昨日と今日の狭間あたりの午前0時前、なんだかお腹が痛い・・・と思ってトイレに行ったら、ものすごい痛みが襲ってきました。なんなんだ、これ?
尾籠な話で申し訳ないですが、そういう痛みのときは当然「ゲリラ」が襲ってくるものだけれど、痛みが激しいわりにはなかなかお出ましにならず。
顔をしかめながら数分後になってようやくお出ましになりました。
その後もしばらく腹痛は続いたので、なかなかトイレから立ち上がることが出来ませんでした。なんとか収まったのが5分以上10分未満くらい経ってから。
布団に戻ったあとも、また腹痛が襲ってこないかとびくびくしていましたが、その後は4時過ぎに目が覚めるまでなんとか大丈夫でした。
起きてからは何を口にするのも恐る恐る。朝のコーヒーとバナナ半分を摂ったあと腸がゴロゴロと鳴りましたけど、とりあえずトイレからのお呼びはありません。
相方はなんともないので、何かに中ったわけではなさそう。多分このところの食べ過ぎがいけないのでしょう。このゲリラの襲撃により、昨夜測ったときより
体重が1.3キロ減っていました。それでもまだ充分重い(苦笑)。
さてこの前、4月からの仕事のチャンスの神様の前髪をなんとかつかんだ話を書きましたが、このところアピールチャンスの神様の前髪はつかみそこね続けています。
編集画面を開いているにもかかわらず、アピールチャンスがやってきたことに気づくのが遅れて失敗しているんですよね。
気づけば来月のバイトまであと1週間。
一週間「ある」と考えるのと「しかない」と考えるのでは、おろおろ加減が違いますが、私の場合はどうしようもなく後者。
しかも、もしかして4月から一年間バイトとなると、より余裕がない。
いくら確定申告の締め切りが一か月延びたと言っても、やらなきゃ終わりません。畑にだって行かなくちゃならないでしょうし。
ここはひとつ、例えば確定申告が無事終了したら何か自分にご褒美を与えるという、馬にニンジン方式を採用するのがベストなんじゃないかと考えます。
ただコロナ禍の昨今なので、どこかへ出かけるのはまだ少し気が引けるし、あまりものを増やしたくないと思っているので服など欲しくないわけではないけれど
なかなか買いづらい。
まして、食べものはあきまへん!お肉の貯金が増えるばかり(それも体脂肪がほとんど)。
どうしてこう、やらなきゃならないことってやりたくないことばかりなんでしょう?これ考えると、禅問答のようになりそうな気がしますが、いい年をして
悟りを開けない凡夫の私ですが、一番よさそうだと思うのが、「やりたくない」という気持ちを封印する、というもの。
要するに、考えずに淡々と目の前の事柄をやっていく。まるで機械かロボットかのようにやる、というのが、それこそ悟りかもしれない!
今までやってきた義父母の世話などにしたって、自分がしなければ誰にもやってもらえないからずっとやってきました。充分ではなかったし、よい嫁じゃ
なかったとも思いますが、私なりにやるべきことはやったという気持ち。
嫌なこととか困難なこともやったり乗り越えたりすれば、やった!という達成感を得られます。それはやっぱり気持ちいいもの。
後回しにしないで、さっさとやるに限りますね。