堕ちた天使 さんより転載です。
<<【日本よ】石原慎太郎 尖閣について、さまざま>>
私は来る十一日に国会に参考人として呼ばれることになった。知事になって過去に一度、首都移転という馬鹿げた国家プロジェクトを潰すために出かけたが、 その甲斐あってか、当時の野党に委員長席を一つかまえてあたえるためともいわれていた委員会も消滅した。今回の招聘(しょうへい)もまた私から眺めれば遅きに失したものでしかないが、しかし私の他にどのような参考人を呼んで何を質(ただ)すのか今さらながら興味がないでもない。
是非とも あの、海上保安庁の巡視船に無謀な衝突を試みてきたシナの特殊船の船長を逮捕の後政府に無断で即座に釈放したとされている那覇地検の検事や、日本人有志の 努力で、過労で死者まで出して出来上がった灯台を「時期尚早」と称し、定期的に発光する建物が海図に記載されずにいる事での周辺を航行する船舶の人命の危 険も無視し、長い間認可せず海図に正式に載せさせなかった外務省の責任者も併せて喚問したらいい。
私は一昨年自民党の谷垣禎一総裁に超党派で尖閣諸島に議員を派遣し調査に乗り出したらどうかと建言し、谷垣氏は委員会に諮り理事会で承認されたのに、その 後一向に動きがないのに業を煮やして質したら、なんと国政調査権を持つ国会議員の尖閣視察の動きを封じるために政府は彼等を島に運ぶための保安庁の船の使用を禁じたそうな。これは一体誰の差し金だったのか、国民の一人として是非知りたいものだ。
シナは今年の春、日本の尖閣の実効支配を打ち破るためにさらに果敢な行動に出ると声明し、そのために必要な船舶等の機材も整えるといいはなった。日本の尖 閣の実効支配という表現も許せぬ話で、実効支配云々(うんぬん)の以前にあれらの島はもともと日本のれっきとした領土でありかつては人も住んでいた。そうした歴史的事実も認めずに「実効支配を打破」するとは、他人の家に本格的に強盗に入るぞという宣言で、それを聞いて緊張しない国民がいる訳はない。それに備えて戸締まりをしようというのが当然のことだろう。
一部のメディアは、筋が違う、東京がするべきことではない、都民の税金はあくまで都のためだけに使えと非難しているが、日本人である都民は誰も決して、自らの国家の主権が侵され民族の個性が剥奪されるのを望みはしまい。
国が何もしないからこそ、東京都が代わってでもあの島を公的に所有しようという試みに予想を超える多くの国民が呼応し、国民運動として諸島の購買を推進しようという正式のキャンペーンの以前にすでに膨大な献金が集まっているという事実に感激している。
東日本の大災害の折に見られたボランティアたちの献身と、今回の無名の方々からの望外な献金を見て改めて民族としての国家への熱い思いを感じさせられた。
添えられた手紙の中には、「我が家は貧しいが、家族三人して一人一万円を工面して送ります」といったものや、「自分の家は田舎で、都が指定している献金先のみずほ銀行がないのでバスに三十分乗って銀行のある町まで出向いて献金したが、不便な田舎に住む者たちのために是非、田舎にもあるゆうちょ銀行も指定して欲しい」とまであった。
それとは別にあるメディアの経済関係の幹部から奇妙な噂を伝えられた。最近、経済団体の幹部たちの間の密(ひそ)かな会話に、「我が社としては出来ないが、自分個人として密かに献金をした」そうな。それが嘘か本当か献金者の名前を調べればすぐにも分かる話で、そんな噂がことさら、一種の免罪符としてばら まかれているなら笑止な話だ。企業としては何に気兼ねしての話か。
尖閣諸島に関する歴代政府の驚くほどの無為無策は結局相手を増長させ、際限のない覇権主義をそそのかすものでしかなかった。私たちは今改めて、民族の個性、伝統を破壊され失わさせられた内モンゴルやチベット、ウイグルの悲劇を思いなおしてみるべきだろう。
そうした中央の政治の無為無策さは結局、敗戦の後一方的に押しつけられた占領遂行のための統治法としての「憲法」のかもしだしたトラウマで、「平和への熱 願」という支配者が押しつけ与えた新規な理念が、平和の毒として政治そのものを支配しきった結果に他なるまい。ガンジーが唱えた無抵抗主義がインドに何をしかもたらさなかったかを見てみるがいい。
個人的なことになるが、尖閣問題は私にとって深く長い因縁がある。私に関する人間関係の不思議な縁もからんで私がこの問題に体も張らなくてはならぬいきさつがある。それについては近く発刊される「文芸春秋」本誌の新月刊号に詳細に記したが、来る国会での審査の経緯について関心のある人たちには是非一読して もらいたい。
官僚が支配する現今の政治のあるがままにいる政党にうんざりして国会議員を辞めた私だが、その後知事に転じて今また尖閣諸島という国難に、このような形で関わりを持つようになったことに密かに宿命のようなものを感じている。
この今になって思い出す言葉がある。私が私淑した賀屋興宣さんが愛唱していたあの高名な彫刻家平櫛田中の、「俺がやらなきゃ、誰がやる。今やらなけりゃ、いつ出来る」だ。