「国際社会と日本~21世紀の日本を考える~」
講師:渡部 昇一先生
2011年5月20日
木更津市民化会館
主催:木更津法人会
今の日本というのは敗戦から始まっています。
新憲法という嘘の上に成り立っているのです。
この憲法は米軍の占領を前提として作られました。
日本を農業と軽工業だけにしようとしたものです。
ドイツのマーシャルプランも同じです
(記者注:第二次世界大戦で被災した欧州諸国のためにアメリカが推進し、大成功した欧州復興計画。計画を立てたマーシャルはノーベル平和賞を受賞した。外交史的見地からは、反共政策との見方が強い)。
腑抜けにしたかったのです。
その為には歴史を奪わなければなりませんでした。
一週間ほどで作った占領基本法が憲法になりました。
終戦を迎え、私が中学に入った時、技術大尉として飛行機のプロペラを開発していた東北大学の先生が教師でした。
その先生は私たちにこう言いました。
「お前たちは可哀想だ。
これからは日本の科学はどんどん衰退していくだろう。
物理学の最高峰は核物理学、最先端は飛行機だ。しかし、どちらも禁止されている。
日本はこれからは自転車くらいしか作れない。理系に進んでも良いことはない。」
現にサイクロトロンは東京湾に沈められていました 。
(記者注:サイクロトロンとは電気を帯びた超極微小粒子を光速に近い速度まで上げる装置で、核物理学の研究に使用される)。
私はそれで文系に、やがて英文科に進んだのです。
私が大学二年生の時に朝鮮戦争が始まりました。
マッカーサーはこの時、東京裁判の弁護側の言い分が初めて理解できました。
なぜなら朝鮮戦争が始まった頃、ソ連、満州、中国は全て共産圏になっていたからです。
日本のやったことは侵略ではなく、共産圏の勢力を抑えるための行動であったのです。
このマッカーサーの実体験からアメリカの態度がガラッと変わり、後に日本は独立へと進むことができたのです。
マッカーサーは東京裁 判では連合国から全てを任されていました。
東京裁判は裁判と名がつくものの、国際法とは一切関係がありません。
東京裁判が国際法にのっとっているという国際法学者は一人もいません。
日本が悪い国だと決めつけたのは、マッカーサーが推進した東京裁判しかありません。
朝鮮戦争では、米軍が 形勢不利になってきたので、マッカーサーは原爆を落とそうと考えました。
しかし、時の大統領トルーマンはそれを許さず、マッカーサーを司令から解任しました。
解任されたマッカーサーはアメリカ本国に戻り、上院で証言しました。
ここでアメリカの上院について説明しておきますと、アメリカというのは非常に各州の独立心が強い。
下院は人口の増減で定数が変わったりしますが、上院は各州から出る議員は二人と決まっています。
各州の利益の代弁者というよりもアメリカ全体を考える。
それはつまり軍事・外交のことであり、上院議員は外交官のような立場です。
マッカーサーが上院で こう証言した内容はこうです。
「したがって、彼らが戦争を始めた目的は、主として安全保障上の必要に迫られてのことだったのです」。
英語の原文は、
「Their purpose, therefore, in going towar was largely dictated by security.」
です。
これはNew York Timesにも全文が掲載されました。
しかし、今現在まで、日本のテレビ、新聞で報道されたことはありません。
私は10年くらい前からこのことについて発言していますが、
マスメ ディアは一切報道しません。本当に酷いことです。
これを報道してしまうと、戦後に出世した人が全てパーになってしまうのです。
戦後、公職追放令が布かれました。
教育界で言えば校長クラス以上の人が戦争協力者として重要なポストから追放されてしまったのです。
例えば日本銀行でも上の方の人が全て居なくなりました。
産業界でも同様のことが行われましたが、あるいは若返りの効果もあったかもしれませんが、深刻だったのは
言論界、教育界です。偉い人が居なくなってポストが空になったのです。
戦前は帝国大学は天皇陛下の作られた大学という認識であったので、左翼思想家はいられませんでした。
しかし私立大学はその限りでは無く、左翼思想家は私立大学に巣くっていたのです。
この人たちが帝国大学の空いたポストに入って行きました。
例えば矢内原忠雄なども東大に入りました。
キリスト教者としては立派かもしれませんが、マルキストであったのです。
京大の法学部に復帰した滝川幸辰(ゆきとき)もそうです。
彼の刑法は無政府主義の刑法です。
犯罪者は良いが取り締まる方が悪いという法です。
