大河ドラマがこの正月明けからスタートして、2ヶ月が過ぎようとしている。毎回観ているが、ここのところ観ようとする気も遠のいてしまいそう・・・・。
物語の方は、信長が本能寺で亡くなり、光秀の3日天下も終焉となって、いよいよ秀吉が台頭してくる展開となってきている。
今年の大河ドラマは、記念すべき50作目ということでNHKの方でも何かと力も入っているようであるが、昨年の「龍馬伝」と比べるとかなりというか、相当見劣りするように思われる・・・・当方だけだろうか
主役の女優さん、そろそろ時代劇にも慣れてきてそれらしい所作・振る舞いになってくるものかと・・・・・待っているが、その期待にはまだ応えてもらっていない。
現代劇か学芸会でもやっているような雰囲気から、早く抜け出してもらいたい・・・・知人の中には、今年の大河の脚本家に期待し観ていたが、観るに堪えないので止めたという方もいる。
さらに豊臣秀吉、これからの天下人である秀吉役の岸谷五朗さんの演技、寝て駄々をこねたり、突拍子もない顔をつくったりと全てがオーバーアクションで・・・・・我が家では不評の1番手。
過去からの大河ドラマには、色々な役者さんが秀吉を演じてきているが、今回の秀吉ばかりはミスキャストに思える。
極めて残念である
演出家も役者さんも“ウケ狙い”のためにあのような演技を要求し、演じているのだろうか・・・・ちょっと解せない。
連綿と継いできているNHKの看板番組の大河ドラマ、そこには時代劇としての風格と気品が求められていると思っている。
スタッフのブログにもあったが「時代劇をつくるためにはロケ地とかも限られ、厳しい経済情勢の現代では予算的にも極めてきついので、時代劇番組を作ってきた長い歴史の中での財産というものがあり、それをうまく工夫して用いている」と、あった。
例えば、大道具・小道具の類など・・・・・。
「民放局がいきなり時代劇を作ろうとしても相当な経費を必要とし、スポンサーも厳しくなっている折り大変のようであるが、NHKでは諸先輩方の残してくれた大きな財産があって本当に助かっている」・・・・と。
このように過去の長い歴史と制作スタッフと演じる役者さんなどの情熱によって作られてきたと思っている。
視聴者にとってみれば、大河ドラマでは喜劇性とか“ウケ狙い”など、特に必要ではないものと思っており・・・・・何とかならないものだろうか。

豊臣秀吉像(狩野光信筆 高台寺蔵 重文)
(出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
20日(日)、放送された部分で秀吉が光秀を倒して、天下取りに大きく踏み出す切っ掛けとなる下り・・・・。
「三法師」を担ぎ出して、居並ぶ諸候(もっと沢山出ているのでは)の前で、亡き信長公、亡き信忠公の嫡流である三法師の後見人として天下を平定すると知らしめる大事な場面である。
今回のドラマでは、この場面ひとつとっても重厚感がなかった。とても大事な場面なのに江姫が聞き耳を立てているなど、とても安っぽい仕上がりになっており興醒めである・・・・・どこか違うのではないか。
などと、批評しながら何とか我慢して観ているが、期待に応えてもらえる日が来るものだろうか・・・・このままの状態で1年が終わるのなら、観なくなりそうである。
寂しい限り・・・・・である。
ちょっと、批評めいた気持を記載してみた。(咲・夫)
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物語の方は、信長が本能寺で亡くなり、光秀の3日天下も終焉となって、いよいよ秀吉が台頭してくる展開となってきている。
今年の大河ドラマは、記念すべき50作目ということでNHKの方でも何かと力も入っているようであるが、昨年の「龍馬伝」と比べるとかなりというか、相当見劣りするように思われる・・・・当方だけだろうか

主役の女優さん、そろそろ時代劇にも慣れてきてそれらしい所作・振る舞いになってくるものかと・・・・・待っているが、その期待にはまだ応えてもらっていない。
現代劇か学芸会でもやっているような雰囲気から、早く抜け出してもらいたい・・・・知人の中には、今年の大河の脚本家に期待し観ていたが、観るに堪えないので止めたという方もいる。

さらに豊臣秀吉、これからの天下人である秀吉役の岸谷五朗さんの演技、寝て駄々をこねたり、突拍子もない顔をつくったりと全てがオーバーアクションで・・・・・我が家では不評の1番手。
過去からの大河ドラマには、色々な役者さんが秀吉を演じてきているが、今回の秀吉ばかりはミスキャストに思える。
極めて残念である

演出家も役者さんも“ウケ狙い”のためにあのような演技を要求し、演じているのだろうか・・・・ちょっと解せない。
連綿と継いできているNHKの看板番組の大河ドラマ、そこには時代劇としての風格と気品が求められていると思っている。

スタッフのブログにもあったが「時代劇をつくるためにはロケ地とかも限られ、厳しい経済情勢の現代では予算的にも極めてきついので、時代劇番組を作ってきた長い歴史の中での財産というものがあり、それをうまく工夫して用いている」と、あった。
例えば、大道具・小道具の類など・・・・・。
「民放局がいきなり時代劇を作ろうとしても相当な経費を必要とし、スポンサーも厳しくなっている折り大変のようであるが、NHKでは諸先輩方の残してくれた大きな財産があって本当に助かっている」・・・・と。
このように過去の長い歴史と制作スタッフと演じる役者さんなどの情熱によって作られてきたと思っている。

視聴者にとってみれば、大河ドラマでは喜劇性とか“ウケ狙い”など、特に必要ではないものと思っており・・・・・何とかならないものだろうか。

豊臣秀吉像(狩野光信筆 高台寺蔵 重文)
(出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
20日(日)、放送された部分で秀吉が光秀を倒して、天下取りに大きく踏み出す切っ掛けとなる下り・・・・。
「三法師」を担ぎ出して、居並ぶ諸候(もっと沢山出ているのでは)の前で、亡き信長公、亡き信忠公の嫡流である三法師の後見人として天下を平定すると知らしめる大事な場面である。
今回のドラマでは、この場面ひとつとっても重厚感がなかった。とても大事な場面なのに江姫が聞き耳を立てているなど、とても安っぽい仕上がりになっており興醒めである・・・・・どこか違うのではないか。

などと、批評しながら何とか我慢して観ているが、期待に応えてもらえる日が来るものだろうか・・・・このままの状態で1年が終わるのなら、観なくなりそうである。
寂しい限り・・・・・である。
ちょっと、批評めいた気持を記載してみた。(咲・夫)
