あずまクラブ(越前の守)です。正しい心の探究をします。

”人間は夢とロマンを持つから動物とは決定的に違う”から始めます。正しい心の探究です。

話題のメガソーラー、その実力は?

2011-09-01 00:33:50 | 日記
うららかなブログより 転載です。

福井県は、高速増殖炉もんじゅを含め14基の原発が立地する日本一の原発集中立地県です。
そこで「立地県から改めて原発の必要性を考える」と題し、
福井県本部幹事長の北野光夫(きたの・みつお)氏より3回に分けてご報告いたします。
第1回の本日は「話題のメガソーラー、その実力は?」をお届け致します。
北野光夫氏は福井県越前市(旧武生市)で生まれ育ち、代議士秘書を経て1998年武生市議に初当選。
市議当選3回。
その間、建設委員長、産業経済委員長、決算特別委員長等を歴任。
2008年越前市議会副議長、2009年越前市国際交流協会副会長、日本会議福井運営委員長に就任。
誠実かつ正義感溢れる精悍な人柄と、誰からも慕われるソフトな人柄で、地域の方々から熱いご支援を賜っております。

【北野光夫氏寄稿】
先日、川崎市浮島のメガソーラー発電所が大々的に報じられました。
この発電所は太陽光発電としては、国内最大規模とのことです。
出力7000kWと誇らしげに伝えられており、キャスターも「すごい」を連発していました。
確かに、11haという広大な土地に並べられた38,000枚のソーラーパネルは、見た目には壮観で「すごい」のかもしれません。
しかし、この出力7000kWというのは、どのくらい「すごい」のでしょうか?
ニュースでは原発との比較はされていませんでしたので、ここで比較してみます。
原発は、高経年化が心配される初期のものでも40万kW前後、全国の主流のものなら100万kW前後です。
ですから、このメガソーラー発電所は40年近く前に作られた古い原発と比べても1/50程度、
最大出力を誇る柏崎刈羽原発6、7号機(135.6万kW)と比較すれば1/200ほどの出力にすぎません。
ですから、図体は確かに大きいかもしれませんが、大騒ぎするほど「すごく」はないのです。
しかも、この数字は瞬間的な最大出力です。
天候によってはこの出力を保つことはできませんし、もちろん夜は発電できません。
稼働率で言えば、原発は定常的に24時間発電が可能で、80%近い稼働率であるのに対し、
太陽光発電の平均稼働率は12%程度と言われています。
ですから、実際の発電量で比較すれば、この差は更に何倍にもなります。
結局、実力的には、現時点では原子力発電とは比較の対象にもならないレベルだということです。
このキャスターに代わって正確にお伝えすれば、
「この壮観な11haのメガソーラーを200カ所に設置し、1年間毎日、全設置個所で晴れの日が続いて、
調子が良ければ、原発0.5基分くらいの電力は供給できるかもしれません。すごいですね。」
ということになります。
電気事業連合会によれば、メガソーラー発電計画で、
2020年度までに全国30地点で(電力10社合計)14万kWを発電するとしています。
原発一基分相当(100万kW)と比較しても発電量の差は大きな隔たりがあります。
エネルギー安全保障を考えれば、いろいろな発電方法を開発することは必要です。
しかし、現時点では原子力発電に代替できるものとは言えません。
北野 光夫
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大川隆法総裁 御法話「善悪を知る心」幸福の科学学園生に向けて

