年賀状じまいをどうしようかとあれこれ悩んだけれど、いくらか数は絞ったものの出すことにして、あとはポストに入れるだけの状態。
もっとも相方の同級生のうち年賀状だけの付き合いの人の中には、様子見にした人も。だいたいずっと私が書いて(宛名だけ)いて、相方の気持ちはこれっぽちも
入っていなかったんだもの。
いただく年賀状も印刷ばかりで、きれいではあるけれどなんだかつまらない。今年の年賀状は久しぶりにハンコを使ったけれど、それでもお手軽さは印刷と
あまり変わらないので、自分の友人宛てには全部ひと言ずつ書き添えました。今年は骨折というネタがあったので書くことに困らなかったな。
今日は冬至ですが、今年は柚子が高いような気がするし、見ためもあまりきれいじゃないものが多くて、柚子湯はやめることにしました。だいたい柚子湯って
香りはいいけれど、お湯につかってしばらくすると肌がチクチクするんです。成分が私の肌に合っていないらしい。
カボチャだけは食べようと思って、一口大にカットしたものを買ってきました。最近四分の一サイズのカットカボチャですら一度に使いきれないので。
売られていたカボチャは御祈禱を受けたカボチャ、と書いてあって、お値段もやや高め。なんか理由をつけて値を上げているように見えなくもない。
クリスマス向けと迎春用の食材とが同時に並んでいて、いつもの食材の置き場所が変わってしまって、売り場をうろうろしなくてはならないのもこの季節ならでは。
うろうろしているうちに余分なものがレジかごに入るように、売り手も考えていますよね。そうした策に引っかからないようにしなくては。
年賀状しまいはしなかったけれど、この正月からやめることにしたのが、鏡餅。
もっとも何年か前から餅の鏡餅ではなく(って、なんか変)中身が砂糖の小さな鏡餅を供えていました。葉みかんは作り物でなく生を両面テープでくっつけて。
その砂糖を使って鏡開きの時のぜんざいを作ってきましたが、本物の餅でないのだし、もう飾らなくてもいいか、と思えて。
同じように玄関門扉につけていた門松、立派な置き形のものでなく雄松雌松に笹と梅の枝がついたものについてもやめたかったのですが、相方が飾りたいと
言うので存続に。
昔は車にも一台一台しめ飾りをつけたものですが、めっきり見なくなりましたね。玄関などにはしめ飾りをするけれど、それも使い切りではないものが増えて
います。役目を終えればいくら縁起物でも不用品。処分に困るよりは同じものを使うほうが環境にはよいのかも。
昨日ラジオで、生活困窮者支援をしている団体の人が話していましたが、この物価高で食品の提供数が減っているそう。
特にお米が少なくなっているので、ひとりあたりの量を減らして対応しているとのことでした。
困窮している人の実情も少し紹介されていたけれど、聞いているだけで胸が痛くなる思い。
貧富の差が激しいとは常々感じているものの、命に危険が及びそうなほどの状況の人もいるようで、もう少しなんとかならないのかと思ったし、何も出来ない
自分も情けなく思いました。
寒さが厳しくなってきましたが、どの人も少しでも寒さがしのげて、穏やかに歳を越せるといいなと願うばかり。
さて来週畑に行く予定があるのですが、その翌日相方は息子を伴って竹取の翁ではありませんが竹を調達しに出かけることになっています。
初釜用の掛け花入れを作るためですが、根っこの部分が必要なので、ただ竹を伐るのではなく根から掘り起こすのでそれは大変なんです。
以前は私がついて行ったこともあったけれど、平坦なところでなく斜面に生えたものを掘るため足場も不安定。怪我無く済めばいいのですが、そのために
息子が前日から我が家に泊まるということをすっかり忘れておりまして。それに昨夜気づいて少々慌てております。
泊まるとなると布団の用意などもあるけれど、一番厄介なのが晩ごはん。畑から帰った日の夕食はそれはかなり適当なもので、予定では冷凍の温めるだけの
ヒレカツだったけれど、それでは数が足らなくて。
冷蔵庫の中もあまり潤沢でないから、何かしら買っておかないとね。
そういえば骨折の再手術になった場合に利用してみようかと試しに購入していた冷凍のおかずやお弁当ですが、最近のものはよく出来ているなと思う反面、
相方には量が少なかったり、野菜がぐんにゃりとしておいしいと思えなかったりで、結論としては今ひとつ、でした。
再手術が決まったときには、前のときと同様、湯煎で温められるものが無難かな。