さて私の処女作である自主制作映画「〜ゲリラアクションロマンス〜のぼると食べ子」の話に戻ります。
時は1992年11月5日木曜日のお昼過ぎ…
と逐次、その時の状況をお話ししようと思いましたが、何かわざとらしい感があるので結末を先に述べます。
学校の権威に反発するつもりで上映した権威のある授業「芸術学」ですが、逆に受け入れられる事となります。
上映後はまず、N先生は大絶賛。それに呼応するかの様に生徒達も感激します。
何より当時の学校の生徒達は自分たちは特別な(特殊?)学校に入学したという風潮がありました。
その学校の生徒の作品があのN先生に受け入れられたのです。
生徒達にも励みになったのでしょう。
何より一番励みになったのは私です。
20すぎそこそこの若造が権威のある先生にみんなの前でほめちぎられるともう有頂天の何者でもありません。
特に先生は反復横飛びマンの信号を端から端へ動く構図と3本のポールをのぼると月が現るシーンを褒めていらしてました。
月が現れるシーンは私が偶然撮ったものですが、反復横飛びマンのシーンはU氏の指示によって撮ったもの。
今、言える事ですが、当時のお手柄が私になっていたのでU氏はとても不服だったのでしょう。
そんな状況で文学科の「芸術学」の授業は終了しました。(ちなみに私は文学科でした)
するとN先生はその後の授業、美術科の「芸術学」でも上映してくれないか?逆にお願いされます。
無事、美術科での上映も終了します。同じ様に好反応。
のちに「芸術学」では、「〜ゲリラアクションロマンス〜のぼると食べ子」の批評が単位をもらう課題となります。
さて、その集まった気になる批評とは?
つづく
エンディング映像のワンカット。右の偉い方は誰でしょう?気になります。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます