幸福メンタルクリニック さんより転載です。
■中松義郎博士(ドクター中松)の論文より転載■
長文ですのでお時間のある時にご一読ください
本論文はフィクションではなく、筆者が自ら直接見聞きした事実に基づく真の近現代史です
アパグループ第4回「真の近現代史観」優秀賞作品
昭和二十年八月十五日正午、その日は東京天文台(戦後は気象庁)によると三十三度で特に暑かった。突然「第二種軍装(夏用麻製仕立)ノ正装ニテ至急整列ス ベシ」との館内モールス信号で校庭に集合し直立不動で汗を流しながら待つ我々帝国海軍機関学校最後の海機五十八期生(昭和二十年に海軍兵学校と合併)は、 最後の帝国海軍将校生徒として整列しラジオから流れる玉音放送を聞いた。
海軍機関学校の入学試験の体格検査で七十五センチだった胸囲が入校後の猛訓練と猛鍛錬で僅か三ケ月で百四センチになった巨大な胸が歴史上初めての玉音放送に大きく高鳴った。
しかしラジオの雑音が多く、よく聞き取れない。
「本 土決戦が近いので頑張るようにとの天皇陛下御自らの激励のお言葉」と全員が受け取った。当時の日本人は全国民が「歴史上敗れたことがない神国日本は最後に は必ず勝つ」と信じており、全国民誰一人として日本が負けるなどと考える者はいなかった。特に軍は全軍士気旺盛だった。
現に私のいた舞鶴軍港は二十四時間軍艦を造るリベット音が絶えず、食糧、武器、弾薬が豊富で、いつでも敵を迎え撃つ準備が連日連夜進められていた。
原爆研究については陸軍が東京帝大の仁科博士と理研に開発を依頼した「二号研究」(海軍は京都帝大と「F研究」)として行い濃縮ウランは海軍が潜水艦でド イツから運ぶ手配がされ、出来た原爆の第一弾をハワイに落とす作戦を杉山参謀総長は陛下に上奏したが、陛下は「原爆という非道なものは使うべきでない。特 にハワイには日本人が多いので却下する。」となり杉山参謀総長は解任され、東條首相が参謀総長を兼務することになった経過がある。
この様に非人道的爆弾と陛下が認識されていたものを日本に落とされたのだから陛下の衝撃は大きく終戦する一つのきっかけになったと思われる。
しかし杉山参謀総長は、原爆開発を継続したのだ。軍人は戦争に勝つために打てる手を全て打とうとする。しかしそれは陛下の御意向に反しているので原爆を 造って勝っても、原爆を造らずに敵に原爆を使われて負けても、いずれの場合にも杉山参謀総長の責任なので切腹すると誓い終戦直後に切腹した。元来日本は武 士道を基に戦争を行ってきたのである。
陛下は米の原爆に対し非道だと禁じ た原爆で応じたのなら「人類の文明が滅亡する」と終戦を御聖断された。米が原爆を落とせば日本もこれに応じて米に原爆を落とす。このことによって日米の多数の人が死に、この原爆戦争が世界に及び世界中の人が死ぬ。これを防ぐために米が日本に原爆を落とした時点で終戦にされたのであって、日本が原爆を落とさ れたから、または負けたので終戦にしたのではない。日本は負けていないのに終戦したのである。
これを文章にしたのが終戦の詔勅「敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ 頻ニ無辜ヲ殺傷シ 惨害ノ及フ所 眞ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ 尚 交戦ヲ継続セム カ 終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス 延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ 斯ノ如クムハ 朕何ヲ以テカ 億兆ノ赤子ヲ保シ 皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セム ヤ」であって、終戦の理由は負けたからではない、という意味である事を読み取ってほしい。
翌日の八月十六日には帝国海軍航空 隊による米本土突撃大作戦が予定されており、その猛訓練が行われていたことを陛下はご存知なかっただろう。この作戦が実行されていればドゥーリトルの東京 空襲によりミッドウェー海戦の日が繰り上がったのと同じに米軍は、十月予定の本土決戦を急濾九月に繰り上げた結果、天候の条件も加わり日本が勝利する展開 になったのではないか。
いつどこに敵が上陸するか、日本陸軍参謀本部と海軍軍令部の想定は、時期は九月又は十月、上陸地点は九州南部(「陸軍作戦名「決号・第6号」海軍作戦名 「天号」)。さらに翌年関東の九十九里浜に上陸。この日本軍側推定は米軍上陸作戦計画(米軍名「オリンピック作戦」(九州)「コロネット作戦」(関東)の 「ダウンフォール作戦」)とピッタリ一致して日本は見事米軍の動きを見透していた。
