箴言集 「地獄に堕ちないための言葉」 大川隆法 著
「地獄に堕ちないための言葉」66 ある時、守銭奴が川に金貨を落とした。彼は、水に潜って、金かをふところに集めたが、重さのあまり、浮き上がれなかった。
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あの世は、魂だけの世界であり、物質は思いの産物でしかないのです。その物質にとらわれ過ぎると、執着になり、思いが物質に固定されて、物質そのものに振り回される世界を作ってしまいます。
この世では、肉体を維持するために、肉欲を与えられています。その肉体の維持のために物質が作られています。その物質(動植物)を食べ、衣服を作り、住居に住み、物々交換のための手段を効率よくするための、貨幣がつくられたのです。この貨幣のお陰で経済が発展していったのです。
しかし、貨幣はあくまで物質であり、魂の感謝の思いが物質化したものです。その思いを無視して、自分の欲を膨らまし、貨幣を集めるだけに専念すると、貨幣に執着し、貨幣がなければ死ぬ(あの世では既に死んでいる)と思い込んでいるのが、守銭奴ですね。
死んであの世に還ると、肉体はなく、魂だけの世界になるのですが、その魂は、貨幣の象徴である金貨を命よりも大切と思っていたから、落とせば必ず拾うわけです。
金貨(物質)に執着があるかないかの試験が、いわゆる三途の川で泳ぐことです。その川底に金貨が用意される(あるいは持っていた金貨を落とす)と、その金貨を無視するか、拾いに行く=潜って取りに行くかが、問われるのです。執着が強いと、水に潜って息苦しくても金貨を拾い集めます。その結果重くなって、水面に浮きあがることが出来ずに、呼吸ができずに苦しみます。
本来の魂に戻れば、肉体を維持する呼吸はないのですが、、、
執着を捨てる(=見返りを求めない)訓練が、お布施なのです。命の次に大切な金貨をお布施する行為は、執着を捨てる訓練になるのです。したがって、お布施は大切な魂の向上のために修行であり必須のものなのです。
唯物論者(無神論者)は、お布施を集めて儲けているのが宗教だと判定するのです。ゆえに唯物論者(無神論者)はすべて地獄行きになるのが分かりますね。