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1995年の阪神淡路大震災がきっかけとなり自動書記で突如絵を描き始める 絵の仕事は26年目 ブログ光のチャレンジは11年

☆ サイコパスを見抜き自分を守る♪(補記)

2017-07-22 | 本の紹介
3回にわたって『 サイコパス 』(中野信子著/文春新書)の本の紹介を書いています。


下記は前回書き忘れた箇所の補記です。

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★ サイコパスの心理的・身体的特徴 (P 52)より 補記

サイコパスはこうしたテクニックを駆使して、人を操作していきます。

冷徹に〝 カモ 〟の目や表情から心情の揺れ動きを読み取り、

ここまではいじめて大丈夫、

ビクビクしたところで相手のここを持ち上げれば 〝 落ちる 〟、

といったことをごく自然にやってのける能力を持っているのです。



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こういう本を読むといかにサイコパスが特殊でコワイ人かという印象を受けてしまうかもしれませんが、

実はサイコパスの傾向は、もしかしたら、誰の中にもあるのかもしれません。


また、このような人は決して怖い残忍な外面を持っているのではなく、

むしろとても魅力的で感じのいい人とさえ思われる面も持っているので、

なかなか見抜くことが難しく、被害にあった後々であってさえも

「あの人は決して悪い人ではない」と被害者も周囲の人もサイコパスを弁護してしまうことすらある


というのですから、ほんとうにそういう人から自分の身を守ることは、なかなか難しいかもしれません。


けれども、相手ばかりを見て振り回されるのでは無く、自分自身の〝 心 〟を見て

自分の中にある〝 欲 〟に氣づき、「自覚」を深めて
いけば、相手と波動が違って来るので、

自然にそのような縁も遠のいていくのではと私は思いますが、どうでしょうか。


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これはDVについての学習をした時に知ったことですが、相手から自分がDVを受けているとまず「自覚」すること。


そしてそこから逃げ出した人でさえも、平均7回! はまたその加害者の元に戻ってしまうこともあるということを知っておくことです。

そんな自分を責めないで、ただ自分がもっと好い未来を思い描き、ほんとうの自分のやりたいことを始めたり、

自分自身を好きになること。



被害に合うタイプの人は、自分のことをあまり好きでなかったり、自分に自信が無かったり、

自分とは何か、自分自身のことがよくわからず、

ほんとうの自分を知らない(自分を過少評価している)ということが多いので、

以前にご紹介した松尾みどりさんの動画などを見て、

自分について知るワークなどをやってみられるといいかもしれません。



ただ、コワイと怖れるのでは無く、そういう人に惹かれてしまうのはどうしてだろう?と氣づいて、

決してそんな自分を責めないで、「そのおかげで自分自身に氣づくことが出来た」ことに感謝して、

そっと、そして、きっぱりと離れることです。

相手を変えることは出来ませんが、自分を変えることは出来ます。


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3回にわたり、何度も同じことを書きましたが、もしよかったら、宇宙画『 サイ 』のポストカードを眺めることもいいかもしれません。

おまじないのように効果があるというわけではありませんが、その中に描かれた人物は、「善悪がセット」となっています。
(自分の中にも同じく「善悪がセットとして存在している」ことに氣づくことです)





誰の中にも同じ面があるのです。

ダライ・ラマ法王も言われていましたが、誰の中にも善悪の種はあります。

その悪の種を発芽させないで、善の種を育てていくことをこころがければいいのです。

「善」とは、自分を犠牲にしてまで相手に尽くすことでは決してありません。


お釈迦さまに由来する「慈悲の瞑想」では、まず「私が幸せでありますように」という祈りから始まります。

そして、「自分の親しい人々が幸せでありますように」

さらに「生きとし生けるものが幸せでありますように」と祈り、

最後に「私を嫌っている人が幸せでありますように」「私が嫌っている人が幸せでありますように」と祈ります。

決してその逆ではなく、まず「私」の幸せを祈ることから始まるのです。


この祈りを続けていると、とても心が安らかになります。(と私は感じています)

人にもよるかもしれませんが、私はとてもこの瞑想法が好きです。

もしよかったら(自分を好きになるためにも)ぜひ実践されてはどうでしょうか。


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詳細は、「スピピリチュアルTV」の掲示板から、友の会にアクセスし、「さとらーの部屋」のさとらーさんにお尋ねください。

