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先般、スポーツ紙の片隅に「美浦・国枝栄厩舎所属の
国分優作騎手が、
栗東留学することとなった。」
「減量騎手としての特典(国分優作騎手は3キロ減)がありながら、美浦では騎乗の機会に恵まれなかったが、栗東においてはより多くの騎乗の機会が与えられるとのことから、師匠の国枝栄調教師の配慮で栗東留学が実現できた。馬券戦略にもちょっと参考にしておきたい・・・」と、いったような内容の記事が掲載されていた。
騎手生活2年目の国分優作騎手は、双子の弟・恭介騎手と共に騎手免許に合格し2009年3月1日にデビューしている。兄・優作は、美浦に所属し、弟・恭介は栗東に所属している。
ただ今現在の勝利数を見ると、
兄・優作・・・1着7回、2着14回、3着17回、着外377回
弟・恭介・・・1着75回、2着63回、3着99回、着外1127回
となっており、勝率・連帯率・3着内率共に弟・恭介に大きく離されている
騎乗回数が少ないと競馬学校時代に優秀であっても、実践でその技術を磨くことができないことをこの二人の成績が如実に物語っている。
若手騎手は、見習騎手として負担重量に優遇措置が取られている時期に勝ち星を上げないと、その特典がなくなった場合、騎乗機会に恵まれないといった悪循環に陥りやすい・・・・・兄・優作も必死である。
今年の弟・恭介は、騎乗機会にも恵まれ、中央・ローカル戦を問わずメキメキ実力を発揮し勝ち星を重ねてきた。
兄・優作は、11月から栗東留学で3キロ減の特典から騎乗機会に恵まれてきたが、勝ち星につながっていなかった。ところが、19日の阪神競馬で人気ウスに好騎乗し、1R、2Rと連続2着に粘りこみ、大荒れの方棒を担いでいる。
この日は、その後5R、12Rでも伏兵馬をまたしても2着に持ってくるなど、栗東の水に慣れたのか調子が上向いてきている。
当方も最終レースでは、国分優作騎手の頑張りに乗っかって和田竜二騎手との折り返し馬券のお世話になった・・・・・このレースは勝利してもらいたかった。
騎手の世界も他のプロスポーツ選手同様に大変厳しい現実が横たわっており、特に近年は短期免許取得の外国人騎手や地方競馬の剛腕騎手の参戦で、見習騎手や若手騎手にとっては戦々恐々の毎日である。
実践に乗らなければ、騎乗技術も磨けないが、その機会を得るには、平素からのトレーニングと実戦での負けん気、そして向上心であろう。
見習騎手の皆さん、多くのファンから愛される騎手になるためにも奮起して・・・・応援するから。
先週、若手騎手やベテラン騎手などが、早すぎる引退をしており厳しい現実を垣間見た。
今後、調教助手から将来の調教師への第一歩を踏み出すとのこと、この道はさらに厳しい狭き門、でも第二の人生を開花してもらいたい・・・・・・お疲れさまでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kirakira.gif)
(夫)
[追加1]
国分優作騎手は、2006年4月に競馬学校第25期生として双子の弟・恭介らと共に入学。2009年2月に競馬学校を卒業。
卒業の際に成績優秀者に贈られるアイルランド大使特別賞を受賞した。
兄・優作は美浦の国枝栄厩舎、弟・恭介は栗東の五十嵐忠男厩舎と東西別れての所属となった。
2009年4月19日、福島競馬場第5レースで7番人気ラレーヌデュバルに騎乗し24戦目で初勝利を挙げた。
栗東の恭介に比べ、勝利数、騎乗数共に大きく水を空けられる状況である(栗東に比べ美浦は厩舎の経営状況が苦しい事が影響し若手にチャンスが少なく、騎乗数も少ない為に騎手が育ちにくい状況にある)ものの、師匠の国枝栄の方針もあり、2010年11月より騎手としては珍しく「栗東留学」を行っている。
(出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 抜粋)
[追加2]~見習騎手~
JRAでは、騎手免許取得3年未満で通算100勝以下の騎手を見習騎手といって、負担重量にハンデ(減量の特典)がつけられている。ただし、減量制度はハンデキャップ競走と特別競走(重賞競走含む)を除く一般競走に適用。
斤量が1キロ軽いと1馬身違うと言われている。その減量騎手の見分け方は、☆、△、▲の各印が馬柱に記載されているので、いくらの特典を得ているか分かる。
☆印:1キロ減・・・・・51勝以上100勝以下
△印:2キロ減・・・・・31勝以上50勝以下
▲印:3キロ減・・・・・30勝以下
(出典:JRA公式HP 参照)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/a9/e0c5e2af150726fb3410971f37cf7e01.jpg)
「ナリタブライアンの鬣」