昨日仕入れてきたアジサイ。
この時期は母の日用のこうした豪華な鉢花が多いのですが、今が花の開き具合のピークなものが多くて、お客さんのところで一か月ほどもつものを探すのは一苦労だったりします。
上の写真のような絞りの入ったガクアジサイは初めて見たような。この他にも玉アジサイで私の好きな感じのものがありましたが、仕事で使うには盛りを過ぎた感じだったので
選べませんでした。
今月末か来月初めにまたこれらのアジサイを引き取ってくることになりますが、毎年同じようなことの繰り返しなので、我が家のアジサイも増えてしまいがち。たまに枯らしてしまう
ことがないわけではないけれど、数年に一度くらいなんだもの。
我が家の庭のアジサイたちもすくすくと枝葉を伸ばしています。日差しも強くなっているので、葉の日焼けが心配だな。
きれいな花の写真で始めましたが、今日の話の中身はかなりどんより。
去年は不祝儀続きだったのだけれど、先日法事を行った義母を除いて、兄と姉のふたりについては法事の予定はありません。
正確に言えば、兄についてはある、らしい。でも私には連絡はない。
これには義姉が信仰する宗教が関わっています。
詳細は書きませんが、兄の葬儀もその宗教のスタイルで行われて、次姉と私は釈然としないまま、そして不満やら憤りを感じながら兄を送ったのでした。
その後7月に納骨を済ませて、義姉たちとは今後疎遠になるだろうなと思っていたんです。いわゆる初七日や忌明け法要もなかったので。
そんなふうに思っていたら、今年に入って義姉から次姉に手紙が届いたそうで、6月に仏壇を新しくすることと、そのときに義姉の信仰する宗教のなんらかの儀式みたいなものを
行うようなことが書いてあったみたいです。
去年の6月25日の記事にも書きましたが、かなり前、次姉は子どもふたりを連れて特に深く考えもせず、義姉に誘われてその宗教の話を聞きに行ったことがあり、義姉からすると
「もう一押し」して自分の宗教に引っ張り込みたい、のではないかなというのが私たちの見立て。
その手紙が来たあと、先月だったかその前だかに、電話をかけてかなり長時間話して自分の気持ちを伝えた、と次姉から報告を受けました。
実際どんなふうに話したかはわかりませんが、次姉は言いたいこと言ってすっきりしたようで、兄や姉の供養は私たちだけでお墓参りすればいいよね、と言っていたんです。
ところが、先日。次姉からLINEが来て、義姉からまた手紙が届いたと言ってその文面を写真に撮ったものを送ってきました。
その文面を読んで、義姉は全く懲りていない、という表現は当たらないかもしれないけれど、次姉の真意がほとんど伝わっていないことにがっかり。でも一方でやっぱり、とも
感じましたね。
法事のときにこの尊い体験を感じてほしい、などと書いてありましたが、次姉にとっても私にとっても尊いどころか、恐怖でしかない(苦笑)。
この話、義姉は私には直接言ってきません。そのわけを次姉が尋ねたところ「(私がその宗教を)嫌いだから」と言っていたそう。
確かに昔、「話を聞きに来ない?」と言われたことは覚えていますが、そのときどんなふうに断ったかまでは覚えていません。
でも多分私のことなので、きっぱりバッサリとNOを言ったんだと思います。
日本人はNO以外にも自分の気持ちや意見をはっきり言わないことが美徳、みたいな考え方の人が多いような気がするんですが、時にはきっぱり言ったほうがいいなとつくづく
思います。
他にも気の乗らないお誘いを断れないとか、一度断ったら仲間はずれにされそうだからとかなどの理由でNOが言えない人も多いでしょう。
でも自分が機嫌よく生きていきたいなら、時にはきっぱりNOも言わないとね。
義姉が強く推してくるのには年齢のせいもあるかもしれません。もしかすると認知能力も落ちているから、次姉の話したことを全部理解出来なかったかもしれないし。
なので次姉は今度は義姉の息子、つまり甥っ子に話して断ると話していました。私もそのほうがいいと思う。甥っ子ならさすがにそこまでゴリ押しはしないでしょう。
仮にもし、義姉が私にお誘いをかけてくるようなことがあったら、積年のあれやこれを全部ぶちまけてから縁を切ろうと思っています。まあでも多分お誘いはないでしょうけど。
亡くなった兄も、おそらく妻と妹たちが揉めることは予想していたはず。死ぬ前にひと言妻に宗教の勧誘はするな、って言っておいて欲しかったなぁ。