こういう人が京大の総長まで登りつめました。
講師:渡部 昇一先生
2011年5月20日
木更津市民化会館
主催:木更津法人会
今の日本というのは敗戦から始まっています。
新憲法という嘘の上に成り立っているのです。
この憲法は米軍の占領を前提として作られました。
日本を農業と軽工業だけにしようとしたものです。
ドイツのマーシャルプランも同じです
(記者注:第二次世界大戦で被災した欧州諸国のためにアメリカが推進し、大成功した欧州復興計画。計画を立てたマーシャルはノーベル平和賞を受賞した。外交史的見地からは、反共政策との見方が強い)。
腑抜けにしたかったのです。
その為には歴史を奪わなければなりませんでした。
一週間ほどで作った占領基本法が憲法になりました。
終戦を迎え、私が中学に入った時、技術大尉として飛行機のプロペラを開発していた東北大学の先生が教師でした。
その先生は私たちにこう言いました。
「お前たちは可哀想だ。
これからは日本の科学はどんどん衰退していくだろう。
物理学の最高峰は核物理学、最先端は飛行機だ。しかし、どちらも禁止されている。
日本はこれからは自転車くらいしか作れない。理系に進んでも良いことはない。」
現にサイクロトロンは東京湾に沈められていました 。
(記者注:サイクロトロンとは電気を帯びた超極微小粒子を光速に近い速度まで上げる装置で、核物理学の研究に使用される)。
私はそれで文系に、やがて英文科に進んだのです。
私が大学二年生の時に朝鮮戦争が始まりました。
マッカーサーはこの時、東京裁判の弁護側の言い分が初めて理解できました。
なぜなら朝鮮戦争が始まった頃、ソ連、満州、中国は全て共産圏になっていたからです。
日本のやったことは侵略ではなく、共産圏の勢力を抑えるための行動であったのです。
このマッカーサーの実体験からアメリカの態度がガラッと変わり、後に日本は独立へと進むことができたのです。
マッカーサーは東京裁 判では連合国から全てを任されていました。
東京裁判は裁判と名がつくものの、国際法とは一切関係がありません。
東京裁判が国際法にのっとっているという国際法学者は一人もいません。
日本が悪い国だと決めつけたのは、マッカーサーが推進した東京裁判しかありません。
朝鮮戦争では、米軍が 形勢不利になってきたので、マッカーサーは原爆を落とそうと考えました。
しかし、時の大統領トルーマンはそれを許さず、マッカーサーを司令から解任しました。
解任されたマッカーサーはアメリカ本国に戻り、上院で証言しました。
ここでアメリカの上院について説明しておきますと、アメリカというのは非常に各州の独立心が強い。
下院は人口の増減で定数が変わったりしますが、上院は各州から出る議員は二人と決まっています。
各州の利益の代弁者というよりもアメリカ全体を考える。
それはつまり軍事・外交のことであり、上院議員は外交官のような立場です。
マッカーサーが上院で こう証言した内容はこうです。
「したがって、彼らが戦争を始めた目的は、主として安全保障上の必要に迫られてのことだったのです」。
英語の原文は、
「Their purpose, therefore, in going towar was largely dictated by security.」
です。
これはNew York Timesにも全文が掲載されました。
しかし、今現在まで、日本のテレビ、新聞で報道されたことはありません。
私は10年くらい前からこのことについて発言していますが、
マスメ ディアは一切報道しません。本当に酷いことです。
これを報道してしまうと、戦後に出世した人が全てパーになってしまうのです。
戦後、公職追放令が布かれました。
教育界で言えば校長クラス以上の人が戦争協力者として重要なポストから追放されてしまったのです。
例えば日本銀行でも上の方の人が全て居なくなりました。
産業界でも同様のことが行われましたが、あるいは若返りの効果もあったかもしれませんが、深刻だったのは
言論界、教育界です。偉い人が居なくなってポストが空になったのです。
戦前は帝国大学は天皇陛下の作られた大学という認識であったので、左翼思想家はいられませんでした。
しかし私立大学はその限りでは無く、左翼思想家は私立大学に巣くっていたのです。
この人たちが帝国大学の空いたポストに入って行きました。
例えば矢内原忠雄なども東大に入りました。
キリスト教者としては立派かもしれませんが、マルキストであったのです。
京大の法学部に復帰した滝川幸辰(ゆきとき)もそうです。
彼の刑法は無政府主義の刑法です。
犯罪者は良いが取り締まる方が悪いという法です。
こういう人が京大の総長まで登りつめました。