28日、ついに龍馬伝の大詰めが放映された・・・・刺客の足音が、ヒタヒタと町角から聞こえてくる物騒な京の都。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_sup.gif)
大政奉還の影の立役者となった竜馬、旧幕府からも、武力闘争を願っている薩長からも、外国勢からも疎まれるようになっていたらしい・・・・。
竜馬を亡き者にと考える勢力、刺客が密かに探索している緊迫した時間・・・・・不気味さが、リアルに描かれている。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaminari.gif)
そんな危険な情勢の中、竜馬は近江屋に密かに隠れ住みながら、新しい体制下の「新政府網領八策」を書き、各藩に送っていた。
その中に書かれている空白部分、つまり「・・○○○を盟主として・・・」は、現代でも物議を醸している。
ドラマの中では、それは「みんなである。みんなから選ばれた者である」となっている。
あくまでも今後の日本は、朝廷を中心にした世の中、武士も農民も商人もすべてが平等な世の中として作り変え、そして日本人が一体になって外国勢力から国を守ろうと・・・・竜馬は考えていた。
正にドラマの中で口にするこの言葉
「日本人同士が殺し合うて、
えいことらあら、
ひとつもないがじゃき」
竜馬の心の中が、ここにすべて集約されていると思えた・・・・。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0150.gif)
昼夜を問わず新撰組や京都見廻組が町中を探索・・・・・分かっていても近江屋での竜馬の最期、来ないでほしいと。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_please.gif)
でも、ついにその時がやって来た・・・・・慶応3年(1867年)11月15日が![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/atten.gif)
中岡慎太郎がやって来て、議論をしている真っ只中、突然刺客がなだれ込み二人が反撃する余裕もないまま、一瞬のうちに斬殺されてしまった。
京都見廻組の相模組与頭の佐々木只三郎をはじめ、渡辺吉太郎、高橋安二郎、桂早之助、土肥仲蔵、桜井大三郎、今井信郎らの手によって・・・・![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_1.gif)
降りしきる雨の中での刺客たちの動き、取り分け今井信郎役の市川亀次郎さん・・・良かったです。さすが・・・・。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0161.gif)
この襲撃の場面、行燈の光の中で、その行燈も踏み倒され暗闇での刺客の素早い動き・・・・とてもリアルに描かれており、映像的には最高と思った。
でも、明治維新を目前にしたこの日、坂本竜馬は帰らぬ人となったが、明治維新を見届けてほしかった・・・・是非にも。
1年間、本当に龍馬伝を楽しむことができた・・・・関係者のみなさまお疲れさまでした。(咲・夫)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/d8/f493d8d7cb42e145ebae27363d6f8aa6.jpg)
「お龍さん」
[追 記 1]
~ 京都見廻組 ~
元治元年(1864年)、江戸幕府は京都守護職で会津藩主の松平容保の配下として、蒔田廣孝と松平康正を京都見廻役に任命した。幕臣(旗本・御家人)を配下として組織された。蒔田・松平がそれぞれに配下の組を持ち、それぞれの官職名から相模守組(蒔田)と出雲守組(松平)と称され、各200名ほどの隊士を指揮した。詰所は二条城の側に置かれたとされる。
見廻組は新選組と同じく、反幕府勢力の取り締まりを行った。主に御所や二条城周辺の官庁街を管轄とし、新選組は祇園や三条などの町人街、歓楽街を管轄とした。そのためか、新選組と共同戦線をとることはあまり無かったようである。
大政奉還後、新遊撃隊に改称された。
相模組与頭の佐々木只三郎をはじめ、渡辺吉太郎、高橋安二郎、桂早之助、土肥仲蔵、桜井大三郎、今井信郎らが坂本龍馬の暗殺に関与したとされる(近江屋事件)。
(出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
[追 記 2]
NHK総合が放送した最終回に字幕テロップが流れた件で物議を醸しているらしい。当方は、NHK HV放送を16:15から見たおかげでそのような事がなかった。
