ベーシッククラスが始まって二ヶ月。
あっという間にメンバーは30人を超え、募集は締め切りになりました。
こんなに早く定員オーバーするとは思ってなくて嬉しい悲鳴をあげてます。
16時から始まるクラスを検討中ですのでしばらくお待ちください。
練習も高学年と低学年とはっきり分ける事にしました。
自分は低学年チームを任されましたがそれだけでも今日は19人も出席してくれました。
低学年はあまり細かい指示はしないようにしてとにかく色んな動きをたくさんする事に主眼を置いています。
今日のリレーは走ってる人だけでなく待ってる人も参加できるようなルールを考えてみました。
誕生日で4か月ごとにチーム分けしようと思ったんですが9~12月生まれだけなぜか多かったです。
練習の流れは決まってきて、新しく入った子もだんだんこの流れをつかんできてくれています。
大枠だけはしっかり決めておいてその中身は常に子ども達にとって新鮮で刺激的なものになるよう努力していきます。
月曜日に悠希も含めて4人で飲み会をしました。
みんな清新三小SCで畠中コーチの指導を受け、自分以外は中学陸上経験者です。
こういう集まりで話す内容はやっぱり昔の練習や試合のこと。
子供時代のスポーツ経験は一生記憶に残ります。
JACのみんなの頑張りもいつか素敵な思い出になりますように。
学生時代とはまた違うんだけどもまだまだみんな夢の途中。
20代中盤というこの怖いもの知らずのこの年代。
振り返った時一番充実してたと言えるんじゃないかな。
妻帯者もいるし、子どもがいる人も。
同級生の子どもをJACで指導する日も近いかも。
またいつかみんなで走れる日が来たらいいな。
大人も巻き込んでたくさんの人に走ってもらうのが自分のクラブの理想型ですので。
理想の実現の前にまずはできることから。
ベーシッククラスはまだまだ手探りでそれが子どもたちに伝わってしまうのか落ち着かない状況が続いてしまってます。
新しいクラス増やす事も検討中ですし、これからも試行錯誤が続きますが応援してくれたその同級生の期待に応えるためにもなにより頑張ってるみんなのためにもベストな道を模索し続けます。
一般男子1500m
4分44秒68 7位入賞
出場決めてからは4分50秒を目標にしてましたが、直前の練習で調子が良かった事もあり45秒ぐらいは出るかなと思ってたらまさにその通りの結果に。
しかも入賞のおまけつき。
正直けっこう嬉しいです。
駅伝以外では人生初の賞状。
高校生も多く出てるし、真ん中くらいを走ることになると思っていたのですがスタートしてびっくり。
そんなにとばしたつもりはないのにいきなり先頭の方に。
練習で中学生と走ってる時の方が速いと感じたし、応援も多く欲が出ました。
2位にまであがりトップに引っ張ってもらおうと思いましたが300~600m頑張りすぎた結果ラスト2周を前に足が動かなかったです。
1000mを3分6秒で通過したのに、そこから切り替えられず。
力は出し尽くしたけど完璧な試合展開ではなかったので、逆に言えばまだ伸びしろがある気がする。
次の目標は女子全中標準の4分38秒。
ここ突破して中女を余裕で引っ張れるくらいにはなりたいです。
マラソン大会たくさん出てるけどトラックのレースは実は初めて。
コーチがデビューでいきなり活躍すると中学陸上が楽しくなるとよく言ってますがその気持ちがよくわかりました。
これからJACのOBも出てくるかもしれないけど毎年入賞を防衛していきます。
今年の卒業生から貰った色紙に自分の頑張ってる姿を見て頑張れたと書いてありました。
今日の悠希みたいにかっこ良く先頭を走ってクラブの子の憧れの存在になるのが理想でしたがそれ見てからはかっこ悪くても必死にがむしゃらに走る姿を見せる事も自分の役目なんだと思えるように。
自分の話ばっかりになりましたが小学生も頑張りました。
ベーシックからも1年生が100mに出場。
チセノもユウもユニフォーム姿かっこよかったよ。
雲の切れ目からなんとか金環日食見れました。
前回日本で見る事ができたのは1987年。
自分が生まれた年です。
過去を振り返る気分になったので予告したまますっかり忘れてた思い出三部作の最終章~JAC復帰編~です。