2011-09-01 00:29:20 | 日記
大宇宙未来より 転載です。

2011年7月20日(水)幸福の科学学園終業式の大川隆法総裁先生御法話です。
幸福の科学学園生が善悪を峻別する上での黄金律を知り、世界のリーダーとなるために習得すべきことをお説きくださいました。
勉強ができるかどうかと、善悪が分かるかどうかというのは、必ずしも一致しない。
ある進学校では、雨が降ると傘が(盗まれて)すぐなくなると言う。
道徳的な教育は、進学校ではなされていない。宗教的なバックボーンが学校にあるかないかは大きなところで、後々の人生に影響を与える。
幸福の科学学園は、一つの生き物として、毎年毎年脱皮しながら、進化してきている。一年少しの期間しか経っていないが、実績は相当なもの。栃木県では有名になってきており、他の所にも波及しつつある。幸福の科学学園中・高と、大学を含め、日本の真の教育改革をやろうと考えている。教育改革をやるのに、抽象的な考え方だけを出しても、「現実は難しい」という言い訳が必ず返ってくる。実際に学校をつくってやってみて、これからの日本の教育改革のモデルになるかどうかが目標で、今やっている。
関西校を創るにあたっても、那須校の評判が一つの参考になっている。大学が開校する予定の千葉の長生村の有力者たちも視察に来て、生徒の礼儀正しくきっちりと話ができる態度に感動されていた。
普段の生活の一つ一つが人間としての実力であり信用になる。
学校や予備校の成績は、中にいる人には意味があるが、実社会に出れば意味はない。
その人から出ている全人格的な人柄が大きな仕事をする。
特に、躾(しつけ)は、幸福の科学学園ではしっかりなされてきている。
生徒たちは、礼儀正しく、挨拶をしてにこやかにしながら、絶妙な距離の取り方をしている。よそから来た人にははっきり分かる。
信用というのがどれほど大事かを知っていただきたい。親元を離れて生活していることだけでも相当な信用です。全寮制で、他の生徒や寮の職員、先生方の目もある中で生活しているという、全人格教育が行われている。
ある人は、「企業の二代目、三代目等を養成するのに、預けたい学校が今はないと言われるが、唯一あるとすれば、宗教家が運営し、あるいは教えている、全寮制の学校に入れるのが一番である」と書いていた。
それはなぜかというと、精神的なバックボーン、高貴なる精神が植えつけられることが一つ。また、忍耐する心や精進の心、同級生と共にどうやって生活していくか上下関係をどのようにしながら生活と勉強を両立させていくか、こういう人間関係を全寮制では学ぶことができる。
寮生活の中で、知らず知らずの間に、人間関係の調整の仕方や乗り切り方、困難な事態があった時の問題解決、自分たちの力でものを創っていくことの大切さなどを学んでいる。この力は、後になるほど、だんだん効いてくる。
幸福の科学学園は、学業の面、部活の面でも、快進撃している。思想や信条のレベルは関係なく、この世的に見ても頑張っていて、きちんと認められている。
部活のほうで頑張ったことは自信になり、将来の資産になる。また、大会で幸福の科学学園の名前が目につくようになったら、教団の伝道の一翼を担っていることにもなる。学校を持っているということは、宗教にとっても信用の元になる。
宗教法人そのものが聖域だが、学校法人も聖域なので、この二つの聖域を持っていて、社会的に信用がついて来るということは大事である。
人間としての信用をつくるのに、いちばん大事なスタート点は、善悪を知る心を養えているかということである。

善悪を見極めるのは難しい。例えば、宗教的、神学的な問題としては、どちらが善でどちらが悪か、どちらが神様の側でどちらが悪魔の側かはある程度判定がつく。しかし、例えば寮生活やクラスの中で起きることなど、この世の生活の中でぶつかる問題での善悪は、全部規則があるわけではないので難しい。そういうぶつかり合いの中で、何が善であるかを考え抜き、解決していく力をつけるのは、人間としての力量がつく。そうした判断力、決断力をつけると、おのずから指導者への道が拓けてくる。

経営者でも政治家でも、社会に出てリーダーになっていく場合は、最後は判断するカが大事である。物事の判断に迷う時は、どちらにも言い分があるが最終的に自分の会社が生き残る、あるいは、国のためになるためにはどうしたらよいかという決断を下さなければいけない。
賛成も反対も両方出るのを承知の上で、考えに考えて、「正しい結論はこれだ」という決断を下し、実行してみせる。これがリーダーとしての醍醐味である。

受験勉強はその基礎力をつけるレベルで英語でも数学でもいろんな問題は出るだろうが、それは、社会に出て、いろんな仕事に応用が利いていくような能力である。例えば、文系・理系を分ける場合、数学や理科ができるから自分は理系だとか、数学ができないから文系だとか、高校では単純に考えることが多いが、そんなに甘いものではない。

日本のナンバーワン校で理科系で優秀な人でも、メーカーに入ると、技術部長ぐらいまでしかいけないことがある。しかし、本当に大きな会社の経営者になっている人は、技術系出身の人がわりに多い。本当は理数系ができると思って理系に進んだが、実際は文系的な素養を持っていて、文系でも通用するような人が一割ぐらいいる。メーカーに就職しても、社長まで上がっていくタイプはそういう人である。
文科系のほうは、数学や理科ができなくて劣等感に悩んでいる人はいると思うが、文科系の中には、幅広い教養を身につけて、総合的な判断ができるような能力が身について来ることがある。

読書も力の一つで、大学を卒業してからも本を読み続けるようなタイプは、実社会に出てから力が出てくる。目標を与えられたもの以外のところを勉強していく人たちが、社会に出てから伸びる。自分の苦手なところや、得意領域の周辺のところを開拓していく能力を持っている人は、将来的に可能性は高い。また、英語については、学園も力を入れているので、実績も相当出ている。英検が受からなくて苦しんでいる方もいるかもしれないが、実績そのものを見れば、全国的に見ても相当なレベルまで行っている。

