紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

ブラックボックス?

2009-05-08 23:00:00 | 新聞
 今日の毎日新聞のweb『毎日jp』より

東京電力柏崎刈羽原発7号機の運転再開容認を表明した新潟県の泉田裕彦知事は8日午前、東電の清水正孝社長を県庁に呼び、起動試験(試運転)に入ることに同意する文書を手渡した。東電はこれを受け同日午後から原子炉の起動準備を開始、9日にも制御棒を引き抜いて臨界に達する見通し。順調に進めば6月下旬にも営業運転に入る。

 いいのか、新潟県民??・・・というか日本人?? 

 絶対反対している人たちはいるはずなのに、それについてはメディアがそろってスルーし、沈黙を守っているので、なんだかゾッとする。

阿修羅ファンクラブ

2008-10-20 23:50:30 | 新聞
 何日か前の朝日新聞の記事である。天声人語の少し上辺りに、「みうらじゅん」の文字があるのをめざとく見つけてしまった私は、その記事をしっかりと読んだ。
 それは来年、東京で開催される展覧会『国宝 阿修羅展』についての記事だったのだが、なぜかその記事に、みうらじゅんらが『阿修羅ファンクラブ』を結成したことも展覧会と同等の扱いで??書かれていたのだ。

 『阿修羅ファンクラブ』!? 

 たしかに、ファンが多い仏像である。異形だし、着色がきれいに残っているし、仏像なのに煩悩深げで苦悩の表情だし、スリムだし、少年っぽいし、萩尾望都の漫画『百億の・・・』にも出て来るキャラだし。

 京都から近鉄奈良線に乗って終着駅で降りれば、そこからは奈良公園、東大寺、国立奈良博物館、そして興福寺国宝館は歩いていける。日帰りで充分行ける場所である。思い立てばいつでも見に行くことができる恵まれた関西圏で生活しているので、仏像はどちらかといえば好きではあるが、ファンというほどにはハングリーな想いはない。

 だからファンクラブに入る予定は、いまのところない。東京まで阿修羅像を見に行くこともないだろうし。しかしファンクラブって、一体何を?とは思う。

 もしかすると、たんなる思いつきか? しかし、これからとんでもないイベントとか、グッズの販売とかあるかもしれないので、ちょっとときどきチェックしなくては。なにしろ、みうらじゅんがファンクラブ会長なのだからね。

***おかげさまで、Kちゃんは今日から登校して元気にクラブもしているようです。気にしていただいた皆様、どうもありがとうございました。

踊り念仏

2007-10-19 17:40:39 | 新聞
 で、大阪市、国立文楽劇場で行われた『祈りのかたち』のラストは、山形県天童市・仏向寺の「踊躍(ゆやく)念仏」、通称「踊り念仏」である。念仏を唱えることによる宗教的な陶酔や感動を表現するものであり、これが後の民間券\の踊りへと発展したというのだ。日本の踊りのルーツは、踊り念仏なのである。

 これは鎌倉時代の一向上人が始めた形式で、11月の開山忌法要のときだけ、年に一度だけ行われるそうだ。

 特別な法衣を着た僧侶たちが、鉦鼓(しょうこ)を打ち鳴らして称名する。仏堂内を模した中央の須弥壇を、僧侶たちがゆっくりと右回りしていく。だんだんテンモェ早まり、ステップも所作も大きくなってゆく。

 無我、無心の境地に至るルートとしては、座禅よりだんぜんこちらの方が近道なのではと、軍配が上がる気がする。室町時代に一大ムーブメントとして庶民に広まったのもむべなるかな、と思う。

 そのまま「踊り念仏」として(=仏教として)直線的に受け継がれて行くものの他、時代が下り、盆踊り、阿波踊り、歌舞伎などに変貌を遂げるものもあったそうだ。

 日本史の教科書でちらと見ただけの、でも無意識下ではずっと気になっていた(らしい)「踊り念仏」がこんなに奥深いなんて! 高校を卒業して随分経つのに、初めて知るその頃の知識の肉付け! 勉強ってやっぱり面白いものなんだな、きっと。

祈りのかたち

2007-10-18 21:23:14 | 新聞
 本日の京都新聞で興味深い記事があり、休憩時間に目を通してじっくり。

 大阪市にある国立文楽劇場にて特別企画公演として、日本各地に伝わる珍しい宗教儀礼を紹介されたというのだ。その名も『祈りのかたち』という公演である。

 そのひとつが「琵琶盲僧の法要」。宮崎県延岡市の浄瑠璃寺住職、永田法順師による「五郎王子の物語」という創世説話を、琵琶の伴奏で語られるという。檀家を訪れて家内安全などを祈る「回壇法要」の際に語られるものらしい。

 ラフカディオ・ハーンの怪談、『耳なし芳一』に登場したり百人一首の蝉丸でおなじみの、ホンモノの「琵琶法師」なのである! ほんまに「琵琶法師」っていたんや!という驚きと感動にどきどきするのだが、演奏後に彼が舞台上から後継者を求める呼びかけを行ったそうなのである。