どんなご質問にも応えてくださることでしょう、、。


今月7月28日(金)には、スピTV番組でさとらーさんとかのんさんのお話が視聴できます。

朝8時から〜ですが、そこで生放送中にチャットで質問も出来ますので、もしよかったらご覧になってはいかがでしょうか。



本日も暑くなりそうですが、午後から私は地元の「萬葉集講座」に出かけます♪

今日のお話は「額田王」のお話だそうで、とっても楽しみです。

また、いつかこのお話もご報告できたらうれしいです。



本日も長い話に最後までおつきあいくださってありがとうございました。

どうぞ皆さまもお幸せな一日をお過ごしくださいね♡



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★ サイコパスの心理的・身体的特徴!(本の紹介/続き)

2017-07-21 | 本の紹介
昨日紹介した『 サイコパス 』(中野信子著/文芸新書)の続きです。

順番が後になりましたが、サイコパスとはどういう人か、
その「心理的・身体的特徴」について第1章に説明されています。

下記その引用抜粋です。(P50〜52)

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たとえば、こんなことをする人があなたの周囲にいないでしょうか。

———まず、相手に貸しを作る。

お金で困っていたらお金を、人脈で困っていたら人脈を提供する。

頼まれなくても親切にする。

関係の初期の段階ではとにかく「この人はいい人だ」「自分を助けてくれて、本当にありがたい」と思わせる。


ところが、ある程度の信頼関係ができたところで、脈略なく、あるいは非常に瑣末なことでキレる。


「あんなによくしてくれた人が怒ったということは、自分は何か悪いことをしたのかな?」

本当は謝る理由はないのに、関係を維持するために謝っておこうかな、という氣持ちに相手はなっていきます。


それを繰り返して、相手が下手に出て来たところで言いがかりや難癖をつけて

「あんなによくしてあげたのに、どういうこと?」などと怒る。


普通の人は、恩のある人物から嫌われたくないので、自分が悪いわけではないと思っていても、たいていは謝罪します。


するとまた態度を豹変させ、謝罪を受け入れるのです。

そして「そうやって素直に謝ることができるのは、あなただけですよ」などと、
相手の自尊心をくすぐるような持ち上げ方をする。



こうして、アメとムチを繰り返し、被害者側の怒られたくない、嫌われたくないという罰を回避する氣持ち、

誉められたい、またいい思いをしたいという欲望を巧妙に刺激して、


借りがある人には何かお返しをしなければならないという「好意の返報性」を悪用することで、

上下関係を完成させてゆく———。


職場や恋愛など、狭い人間関係のなかで、ときに「認められたい」という氣持ちを充たされ、

ときに激怒によって自省を強制されるうちに、次第にその人の様子を窺いながら行動するようになってしまうという経験をしたことがある人もいると思います。


もしかしたらその相手はサイコパスだったかもしれません。

極端な場合には、その人物の許可なしには行動できなくなってしまう、ということさえ起こります。

サイコパスはこうしたテクニックを駆使して、人を操作していきます。

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以上、引用終わり。

皆さんも、もし周囲にこういうタイプの人がいたら、早めに距離をおいて、深く関わらないように、コントロールされてしまう前にしっかりと氣づくことが出来るといいですね。

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サイコパスでは無いですが、私は40年来のある活動仲間との関係性において、
自分がかなり相手に対して「そんたく」し過ぎていて、決して対等では無かったことに

夢の中で氣づかされ、最近この本を読んで改めてその深い仕組みにも納得がいきました。


とても尊敬する大切な友人であり、長年憧れていた存在であっても、決して自分の心の自由を譲り渡してはいけないということを教えられました。


その彼女は決してサイコパスではなく(オーリングテストでも確かめましたが)、ただとても自律した「ナルシスト」に過ぎないのですが、

私の方が勝手に彼女に傾倒(依存)するあまりに、どこか上下関係を作ってしまっていた氣がします。

私の場合はそういうことをその本人にも直接伝えて(夢の話をして)、お互いに笑い話で終ったので、傷つけ合うことはなかったですが、

おかげさまでその後微妙に関係性は変化した氣がします。



相手を変えることは出来なくても、自分が変われば(自覚すれば)変化を起こすことは可能なのですね。


長々と書きましたが、皆さまにも何かのヒントになりましたら幸いです。



最後まで読んでいただきありがとうございました。


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★ 『サイコパス』を読んで涼しく?

