さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」さんより
6月22日の朝日新聞には、原子力基本法に安全保障に資すると文言を入れる法改正が成立したことを受けてこのように書いています。
「朝 鮮日報は1面に「日本ついに核武装への道を開く」との見出しで記事を掲げ、今回の法改正で「事実上、核の軍事的開発を可能にするのではないかとの憂慮が出 ている」と指摘。東亜日報も1面で原子力の軍事的利用と核武装への道を開いたとの分析が日本国内からも出ていると伝えた」。
韓国紙が言う日本国内から核武装という声の代表格が朝日新聞であります。
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原子力基本法—「安全保障」は不信招く
原子力基本法に「我が国の安全保障に資する」という文言を入れる法改正が成立した。核兵器開発の意図を疑われかねない表現であり次の国会で削除すべきである。
原子力政策の憲法ともいえる基本法は、1955年に定められた。原子力の「平和利用」を旗印に「民主、自主、公開」の原則を掲げている。そこには被爆国日本の体験を踏まえ、核兵器開発だけには手を染めないという戦後の決意があった。
その変更が衆議院では議案を提出した日に可決、5日後に参議院でも決まってしまった。
それも、民主、自民、公明3党の合意をもとに原子力規制委員会設置法を成立させたとき、その後ろにある付則のなかで、上位法である基本法を改めるというやり方である。
「安全保障」という言葉は、日本語でも英語でも「国家の防衛」という意味がある。そして原子力発電の技術は核兵器と密接な関係にある。核兵器を決して開発しないという日本の信用を傷つけぬように努めなくてはならない。
参 院環境委員会で推進した議員は、「安全保障」は核物質の不正転用を防ぐ国際原子力機関(IAEA)の保障措置などを指す、と説明した。もしそうなら「保障 措置」と書けば済む。それをなぜ「安全保障」としたのか。 この言葉が加わった第2条には、原子力の利用は「平和の目的に限り」という文言がある。 だが、日本が核兵器の材料になるプルトニウムの保有国であり、それをさらに生む核燃料再処理にこだわっている現状を見れば、国際的には別の意味合いを帯び る。
日本には核兵器開発能力があり、潜在的な核抑止力を持つという一部の考え方を後押ししかねない。そのような発想から離れない限り、世界から核の危険はなくならない。
我が国の安全保障に資する、という文言は08年にできた宇宙基本法にもあった。
今回、これに沿って宇宙航空研究開発機構(JAXA)法も駆け込みで改正された。JAXAの仕事を「平和の目的」に限るという条件を緩めたのである。
福島第一原発事故で科学技術に対する信頼が弱まるなかで、その暴走を食いとめる必要を多くの人々が感じている。 それなのに、原子力、宇宙開発といった国策に直結する科学技術に枠をはめる法律が、国民的な議論をせずに、変えられていく。見過ごせぬ事態である。 (2012.6.22 朝日新聞)より
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原子力基本法に「安全保障」と書き込んだだけで騒ぎだした朝日新聞。それに呼応して韓国も核武装だと言い出すと、朝日新聞は「ほら、韓国も核武装だと言っているぞ。こんなものは次の国会で無くしてしまえ」とチョウニチ新聞こと朝日新聞が言っています。
朝日新聞は「日本には核兵器開発能力があり、潜在的な核抑止力を持つという一部の考え方を後押ししかねない。そのような発想から離れない限り、世界から核の危険はなくならない」と書いています。
核保有国に囲まれ、核保有国に脅されている日本としては、核抑止力を持つという考えは国際的に見ても当然であります。この状況においても「核兵器を開発しない」日本には信用どころか不信にすら感じることでしょう。
ア メリカの核の傘が破れ傘である以上、自分の国は自分で護るという当り前の考えからも、現実的な抑止力として核武装は必要なことであります。日本は攻撃でき る通常兵器の増強も喫緊でありますが、やはり核は別格です。それを持つと持たないでは外交の発言での重みも違うのは皆さんも承知のことでありましょう。
し かし日本は今まで外交の裏付けとして軍事力ではなく経済力で外交をしてきた面があります。ただこの財布外交では金だけ取られて感謝もされずに、ただただ国 民は働きアリの如く働いて、その稼いだ金を税金で巻き上げられ、その血税を日本に文句や言いがかりをつけてくる国に差上げるという、まるで属国のような日 本の姿に気づきはじめ、いい加減にしろ!という日本国民が増えてきているのも事実です。
「日本には核兵器開発能力があり、潜在的な核抑止力を持つという一部の考え方を後押ししかねない。そのような発想から離れない限り、世界から核の危険はなくならない」とあります。
しかし世界で核の危険をばらまいているのはどこの国でしょうか朝日新聞。
それは朝日新聞本社内になぜか東京支局がある人民日報の国、支那なのです。
他人の命を何とも思わない支那は、過去40回 以上も核実験を行い、しかも事前通告もせずに、最も危険なメガトンクラスの地表核実験を行い、ウィグル人の多くの国民を殺し、日本もほぼ全員がすでにスト ロンチウムを被っている(放射能防護学の高田純先生の著書より)ということです。にもかかわらず人体に影響のない福島原発で大騒ぎしている日本人はどうか しています。
核の危険がなくならないと言うならば、朝日新聞の宗主国である支那に直接言うべきでありましょう。
「福島第一原発事故で科学技術に対する信頼が弱まるなかで、その暴走を食いとめる必要を多くの人々が感じている」
福島第一原発は、大地震の際にすぐにP波を感じS波が来る前に自動停止して自動冷却が出来ていました。つまり技術的には何の問題もなく暴走は何もしていません。問題は単に想定が甘かっただけでした。科学技術に関して問題があるとしたら国の予算が少な過ぎることでありましょう。
「国民的な議論をせずに」と朝日新聞は書きますが、核武装の国民的議論を封じてきた張本人である朝日新聞が「国民的な議論」とはちゃんちゃら可笑しい話であります。