「求ム! 琵琶法師!」「いちから手ほどきいたします」とか言われれば、ふらふらと手を上げそうになるのではないか、とその場に自分がいなかったことに安堵したりするのだ。弦楽器みたいな繊細で神経使いそうな楽器は、私の手に負える訳ないのに、なんか「琵琶」というものは音色といい形といい、どうにも抗い難く魅力的なのである。
 才能あふれる後継者が現われることを、切に望む。

 次いで登場したのが長崎県平戸市・生月島の隠れキリシタンが伝えた祈り「オラショ」が登場する。隠れキリシタンのお祈りである。5人が舞台上でテンモ?span style="text-decoration:underline">合わせず各人のペースで暗唱していくというのだ。

 なんでや!? 隠れキリシタンとして結束固く心を結び息を合わせることが大切なのではないのか? そこをあえて「合わせず」というのは、なにかしら苦難の歴史の中で生きる知恵が含まれた意味があるのだろうか?

 「オラショ」はほぼ抑揚が無く祝詞のように聞こえるそうだ。すでに地元でさえ意味不明の呪文と化しているらしい。大丈夫なのか、「オラショ」?と、オラショが生き物ならば、ぜひ聞いてみたいほどだ。ラテン語やャ泣gガル語が含まれ、グレゴリオ聖歌が起源の祈りもあるらしいが、意味不明なことばを唱えることに、隠れキリシタンたちは、なんら不安はないのだろうか? 意味不明な呪文によって悪魔の封印が解かれたり、地が裂けて魔物が現われたり、妖怪が飛び出したりするテレビ番組を子ども時代に散々観て来た私には、一抹の不安がよぎるのである。

 ラストを飾るのはトリに相応しい陽気で高揚する祈り、山形県天童市仏向寺の「踊り念仏」なのであるが、残念、睡魔に取り込まれつつあるので、今日はこれまで。「踊り念仏」については、また明日じっくりと。

忘れじの人

2007-10-07 23:49:56 | 新聞
 新聞を読めば思わず苦く呻きたくなるような昨今であるが、本日10月7日付けの日経新聞では、思わず微笑んでしまうような記事を発見した。

 タイトルは『彼らの第4コーナー』。偉人の晩年についての、小さな連載コラムである。和歌山が産んだ大奇人、粘菌で有名な生物学者であり民俗学者でもある、南方熊楠の晩年エピソードである。

 彼が63歳の春、1929年に、和歌山にみえる昭和天皇への進講が決まったのだ。無位無冠、在野の一学者なのに、である。しかも複数の神社を合祀しようとする国策に抗し、17日間も拘留された罪人でもあるのに、だ。熊楠は合祀されれば、手つかずの自然が残る小島、神島(かしま)での伐採がなされ、人の手が入ってしまうのを、何としても阻止したかったのだ。

 それでも熊楠にご指名が下ったのは、昭和天皇が早くから熊楠の粘菌研究に関心を寄せ、日本では在野の変人研究者でしかない熊楠が、欧米の学会では広く知られていたことをご存知だったのだ。昭和天皇は生物学に造詣が深かったのである。

 当日、天皇は熊楠が身を挺して守った神島に粘菌採取のため上陸された。御召艦長門での講義は、予定時間を越えたにも関わらず、天皇の希望により話を続けさせたそうである。

 そしてこのコラムの白眉は、熊楠が天皇に献上した粘菌が、桐の箱ではなくキャラメルの空き箱に入れてあったというのだ。キャラメルの空き箱! 居並ぶお歴々の「目が点」模様を想像すると、もう・・・(笑) 後年、天皇は側近にその一件を、さも楽しげに語ったと伝えられている。

 『御幸の島』神島は、後に国の天然記念物の指定を受け、晴れて保護されるようになった。

 学問一筋のピュアな熊楠が、昭和天皇にとってどれほど忘れがたい人だったかを思うと、なんとも心温まる気持になる。天皇という身分故に常人には計り知れない苦労をされたであろう昭和天皇が、熊楠の学問への熱い想いに、深く共感をされたことは想像に難くない。また彼の飾らない無垢な人柄も、いたく愛された事と思う。

 ほんの短い間ではあったが、二人の間に立場も身分も越えた、何かしら心温まる交流がなされたように思う。それは熊楠にとっても「身に余る名誉なこと」だけではない、同じ生物学を愛する人間同士の、対等な深い交流だったはずである。これはふたりにとって、生涯においても幸福な時間だったのではあるまいか。
 そして、このような出会いをただ見聞きする事もまた、たいへん幸せな気持になるのだ。

 キャラメルの箱をみるたび、昭和天皇は熊楠を思い出しては、微笑まれたのではないだろうか。私もしばらくの間は、キャラメルの箱を見るたび、ちょっと幸せな気分で思い出し笑いをしてしまいそうである。