2017-07-20 | 本の紹介
連日のあまりの暑さに日中は部屋に居られず、図書館やイオンの中の本屋へ避暑に。。

そこで見つけた『サイコパス』(中野信子著/文春新書)。

もうブームはとっくに過ぎて話題に遅れ過ぎですが、
私はこれまでなぜかあまり興味が無く読む氣になれなかったのですが、

もしかしたら、「これを読むと涼しくなるかも?」と思って、手に取りました。


そしたら、想像していた程では無くて、かと言って熱くなるというのでも無く、
何かが少々物足りなく感じました。

それでも、その中で、いくつか印象に残ったところがありました。

下記、その一部を抜粋引用します。
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第4章 サイコパスと進化 P159

(前略)

サイコパスにとっては、生きやすい時代が長く続いてきたのです。

さらに言えば、普通の神経ではとてもつとまらない仕事は、いつの時代にもあります。

冷徹さを求められたり、一瞬でも冷静な判断を失ってはならないものであったり、

どんなに請われても他人を信じたり隙を見せてはまずいような仕事がそれにあたります。

そうした作業は、サイコパスには適性があります。


神殿巫女のように、複数の男性と性的な関係を結び、確信に満ちた御宣託(ウソかもしれないけれども)をのたまうことで、共同体の運営を円滑にするような仕事もありました。

現代の基準からするとその形態は不道徳な乱交であっても、それが本人を含めた共同体全員の利益となるのであれば何の問題もないわけです。

サイコパスが必要とされる状況は、昔も今も確実に存在するのです。

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上記のこの記述には私は少し違和感(異和感)を感じました。

何の裏付けも参考資料の掲載も無く、注釈も無くいきなりこんなふうに書かれると、
まるで「神殿巫女」全員があたかも「サイコパス」であったかのような!?

飛躍した表現に少々疑問を感じました。

中にはもしかしたらそういう巫女もいたかもしれないけれど、逆に男性と交わることで能力が落ちるので、生涯独身のままでいたということも多かったのではないかと思うからです。

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第5章 現代に生きるサイコパス P197

< サイコパスと信者の相補関係>

サイコパス自体だけでなく、サイコパスの餌食になる人も、なかなか興味深い存在です。

サイコパスのウソや奔放な性関係が完膚なきまでに暴露された後も、なぜかその人を信じ続ける人が少なくありません。

自分が騙されていたことがわかったり、犠牲者の存在が明らかになったりしても信者であり続ける——

不思議な話だと思いませんか?



実は、人間の脳は、「信じる方が氣持ちいい」のです。

これもまた、集団を形成・維持する機能の一つと言えるかもしれません。


人間の脳は、自分で判断をおこなうことが負担で、それを苦痛に感じるという特徴を持っています。

これは認知負荷と呼ばれるものです。


また、「認知的不協和」という現象もあります。

人は、自身の中で矛盾する認知を同時に抱えて不快感(葛藤)をおぼえると、

その矛盾を解消しようと、都合のいい理屈をつくりだすことが知られています。



簡単に言えば、いったん「これは正しい」と思い込んだことが後から「間違っている」と証拠を突きつけられた場合、

人間の脳は「言い訳」の理屈を考え出し、何とか間違いを認めずに済むようにしようとするのです。

(中略)


「信じるな」「目を覚ませ」と諭すのが、本当にその人にとって良いことなのかどうかもまた悩ましい問題です。

人間の一生は無限に続くわけではなく、私たちはそれぞれに有限の時間しか持っていません。

そうした有限の時間を過ごすにあたって、信じてお金や時間を投じてしまった過去の自分を否定させることは、

あまりにも酷なのではないでしょうか。


(中略)

サイコパスは、「信じたい」という、人間の認知のセキュリティホールともいえる弱点を、巧みに突く生存戦略を取っている存在とも言えます。

(中略)

サイコパスが指導者として信者たちに対し「自分は被害者で、一部の者が私を貶めようとしている」という陰謀論を主張すれば、一定数は信じ続けてしまう環境が整っているのです。

いったん信者たちから搾取できる宗教的な構造や、ファンコミュニティをつくってしまえば、

外から何を言われようが、完全に崩壊することはまれだといえるでしょう。

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この章は大変興味深い示唆に富んでいて、とても参考になりました。

