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「既に廃村かと思っていたら随分賑やかな様子にビックリです」とは、関西在住の妹からのライン。
先般、当方が小学校4年生の時新任で学級担任になられた先生、授業中に多くの生徒が教室を抜け出して先生を泣かせていた、随分と悪いことをする生徒たちに先生も苦労ばかりだったと思われる。
その先生も、町の役場勤めの方と結婚をされ、現在までご健在でいらっしゃるご様子に安堵している。
もう、何十年にもなるけど、小中学校の同窓会の際にお招きしたことがある。
子供時代の悪さを全員で謝ったものである。
その先生も米寿を迎えられるお歳になられたらしい。
ご主人は随分前に逝かれたとか。
時おり、新聞にご投稿なさっているけど、先般のこと田舎の様子を情景豊かにまとめられご投稿なさっていた。
当方、僅か15年間と短い期間の田舎生活だったけど、子供時代のことは鮮明に脳裏に焼き付いている。
その時代に覚えた田舎弁、未だに出て来るから不思議である。
本県の言葉は、出雲部と石見部ではまるっきり違うから不思議なものである。
ちなみに出雲部の言葉は、東北弁に似通っているため、あの松本清張原作の「砂の器」に登場したことはとても有名である。
当方、今では出雲部の中心地に暮らしているが、どうしても理解できない言葉などがあって随分と困ったものである。
それはとも角、先生の投稿された記事がとても良かったもので、妹にラインで記事の画像を送った。
すると、「既に廃村かと思っていたら随分賑やかな様子にビックリです」などと、返信が来ていた。
関西暮らしがほとんどの妹にしてみれば、実家もない田舎のことなどすっかり忘れていたものと思われる。
当方も30年以上も、いやもっと前からあちらには帰省していないから、普段はすっかり忘れている。
偶然に先生の投稿記事に出会い、子供時代の情景を思い起こさせてもらって、ちょっと懐かしく、嬉しくもなっていた。
本県の人口減少の著しい昨今、いずれは廃村となってしまうかも知れないとの懸念はある。(夫)
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確かに、松本清張の砂の器に出てきましたね。実際、どのような言葉なのか、出雲に出かけて聞いてみたいです。でも最近は、どこもかしこも標準語化されてしまって、長野県独特の言葉を聞く、話す事も人も少なくなってきたような雰囲気です。
石見弁は、広島弁によく似た言葉で、イントネーションも似ています。
出雲弁となるとズーズー弁ですから、東北弁のイントネーションに似通っていますね。
若い時、どうしても分からない言葉に出会いました。
物を運ぶということを「もそぶ」と、云うそうで。
初めて聞いた時、「むすぶ」と思い紐がありませんけどどうしてむすぶのですかと聞き返したものです。
すると「もそぶだわい」と云われ、つまり「運ぶ」ことでした。
そのようなことが他にもあり、同じ県でありながら言葉が違って驚いたものです。
また、出雲部の方は、例えば「CD」のことを、「シーディー」ではなくて、「シーデェー」と発音します。
「ディーサービス」も「デェーサービス」と。
もっとも、若い人は標準語に近い言葉が多いですね。
方言は確かに聞けなくなってはいます。
若い頃は、石見部から出雲部に来ると異国に来たと思えるものでした。
隣県の米子市は、出雲弁ではありません。
そこに目を付けた作品が、「砂の器」ですね。