一昨日、ブルーベリージャムを作ったあと夕食の準備をしていたら、携帯に義母が入院している病院から電話がかかってきました。
内容は、来週の火曜日の午前中に転院する方向で進めてよいか、という打診。
やっぱり特養に戻るのは無理なんだな・・・・・・
熱などが下がっても、夜間の痰の吸引が必要な状態がまだ続くと判断されたのでしょう。仕方ありません。
転院先にいられるのは最高60日まで。年内にはまたどこか施設を探してもらって、移動することになりそうです。
義母がこういった状態なので、どうしたものかと悩んでいるのが年賀状。
年々出す枚数は減ってきてはいますが、相方のお客様へ出す分だけでも用意しておくべきだろうか。いやそれとも、ギリギリまで様子を見るか。
私が結婚してこの家に来た2年後、年末に向けて早々と年賀状を書き上げていたら、12月の初めに相方の祖母が亡くなって、今度は喪中欠礼のはがきを書く羽目になってしまった、なんてことが
ありましたっけ。通信面はともかく、宛名は二度手間に。宛名だけは手書きをモットーとしているものだから、結構大変だったんです。
当時は娘もまだ1歳半くらいでしたが、こういうバタバタのときは義父母と同居していると子守りなどしてもらえるのでありがたかったし、家事も義母と分担していたので今と比べると
ずいぶん楽をしていました。その反面、気苦労もありましたけどね。
その相方の祖母が亡くなったとき、義父母はまだ50代半ば。今から考えるとかなり若かったんですね。
それこそ家族を亡くした後のいろいろな事柄も、相方や私と同居していたことで精神的にもかなりラクだったのではないかしら。
その頃の義父母に比べると10歳年齢が上がっていて、しかもすぐ身近に子どもたちもいない。それほど離れたところに子どもたちが住んでいるわけでもないのに、そのことが心のどこかで
ひっかかっています。
50代の頃、このブログを始めた頃は、思い返すとかなり強気だったなと思います。半ば呆れるほど。
人生100年時代と言われますが、それでも既に黄昏どきに差しかかっている年代。気持ちがしぼみがちになるのも当然ですが、後々もっと歳をとったらきっと「あの時はまだ・・・」
なんて言っているんでしょうね。
今日は気分のギアがシフトダウンしているような記事になりましたけど、明日はもうちょっと上向きになれるといいな。