大学生や東大の卒業生でも英検二級を受けて落ちる人は多い。企業に入って英語をよく使う職場でも半分ぐらいは落ちる。英語を使わない職場ならもっと落ちるので、実際にそんな簡単に受かるものではない。幸福の科学学園では中学や高校で、ボンボン受からせているので素晴らしいと思うが、きっと将来、大きな力になる。
今、日本の国際競争力が落ちているが、これを回復し、また世界のリーダーに返り咲くためには、どうしても英語力を伸ばさなければ駄目で、日本の英語力は、中国や韓国に大きく差をつけられ、他のアジア諸国に比べても落ちている。世界の十四、五億人は英語を使って勉強や仕事をしている。英語ができるかどうかは、国際人になるための重要なキー(鍵)になる。

語学に天才は要らない。中学生や高校生の語学の天才は、実社会で毎日英語で仕事をしている人たちには絶対に敵わない。それぐらい知識・経験の厚みが違う。天才かそうでないかの差は、努力や経験の量の差にしか過ぎない。今追いつかなかったら、時間をかけてやるしかないのだと思えばよい。
部活をやり過ぎたために成績が下がっている人は、少し後れても、いずれ挽回するチャンスはある。その力、根性、努力は、実社会に出たら、よきリーダーになるための力になり、仕事の体力にもなる。

学園は今、あらゆる面において、よい方向に進んでいると信じている。学園規則や寮規則等で細かいこともいろいろ指導されて大変かとは思うが、今、日本ではそんなことができる学校はない。宗教の学校だから全部できるかと言ったら、そんなことはない。厳しく指導するのは、そんなに楽なことではない。先生方や寮の職員は嫌な仕事をしているが、それは卒業した後、人間としての品性になって現れてくる。
どうか、善悪ということの区別をつける練習をしてほしい。

一言で、善悪をどうやって分けたらよいか。世界的な大きな宗教には、必ずゴールデン・ルールがある。ゴールデン・ルールとは、要するに、「自分が人にしてほしくないことは、人に対してはするな」、「自分が人にしてほしいことを人に対してしなさい」ということである。
善悪の判断が分からなかったら、自分が他の人にやろうとしていることを、自分が他の人からされて、嬉しいか嬉しくないか、してほしいか、してほしくないかを考えればいいのです。

自分がいじめられたくない人は人をいじめないことが黄金律である。
盗られたら嫌な人は盗ってはいけないし、殴られたくない人は殴ってはいけない。
善悪を判断する基準はいろいろあって難しいが、大きく一つだけ言うとすれば、
ゴールデン・ルールである。これを基準にして物事を判断すれば、細かい規則が
なくても、判断はできるはず。「自分がこれをやられたらどう思うかな」ということだけを考えて判断していけば、大きな間違いはなく、善悪というものを知ることができるようになる。そういうことを教えることができるのも、宗教を基礎とした学校の強みである。
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日本政治の迷走

2011-09-01 00:26:27 | 日記
草莽崛起より 転載です。

テレビを見ていると嫌になりますね。野田首相と輿石幹事長の「どじょう会話」とか、派閥など党内事情の話、新閣僚の予想などばかりです。
 外交・防衛の話はまったく出ません。本当に不思議な国ですね。明らかにマスコミは意図的にそうした国家の基本問題には触れないようにしているのだと思います。
触れれば、過去2年間の失策・迷走を語らねばなりません。
 また、政治献金の闇、派閥抗争のこと、露骨な政権たらい回し、ばらまきと財政赤字、エネルギー問題、経済活性化なども全く取り上げられません。本当に異常・異様ですね。
 これで、週末にも実施される世論調査では新政権や民主党への支持率は回復するのでしょうか。マスコミはそれを狙っているのでしょうが・・・。
こんなことを繰り返しながら民主党は4年間政権を握り、日本は凋落していくのでしょうか?取り返しがつかないと思います。
中国は、「後5年、いや10年間続けてくれ」。そうなれば、確実に日本を属国にできる、と考えているはずです。(尾形)

「外交にノーサイドはあり得ない」
 民主代表選の後、新代表に選ばれた野田氏は「党内の争いはノーサイドにしよう」と語りました。同氏はまた「私は民主党が大好きだ」と言いました。佐瀬昌盛先生が言われます。「尋ねたい。その大好きな民主とって、どういう政党なの?」と。つまり、民主党には肝心要の党綱領さえ持てない政党ではないか、というわけです。
さて、今日の産経紙掲載の湯浅博記者による人気コラム記事です。以下の通りです。

