Over 60's yukinokoブログ

実家の片づけ、そして義母を送って、次は自分の生前整理だな

慣れぬ庭掃除のツケと、我慢の蓋は外しましょうという話

2024-11-30 08:45:57 | えとせとら

やっと気温が平年並みくらいになってきたので、昨日はかねてからやろうと考えていたことをやりました。それは庭や玄関の植え込みなどの掃除。

裏庭には二羽とかいう早口言葉みたいにニワトリはいないけど、渋柿甘柿の木から落ちたたくさんの葉っぱがずっと気になっていたんです。

でも高温傾向が続いていて、掃除をし始めるとあのぶ~ん・・・という羽音が。完全防備で臨んでも必ずどこか刺されるしうっとうしくてはかどらないので、

涼しくなるのを待っていたのでした。で、昨日ようやくそのときが来た、とばかりに。

ただ右肩が痛くなるし膝もつけないので中腰姿勢が続くから、あまり長時間連続では出来ないわけで。それにゴミ袋だってすぐに満タンになるんだもの。

庭のほうは落ち葉ばかりではなく、シダがあちこちにかなり生えているのでそれも一緒に。シダって漢字で書くと羊歯ですが、ヒツジの歯ってこんなだっけ?

そしてシダ以上にずっと懸案事項だったのが、ハラン。庭にも玄関にもあるのですが、ずっと放置状態でかなり生い茂ってしまっているんです。

枯れたものは引っ張れば簡単に抜けるけれど、それだけではすっきりとはとても言えず。

それにハランの葉の間に入った落ち葉がかなりあって掃除もしにくいので、邪魔!と思えるものはカット。でもハランの葉って切ったあともなかなか面倒で。

縦に長いし茎?も固いので、まず葉の部分を切り落としてから茎を細かく切らないとゴミ袋にすぐ穴が空いてしまいそうになるんです。

午前と午後、それほど長い時間ではなかったけれど、やっぱり夜中に右肩が痛くて目が覚めるし、起きたら起きたで腰が痛い。来週リハビリに行かなくちゃ。

 

この庭掃除はやりたいこと、と言ってもその大方は義務。

本当に自分がやりたいことって、いったい何?という日々がずっと続いています。もうこれ、年単位。

よく言う「空の巣症候群」だとは思っていませんが、子どもも独立し親も送って、自分に使える時間がほとんどという状態になったのに、どうもこれと言って

やりたいことが見つからい。そして悶々とする。

そんなとき、Amazonのおすすめに出てきたのが

                

ジェーン・スーさんのことは、それこそAmazonのおすすめ本で見て名前は知っていました。でもどんな人か全く知らない状態が長く、名前からして日本人?

もしくは香港あたりの人なのか、それともハーフとか?とあれこれ想像していました。

今年になってからだったか、あさイチで視聴者からのお悩み相談みたいなことをやっていたのを見て、面白い考え方だし、しゃべりも歯切れがよくて好感が

持てましたね。

で、もうひとりの桜林さんって何者?プロフィールを見ると「雑談の人」なんてあるけど、これって職業?

試し読みもしてなかなか面白そうだと思ったので、こうして手元にあります。2読しましたが、こうした考え方もあるのだなとあれこれ思わされました。

全く正反対と言っていいこのふたりのものの考え方、どちらかというと私はサクちゃんこと桜林さん寄りの部分が多いような気がします。部分的にはスーさん

寄りのところもないわけではない。多分大方のひとはそうじゃないかな。というより、スーさんとほぼ一緒のひとはかなり少数派のような。

Podcastの番組をおふたりでやっていて、その中での雑談を文におこしたものもあるし、それぞれの考え方をまとめた章もあります。ここ数日、共感出来る

ところなどを書き抜きしましたが、サクちゃんの文からのものが多かったような気がします。

その中にあったんですよ、何かと理由をつけて自分の願望に自分で蓋をしていないか、みたいなこと。サクちゃんもそうだけれど、私も金銭的なことを理由に

やりたいことがあってもずっと我慢してきたところが。そしてたまにその恨みつらみを相方にぶちまけて、その後落ち込むという負のループ。

よく他人に我慢はよくないと言っていたんですよ。特に相方はそうした気持ちを抱え込んで胃が痛くなるタイプなんですが、私が爆発すると一層そうなる。

まあこれ、性格なのである程度は仕方ないのでしょうけどね。かく言う私も出来るだけ発散してきたつもりですが、澱のように心の奥底に少しずつ溜まって

しまうものもやっぱりあるわけで。

 

そうか、残りの人生、我慢の蓋をちょっと外してやってもいいんだな。

 

なんて思う、単純な私。

私の場合金銭的理由の他に、ものを出来るだけ残したくない、というのもあります。なので作ったものがかさばりそうなもの、例えば陶芸とか絵画とか、やって

みたくないわけじゃないけど、後始末が、ねぇ。うまく出来ればまだしも。いや、逆か。下手ならあっさり手放せるけどなまじうまく出来ちゃったら捨てづらい。

こんな思考回路なので、何か作るにしても実用品がほとんどだったけど、そういう気持ちも手放していいかもしれない。

そう考えてとりあえずやったことについては、また明日、かな。

この他にもどんな人でも持っていそうなお悩みや生き方などにヒントが得られるところが多いです。同じテーブルに座っていても見えている景色が違う、なんて

例えがあったっけ。他人から同じことを言われても受け取り方が全然違うとか。真逆なふたりのやり取りを覗くと、これまでと違った受け止め方が出来るかも

しれませんね。

 

今日は孫の遅い七五三詣り。お昼前に出かけますが、曇っていた夜明けから一転して青空が見えてきました。やっぱりお祝い事には晴天が相応しいですもんね。

まだ開けていない雨戸を開けないと。心も雨戸閉めっぱなしじゃなく、窓も開けて空気、入れ換えなくてはね。


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