ごく普通の進学校に入学(2003年)した自分は中学同様野球部に入るつもりでしたが、設備や先輩に惹かれて器械体操部に入りました。
仲間にも恵まれたし充実した3年間でした。
顧問があまり練習に来なかった事もあり、自分たちで練習メニューを考えたり後輩への指導をしたりと今思うと指導者としての原点はここにあった気がします。
そして大学入学(2006年)。
大学では体操の経験を活かしてダンスでもやってチャラいキャンパスライフを送るつもりでしたが、自分の大学のダンスサークルには女子しかいなくて、それはそれで良かったのですがやはり自分の本当にやりたいジャンルとは違ったためすぐに辞めてしまいました。
初めて迎えた部活も受験もない日常。
遊んでばかりいたけどやっぱり何か物足りなさを感じていました。
なにかに夢中になりたいと思いながらもなにをやったらいいかわからずただただ時間だけが過ぎていきました。
学校以外でスポーツをすることの難しさを痛感しました。
そんな時間とやる気を持て余していた自分が走ろうと思うきっかけはやはり2007年から始まった東京マラソンです。
とりあえず応募だけしてみて当選したら練習始めようと思ってました。
第2回大会から応募し続けて早5年。
いまだに当選しません…。
これではいつまでたっても走れないなと思いとりあえず江戸川マラソンに挑戦する事を決め、2008年の夏頃から本当に気が向いたらでしたが走り始めました。
ちなみに悠希コーチが大学の陸上部を辞めてしまったのもたしかそんな時期。
これもなにかの縁でしょうか。
残っていた最古の記録は2008年6月1日。
土手5kmで29分29秒でした。
そして迎えた2008年10月26日第29回江戸川マラソン。
まさかの60分切れず。
そんな悲惨な結果を残しましたが、大きな収穫も得ました。
JACがまだ活動していることを知ったのです。
全中チャンピオンを輩出していた事など露知らず、昔みたいに親子で楽しく走っていると思っていたので江戸陸で練習したら交ぜてもらえるかななんて思っていましたが江戸陸は半年間の改修工事中に入り使えない状況でした。
悩んだ挙句クラブのHPに一緒に走らせてほしいというメールを思いきって出しました。
消極的な自分がなんでそんな事をしたのか今でも本当に不思議です。
そして2008年12月4日。
実に6年振りにJACに復帰。
自分の事を知っているのは畠中コーチと宮川さんだけという状況。
自分が知っている幼稚園だった子は立派な中学生に。
まさに浦島太郎状態。
ちなみに復帰後初練習は2kmT.T。
結果は9分22秒。
こんなんでも一人で練習してたときには絶対出ないようなタイムでした。
仲間と一緒に走る楽しみを知り、そして走るたびにタイムが伸びていく長距離に瞬く間に魅了されました。
火木の練習に参加していただけだったのが、土日の練習や遠征、朝練から合宿まで気付けばJACが生活の中心になっていました。
走り始めてもう5年。
フルマラソン完走したり、駅伝走ったりと当初の目標は大体達成しました。
でも走れば走るほど新しい目標が見えてきてなかなかゴールは見えてきません。
それに今はもう部員みんなの夢も自分の夢になりました。
これからもたくさんの夢をみんなと叶えていきたいです。
土曜日はクラブとベーシックの初めての合同練。
中学生と合わせると総勢40人くらいになりました。
今後JACでイベントをやるときはすさまじい事になりそうです。
小学生には中学生の動きや取り組みかたから学んで欲しいことがいっぱいあるし、逆に中学生には憧れの存在であるという自覚を持ってもらいたいです。
今回はアドバイザーの熊耳コーチに来てもらってスプリントドリルをやりました。
小学生には少し難しかったかな。
体のバランスや体重移動をあそこまで考えなきゃいけないのかと1/100秒を争う短距離の世界の奥深さを感じました。
あの練習をしたからといって急に速くなるわけではないと思います。
普段の練習に取り入れたり、意識して体を動かすことでスピードアップにつなげていきたいです。
次の日運動会の子もいたのに結構遅くまで練習しちゃったけどみんな頑張れたかな。