「マインドコントロール」にかかった信者がその宗教から抜けた後も「依存体質」をなかなか卒業できないのも、それなりの理由があるのだと解りました。


また、『老人が「後妻業の女」に転がされる理由』(第3章 P200)というところも、読んでおくと役立つかもしれません。

「人間の脳は、齢をとるほど人を疑いにくくなる傾向があるのです」と著者は説明しています。

ドーパーミンの分泌量とも関係しているようです。


関心を持たれた方はぜひこの章だけでも(立ち読みで?)目を通されるといいかもしれません。
あるいは図書館でじっくり読まれるのもいいかもしれません。


私自身は「買う程でもなかったかな、、」というのが正直な感想ですが、その次のページには

「サイコパスとは恋愛できるか」という項目もあり、さすがに話題になっただけのことはあると思いました。

以上、遅ればせながらの所感です。


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本のことはさておき、身近かなところでは、私はもっと「コワイこと」がありました。

たまにはご飯も食べないと、、と、近頃ずっと麺類やパン食が続いていたので、久しぶりに玄米を焚こうと

米びつのふたを開けたら。。。

ギャァ 〜〜〜〜〜〜〜〜 何ということ!!!

中にたくさんの「蛾」!?が飛びまわっていたのです!!!



人生、ほんとうに突然何が起こるかわかりませんね。

この暑さですから。。。どうか皆さまもお氣をつけてお過ごしくださいね♪



本日も長文を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

少しは汗が引いて涼しくなられましたでしょうか?



次回はもっと楽しい話を書きますね♪


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★ 今朝はルンルン。。庭しごと♪

2017-07-19 | 日記
今日の奈良の外氣温は、(あとから天氣予報で確認)最高温度が午後3時で36℃!

我家の室温は31℃。

「昨年もこんなに暑かったかなあ?」って、昨年のことはすでに忘れていますが、

何だか毎年、暑くなっていっているような氣がしますね。

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そんな中で、驚くなかれ、今朝は何と! 庭の手入れをしたんですよ!!

(少し早起きして7〜9時までの間に)

なぜ、今日にしたかと言えば、特に意味は無く、ただ「オーリングテスト」してこの日に決まったのです♪


あまりのジャングル状態を見ていると余計に暑さが感じられるし、風通しもよく無いので、

思い切って庭のハーブなどもバッサリと「刈り込み」をしました。


今まで一度も伐ったことの無いチェリーセージ、ラベンダーもカットし、とてもスッキリ!

垣根の野バラも、ローズマリーも、それから私の背丈よりも高く伸びたオリーブの枝もかなり剪定しました。


さらに、毎年甘い香りを振りまいてくれるジャスミン、今年初めて大きく育ったパイナップルセージも3分の1ぐらいを刈り込みました。

花が終って葉がバランのように大きくなったシランの茂みも、間引きして小さくまとめました。

さらに、いつも繁殖し過ぎて困るぐらい年中勢いのいい、夏の暑さにも冬の寒さにも負けない丈夫な薬草など
(セインテッドゼラニウムや蚊やり草)もかなり刈り取りました。

それから垣根の外の何の木かわからないものも、伸び過ぎたところを伐りました。

その他、いろいろ氣になるところなどをちょこちょこっと伐ったりしているうちに、


すぐにもう2時間!!が経ってしまいました。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

庭仕事が何より大好きな私。

あまりにも熱中し過ぎて止められ無くなることが自分でよくわかっているので、

「熱中症」にならないために、始める前にタイマーをセットしておいたのです。


この間に一度だけお水を飲みましたが、それ以外は全くのノンストップで、2時間!!

汗をだらだら流しながら(何せ蚊取り線香も腰にぶら下げているのでさらに熱くて)、、、

ともかくやりきりました!!!


ついでに、カットしたローズマリーやチェリーセージも、もしかしたら根付くかも?と挿し芽までしたのです。

もちろん、その後の水やりも。。


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これだけの仕事量が一度に出来たのも、「高枝ハサミ」のおかげです。

今日、初めて使ったのですが、これまでの「花鋏を使った手作業」に比べ、何倍もの威力を発揮してくれました。

こんなに作業が楽にはかどる便利なものなら、もっと早く使えばよかった。。。と思ったぐらいです。


暑くても「大好きなこと」に熱中していると、暑さを忘れるというか、全く苦にならずに楽しめますね♪

思い切り汗を流した後のシャワー、そして冷たいお水、そのあとの休憩は、まさに至福のひとときでした♡(ビールの呑める人が羨まし〜♪)


皆さまもそれぞれに工夫して、ぜひこの暑さを乗り切ってくださいね。

(クーラーのある人は家の外に出ようなんてきっと思わないことでしょうね。。)


クーラーの無い我家なので外氣温と室温の差があまり無くて、おかげさまで私のからだも暑さに順応してきてるのかも?



