなっているのに、わかっていてもつい紀伊國屋ビルの裏を出てDUGのあったところの前をってしまいます。まるでそこにDUGが復活していることを期待でもしているかのように。

 古い写真ですが紀伊國屋ビルのこの喫煙具専門店Kagayaの前を通り抜け紀伊國屋裏へ出ます。(写真手前方向に向かって歩きます。)

 出て右折、写真では左へ行くとすぐにDUGの看板がありました。DUGからさらに鍵型に曲がるそこはかのピット・イン。

 紀伊國屋裏のDUGは1967年1月末の開店で88年(昭和63年)7月にモアビル4階に移転しています。ちなみにDIGの閉店は1983年1月25日。このあたりのことは「新宿DIG DUG物語」に詳しく書いてあります。

 毎年二回は東京へ遊びに行っていたのにこの状況下ではそれもかないません。


Mさんとの鳥海山 Mさんに捧ぐ

2021年05月09日 | 鳥海山

 コロナの影響で今度は映画館まで無観客で上映、さすがにそれはありませんが、

 NOxさんは数年前大腸癌を患い大腸を取ったばかり。その後奥さんも癌が見つかり入院手術。そうこうしているうちに老いた母親が転倒して大怪我。その後施設へ入所。それが先日脳梗塞で亡くなったそうです。しかも新型コロナの影響で亡くなる直前まで面会もかなわず。

 奥さんが入院した時も市内の総合病院はコロナ患者の受け入れ施設となっていて家族でも病院内行けるのは待合室まで、病室に荷物を届けるのもできないし入院してしまえばもう面会はできないのだそうです。世の中こんな状況なのに、オリンピックは開催出来るだとか、オリンピック選手には優先してワクチン投与するなんてっ間違っていませんか。

 話は戻ります。そんなNOxさん、奥さんは抗癌剤で治療中でも元気に働いているのですが、昨日も仕事を終えてから病院に診察に行ったのだそうです。その病院からNOxさんに話があるので病院に来るように電話がありました。それが昨日までの話。

 病院の話は何だったのかというと、奥さんの余命宣告だったそうです。いつものように病院に診察を受けに行っただけのつもりだったのに。とても他人事には思えません。自分が余命宣告を受けたらそれなりの準備をしていけると思うのですが、家族となると。これだけは直面しないとわかりません。

 

 思えば周りの人も近年癌で亡くなっています。みんな六十代、ラーメン屋のSさんも、一緒に鳥海山へ登ったMさんも癌で亡くなりました。そのMさんと鳥海山へ登ったのは一度だけなのですが今でも忘れられません。

 当時はネガフィルムでしたので今となってはネガも変色、幸いプリントが残っていましたのでスキャン時に補正してなんとかみられるような画像にはなりました。今ならデジカメで手あたり次第撮影するのでしょうけれどその頃は24枚撮り、36枚撮り、現像・プリントも結構お金がかかるので一回の山行でフィルムはせいぜい二本、多くて三本が限度でした。

 明日鳥海山登ろか、雨降らなければ、と話しをした翌朝は雨。これじゃ今日はダメだな、二度寝しようとしていると窓の外でクラクションがブッブー。
 「おーい、雨上がった、行ごー」
 慌てて準備をしてMさんの運転するスバルの赤い四駆で一路湯ノ台を通り越し鳥海高原ラインへ。高原ラインなんて名前はまだなかったのではないでしょうか。その頃はまだ舗装もしていなく、四駆のスバルも腹をこする悪路でした。車道終点は今よりもずっと下。三曲がりほど下でしょうか。今も注意してみればその入り口も道もわかります。登山シーズンは終わっているので休日であるにもかかわらず車道終点には車もなし。記録を見ると1985年8月25日、山はすでに秋の気配で終日登山者に出会うことはありませんでした。
 荒木沢あらきそにも今のようなコンクリート架台の立派な橋はありません。滝の小屋までは今よりもずっと時間がかかりました。

 河原宿の流れにビールを冷やし、薊坂を駆け足で登り伏拝岳まで。

 千蛇谷からの道を登る人の姿も皆無です。

 外輪の尾根道も人の気配はありません。

 山のあちらこちらに祠はあります。

 遠く河原宿の小屋も見えます。

 8月にもかかわらず河原宿の小屋はすでに閉じていました。

 冷えたビールで乾杯した後小屋の前で記念撮影。

 名残惜しく今来し方を眺めます。仙ヶ洞もそろばん尾根も見えます。

 これは85年ですから建て直す前の滝の小屋です。このころ滝の小屋の前まで車道を延長しよう、障碍者、老人子供も滝の小屋まで行かせたいなどという自然を破壊しようとする動きがあったのです。さらには滝の小屋から河原宿までリフトを架けたいというとんでもない動きまでありました。その辺の経緯についてはこちらをご覧ください。鳥海山の自然を守るために多くの人が戦ってきたことがわかります。一件落着したかと思えば近年はスノーモービルという新たな自然破壊も起こっています。

 そのページにもありますし、他の鳥海山を愛する人も共通して声にするのは、

 山は本来静かな場所であり、自然の状態のままにしておいてこそ山としての価値がある。

 ということです。

 

 湯ノ台方面に向かうときは必ずMさんの家の前を通りますが何十年たった今でもMさんの家の前を通るたびにこの日のことが思い出されます。

 

 

 

 

 

 


Teruo Sakamoto Trio - My Favorite Things

2021年05月07日 | Jazz

 海を見ていたジョニーなんて気恥ずかしくなるようなタイトルですが中身は抜群。

 五木寛之の小説はずっと昔読んだきり、一冊読むのに一時間ととかからない小説家というイメージでそこからのタイトルとくれば先入観が邪魔して買ったはいいけれどほったらかしていたのですが改めて聴いてみると、これがいい。