陛下は侍従武官を九十九里浜に遣わ して防衛体制を調べさせたが、侍従の「防衛は全くされていません。」との報告をお聞きになったことが終戦を決断された一因と伝えられる。この時九十九里浜で訓練していた三千人の「伏龍」隊はシールドにかくれていて侍従武官に見えなかっただろうし、又、米軍は九州を先に攻めると想定されたので、日本軍の陣立 は九州南部を先に固め、そのあと九十九里を固めようとしたのであるので、陛下に上奏された終戦を決定する情報の一部に重大な誤りがあったのは残念だ。
これは開戦時の宣戦布告をワシントン大使館の怠慢により米国務長官への提出が遅れ、日本の騙し討ちという口実を与えてしまったことと同じ位に大きなミスだ。
本土決戦の火蓋がきって落とされた後 をシミュレーションする。先ず米軍は上陸地点の南九州に原爆を落とすだろう。しかし陸軍参謀本部堀少佐率いる特殊情報部が原爆コールサインを五時間前に傍 受していたので、近くの海軍大村基地の紫電改が発進し、B29を太平洋上で撃墜。ついで艦砲射撃するため日本に近づいた米軍の日本本土上陸作戦に対する日 本軍の準備は、完成した三千機の特攻専用機「劍」が、上陸しようと集まった敵艦艇に突っ込み、多くの敵艦を撃沈撃破する。種子島海軍機関大佐が開発し石川島重工業製の世界初のジェットエンジン搭載の双発ジェット戦闘機「橘花」もこれに続く。水中からは千隻の特殊潜航艦「蛟竜」(海軍兵学校校歌「江田島健児 の歌」の「地に潜む「蛟竜」からとった名」から泡の航跡が全く残らない日本海軍の世界に先駆けた発明九三式酸素魚雷が発射されて敵艦艇は次々に轟沈する。 この猛攻撃からしぶとく残った敵艦に対し、岩陰に隠れていた海軍兵学校六十九期満野功大尉率いる第六十七震洋隊(江ノ浦─静岡三津浜)など三千隻の「震 洋」爆突特攻艇が轟々と暁に発進し残る敵艦や上陸用舟艇に勇猛果敢に体当たり。それでも残る敵艦艇からかろうじて発進した敵の上陸用舟艇に対しては波打ち 際の水中に展開する五式撃雷を待って潜む予科練出身者や海軍陸戦隊古兵の精鋭から成る三千人の「伏龍」隊が上陸用舟艇を爆沈させて波打際に寄付けないよう にする。それでもかろうじて上陸した敵兵を五重の陣地で固めた世界最強の本土決戦部隊が米戦車より強力な新開発五式重戦車と共に待ち構える。敵戦車に対し ては最新鋭の「ロタ砲」で、敵戦車M2を遠方から撃破し、更に敵が近づくと「櫻弾」で厚い装甲を撃ち破り、もっと近づくと決死隊がチビ(ガラス球に人った 青酸ガス)を戦車のスリット窓にぶつけて操縦者の目潰しをし、次にキャタピラ破壊扁平爆弾を敵戦車のキャタピラの下に挿入してキャタピラを破壊し、敵戦車 を動けなくし、止まった戦車本体の下に戦車爆雷を挺身突撃隊が放り込んで擱座させる。
一方、上空の敵機には大東亜戦争決 戦機として開発された世界最強(戦後アメリカの実験で時速最大六百九十kmを記録し最高傑作機と評価された。)の中島飛行機製二千馬力四式戦闘機「疾風」 やゼロ戦の次世代戦闘機堀越二郎設計の三菱製「烈風」が敵グラマンF6F、ノースアメリカンP51を次々と撃ち落す。更にB29キラーとして海軍空技廠設 計九州飛行機先尾翼型で機首に強力三十ミリ機関砲四門搭載の「震電」が時速七百粁以上という米軍戦闘機、B29より早い世界最速スピードで敵戦闘機に追い付き敵機を一撃で撃墜する。又、B29の前方上空に廻り込んで四門の砲でアッという間にB29を撃墜する。
甲液「過酸化水素オキシノリン・ピオ リン酸ソーダ」と乙液「水化ヒドラジン・メタノール・銅シアン化カリウム」を百対三十六でミックスした脅威の推進力で今迄達しなかった一万二千kmの成層圏まで従来型の飛行機では十数分かかったのを僅か三分五十秒で急上昇できる時速九百粁の画期的無尾翼型ロケット戦闘機「秋水」がその先頭部に搭載する強力三十ミリ機関砲二門が火を吹きボーイングB29を一撃で次々と撃ち落すとして行く。又、陸軍四式爆撃機に百五十ミリ野戦砲を積んだ空飛ぶ大砲がドカンと B29の編隊群に炸裂する。運よく残ったB29も新開発の二万mに達する五式新高高度高射砲で撃墜されて行く。
だがこれら最新戦闘機を動かす燃料はどうするのか?
そもそも大東亜戦争が始まったきっ かけは軍艦や航空機に必要な石油を米英蘭三国が対日輸出禁止して日本経済を窒息させようとし、これに対してワシントンに交渉を行った甲案提示の野村海軍大 将(大使)と東郷外相の秘策乙案を持った来栖大使が追いかけて米側と交渉。ほぼアメリカが合意し日米和平が実現しようとしたのに対し、その翌日引っくり返り「日本の全権益放棄とシナ大陸からの日本陸軍の全面撤退」を要求する蒋介石の言い分を通した文章を共産主義者でソ達のスパイであったアメリカ国務次官補 が草稿を書き、ハル国務長官がそれに署名した「ハル・ノート」の回答だ。これでは日本は到底合意できないので日本が大東亜戦争を始めたというのが第一の理 由だ。
No,2に続く