皆さま、本日もお暑い中、また、遠いところ、ようこそ
「光のチャレンジ」に遊びに来てくださってありがとうございました♡


もう、今日は眠くて。。絵文字も無しで長々と。。失礼いたします♪  


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☆ 「希望」という名の支え

2017-07-18 | 希望の光
今日はくもり時々小雨で比較的しのぎやすい一日でした。

夏は庭の手入れや草抜きがしにくく、ハーブも生い茂ったままで、今やジャングル状態です。


そんな中、ふと「カーラー」(水芭蕉に似た花)が咲いているのを見つけました。

今までは葉っぱのみで、ここに住んで以来花は一度も見たことが無かったのですが、

淡いピンク色の小さな花がひっそり咲いているのを、初めて見つけてとってもうれしかったです。

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ところで、日野原重明さんが今朝105歳で亡くなられたというニュースを知って、ほんとうにさみしいです。

私は新聞は購読していないのですが、朝日新聞の土曜日Be版だけは買って、

日野原さんのエッセイ『 105歳、私の証 あるがまゝ行く 』を楽しみに愛読していました。

心からその生き方を尊敬していましたので、大往生の「寿命」とはいえ、とっても残念です。


河合隼雄さんや舩井幸雄さんが亡くなった時もそうでしたが、たとえ個人的親交は無くても、

自分の前を行く人生の大先輩というか、素晴らしい「希望の光」
見えなくなるのは、ずっと目印にしていた遠くの家の明かりがふと消えてしまったような、シュンとした氣持ちになりますね。



クリスチャンだった日野原さんは、これからもきっと天国で益々ご活躍されるに違いないと信じていますが、、。

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時々切り抜きをしていたそのエッセイの中から、ほんの一部ですが抜粋して、
心よりご冥福をお祈りいたします。


2016年11月掲載 「変える勇気」だけでなく 下 

(前略)

変えられないと思うものでも、自分を変えれば変わる。

そのことにも、どうか気づいて頂きたいと思います。

自分の方から変われば良いのです。

二つの国が争っている時に、強い国の方から攻撃はしないから、そちらも反撃はしてくれるな、

というように、強い側があえて一歩身をひくというゆるしが必要なのです。

(中略)

度重なる災害に日本はみまわれています。

亡くなった人、失ったものを取り戻すことはできません。

けれど自分の心の持ちようは変えられます。

どうか傷ついている方々に「希望」という名の支えを差し伸べて下さい。



自分の命の時間を他者のために使うことで、自分もまた心の幸福感が得られます。

そう信じること自体が、耐える力と実行に移す勇気を与えてくれます。


変えることのできるものと変えることのできないもの。

それを冷静に見極めた上で、変えることのできるものは、勇気をもって変えてほしい。

私は読者の皆さんに、そうお伝えしたいのです。   (日野原重明氏の連載エッセイより)

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日野原さんはいのちの活動だけではなく、平和の活動にも熱心な方でした。

そしてまさしく有言実行の人でした。

どんなに多くのことを成し遂げ、夢を現実にし、たくさんの人々の心に「希望」の灯をともしてくださったことでしょうか。


マザーテレサにも等しい希有な存在であった日野原さん。

もう二度とこのような方は現れないだろうと思うと、ほんとうに惜しい方を失くしました。

けれども後を継いで、その意思を継いで、平和を守り、いのちを守っていくことは、たとえどんなにささやかであっても、私たち一人ひとりにも出来ます。

最後の最期まで決してブレることなく、一貫した信念を持ち、素晴らしい生き方を貫かれた日野原さん。


直接お目にかかったことも無く、ただ一読者に過ぎなかった私ですが、エッセイを通してどれだけ感動し、その言動にどれほどの感銘を受けたことでしょうか。

ほんとうに長い間ありがとうございました。


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