12月4日の再放送を見逃さないようにとのブログもある・・・・・一番いい場面でテロップが入ったらしいので。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_sup.gif)
大政奉還の影の立役者となった竜馬、旧幕府からも、武力闘争を願っている薩長からも、外国勢からも疎まれるようになっていたらしい・・・・。
竜馬を亡き者にと考える勢力、刺客が密かに探索している緊迫した時間・・・・・不気味さが、リアルに描かれている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaminari.gif)
そんな危険な情勢の中、竜馬は近江屋に密かに隠れ住みながら、新しい体制下の「新政府網領八策」を書き、各藩に送っていた。
その中に書かれている空白部分、つまり「・・○○○を盟主として・・・」は、現代でも物議を醸している。
ドラマの中では、それは「みんなである。みんなから選ばれた者である」となっている。
あくまでも今後の日本は、朝廷を中心にした世の中、武士も農民も商人もすべてが平等な世の中として作り変え、そして日本人が一体になって外国勢力から国を守ろうと・・・・竜馬は考えていた。
正にドラマの中で口にするこの言葉
「日本人同士が殺し合うて、
えいことらあら、
ひとつもないがじゃき」
竜馬の心の中が、ここにすべて集約されていると思えた・・・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0150.gif)
昼夜を問わず新撰組や京都見廻組が町中を探索・・・・・分かっていても近江屋での竜馬の最期、来ないでほしいと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_please.gif)
でも、ついにその時がやって来た・・・・・慶応3年(1867年)11月15日が
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/atten.gif)
中岡慎太郎がやって来て、議論をしている真っ只中、突然刺客がなだれ込み二人が反撃する余裕もないまま、一瞬のうちに斬殺されてしまった。
京都見廻組の相模組与頭の佐々木只三郎をはじめ、渡辺吉太郎、高橋安二郎、桂早之助、土肥仲蔵、桜井大三郎、今井信郎らの手によって・・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_1.gif)
降りしきる雨の中での刺客たちの動き、取り分け今井信郎役の市川亀次郎さん・・・良かったです。さすが・・・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0161.gif)
この襲撃の場面、行燈の光の中で、その行燈も踏み倒され暗闇での刺客の素早い動き・・・・とてもリアルに描かれており、映像的には最高と思った。
でも、明治維新を目前にしたこの日、坂本竜馬は帰らぬ人となったが、明治維新を見届けてほしかった・・・・是非にも。
1年間、本当に龍馬伝を楽しむことができた・・・・関係者のみなさまお疲れさまでした。(咲・夫)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/d8/f493d8d7cb42e145ebae27363d6f8aa6.jpg)
「お龍さん」
[追 記 1]
~ 京都見廻組 ~
元治元年(1864年)、江戸幕府は京都守護職で会津藩主の松平容保の配下として、蒔田廣孝と松平康正を京都見廻役に任命した。幕臣(旗本・御家人)を配下として組織された。蒔田・松平がそれぞれに配下の組を持ち、それぞれの官職名から相模守組(蒔田)と出雲守組(松平)と称され、各200名ほどの隊士を指揮した。詰所は二条城の側に置かれたとされる。
見廻組は新選組と同じく、反幕府勢力の取り締まりを行った。主に御所や二条城周辺の官庁街を管轄とし、新選組は祇園や三条などの町人街、歓楽街を管轄とした。そのためか、新選組と共同戦線をとることはあまり無かったようである。
大政奉還後、新遊撃隊に改称された。
相模組与頭の佐々木只三郎をはじめ、渡辺吉太郎、高橋安二郎、桂早之助、土肥仲蔵、桜井大三郎、今井信郎らが坂本龍馬の暗殺に関与したとされる(近江屋事件)。
(出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
[追 記 2]
NHK総合が放送した最終回に字幕テロップが流れた件で物議を醸しているらしい。当方は、NHK HV放送を16:15から見たおかげでそのような事がなかった。
12月4日の再放送を見逃さないようにとのブログもある・・・・・一番いい場面でテロップが入ったらしいので。