・野田新首相の外交
 第95代総理大臣になる野田佳彦氏は、国どころか党をまとめるのに必死で、外交は二の次になりかねない。だが、四海ぐるりを囲む力任せの国々を見よ。規範意識の薄い中国、ロシア、北朝鮮とも、軍事力の牙を隠すこともない。
外交は共通利害で一時的に妥協することはあっても、ノーサイドはあり得ない。近隣国の政治混乱は、自国の利益を分捕る千載一遇のチャンスだからだ。中国の漁業監視船2隻が、日本の混乱を尻目に尖閣諸島近くの領海を侵犯し、反応を探ったのもそうだ。

 中国は過去に何度も、「尖閣は日本の領土」と認めていた国だ。それが近頃の中国外交白書ときたら、尖閣諸島は「争いのない主権を有している」などぬけぬけと言う。変節に何の恥じらいもなく、日本領海を侵犯した船舶に抗議しても、「中国固有の領土だ」のウソを繰り返す。

・中国外交の豹変
 毛沢東は1964年、時の社会党委員長、佐々木更三に「ソ連は千島を日本に返還すべし」と語った事実がある。毛はソ連帝国主義を痛烈に批判し、「千島列島はソ連の拡張主義の表れ」と攻撃した。ところが,先のメドベージェフ大統領が訪中した際に、現政権は「核心的利益の相互尊重」という怪しげな用語を持ち出してロシアの北方領土に対する主張を支持した。「建国の父」のご宣託といえども、政権の都合でいかようにも変えていく。なぜなら現政権は、毛沢東が当時最大の敵であるソ連を叩くために便宜上、日本の肩を持ったことを知っているからだ。

 そのソ連は中立条約を破って日本を攻撃し、約60万人をシベリアで強制労働させた。
野田新首相が党所属の国会議員に「ノーサイドにしましょう」というのは勝手だが、国際社会で「みんなと仲良く」は幼児に等しく、国家意識の欠如と受け取られる。

・野卑な北朝鮮外交と中国
 北朝鮮は逆に、対決によって譲歩を引き出す野卑な外交を得意とする。70年代に米中が国交正常化し、90年代にはソ連が崩壊した。パトロンを失った北は、通常兵力で米韓に後れを取り、経済力で韓国に離された。その劣勢を補うべく核兵器の獲得に走る。だから、「仲良くしよう」との空疎な言葉より、カネとモノの実を寄こせと核をちらつかせてきた。
しかし、北といえどもドル箱のミサイル輸出が不調になれば、口に入れるものが不如意になる。すると、金正日総書記はこれまでの中国一辺倒を改め、ロシア訪問の奇策に出た。
将軍様が8月下旬にロシアで企業誘致を持ちかけるや、ロシア接近を嫌う中国が、帰途に寄った大慶市で接待攻勢に乗り出した。

・野田新首相は日米同盟を重視せよ
 野田新首相の前に中国、ロシア、北朝鮮が何かと譲歩を迫ってくるだろう。彼らの背後には、核やミサイルの威嚇が伴う。これに対抗できるのは日米同盟しかない。
前任者たちは、自力で跳ね返す能力も意思もないのに米国を軽んじた。沖縄の米軍普天間基地飛行場の移設は鳩山政権の失策が響いて動かない。尖閣諸島や北方四島の守りも、菅政権は放置したままだ。野田新首相が早急に立て直す外交案件は明らかである。
以上
平成23年8月31日

昨日の産経紙・「正論」田久保忠衛先生からです。曰く、「イスラエルの首相を見よ!

 世界第一級の政治家として、私はイスラエルのネタニヤフ首相を挙げたい。パレスチナ和平交渉の相談でワシントンを訪れた首相は5月24日に上下両院合同委員会で演説した。
 50分足らずのスピーチで総立ちの拍手が29回も起きた。
 あなた方(米国)はイスラエルの建国に手を貸す必要はない。我々はすでに建国した。
 民主主義を輸出する必要はない。われわれはすでにそれを持っている。米軍を派遣する必要はない。われわれは自分で守っている。米国は極めて寛容にも、われわれが自衛する手段を提供してくれている。イスラエルの安全への不動の支援に感謝する。経済が難しい時期にあるのは承知している。支援に深いお礼を言う。

この演説を聞けば、米議員は感動で唸るだろう。
民主党政権が過去2年、永田町で繰り広げた狂乱は、日本はいかなる国際環境に置かれ、
どう生きていかなければならないかの思考が停止していることを物語る。自国を防衛する
「国軍」を持っていない日本にとり同盟関係の象徴である沖縄海兵隊の普天間飛行場に関
する日米合意を、鳩山元首相はいとも簡単に足蹴にしてしまった。外交史上稀にみる誤り
を犯した鳩山氏などが主要な役割を演じた後継者選びとは,一体なんだったのか。
また、国運を担うことになる候補者に外交・防衛に関する見解を質そうとしない日本のジャーナリズムにも、相当問題がある。
平成23年8月31日
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