今日は、かなりつらい!
しかし、約束であるから書かねばならない。
それは、天満敦子さんの名演「望郷のバラード」の音楽鑑賞評論、いよいよ3回連載最終感想文である。
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総論として、
すばらしいクラシック音楽CDを手に入れた。
多くを語る前に、一にも二にも、天満敦子さんの類い稀なる「感性」に大賛辞を贈りたい。
天満さんの感性とは、音を聞き取りつむぐだけの、単に音楽的感性に秀でていらっしゃるのみならず、その音楽の生まれた背景、すなわち歴史と風俗と習慣と天候と土地の香りの全て、包括的に理解可能なる感性をお持ちの芸術的領域(自然科学と区分けする意味での)に於ける「天賦の才能」の持ち主。加えて、人間と人生をより深く理解しようと執念を燃やし続け、今尚弛まないフィールドワークをなさる努力家でもある。と、観た。
その人間愛をもって演奏会に挑まれるからこそ、天満さんの「生演奏」すなわち演奏会に臨席した鑑賞者の感動たるや「涙」をもって答えねばならぬ状況に陥るのである。
バイオリンの弦から発せられた「音」は、鑑賞者の耳を通って「大脳」に響き、大脳は反応し、「音」から入ってきた刺激は、頭脳の中で反応を繰り返し、騒ぎ沈静し、あらゆる想像を駆り立てる。想像は人さまざま。しかし、たぶん「ある風景」が浮かぶ。ある《歴史》が浮かぶ。さらに、「音」を通して人間像が描き出される。人間が躍動し、語り、影響し合い、そこに一つの物語が生まれる。
かくして、
その音楽、その演奏を聴いている「人それぞれ」に、それぞれの感動が生まれる。
「・・・?」
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さて本日、第3回目の感想、本論に入る。
今まで、避けて通ってきた「望郷のバラード」について、感想を述べなければならない。
本日までこの曲、すでに十数回も聴いた。
このCDの1曲目に収録された、8分32秒間の吉武雅子さんのピアノ伴奏付き。この伴奏ももちろんのこと、他の収録曲の逐一に於ける吉武さんのピアノ伴奏はすばらしい。
さらに、最終曲15番目に収録された9分59秒間の無伴奏。
どちらかというと、最終15曲目の無伴奏が、我輩の好みである。吉武さんのピアノがどうのこうの?を、言っているのではない。
より天満さんらしい「演奏」がなされているのであろうと、想定する。
しかし、
多いに問題がある。
なぜか、我輩の「聴く耳」をもってして、どうしてもこの曲の旋律やリズムが頭に入ってこないのである。
一回や二回聴いただけで曲の全てをインプット出来る才能なんて「我輩の聴力」には無いこと、音楽的才能のないこと、すでに何度も申し上げている。
しかし、気になる曲ならば、10数回も聴けば、必ずやその曲の中に含まれた数あるポイントは記憶できる。しかし、なぜかこの「望郷のバラード」は記憶できないのである。その理由は何か?なぜか?たびたび考えた。いくつかの理由があるなか、最大の理由は、我輩をもってして、どうしてもこの曲が好きになれないのである。
あまりにも暗い。しかし時に暗さも良い。理解できる。
余りにも悲しい。しかし悲しさも受け止められる。しっかり悲しみたい時もある。
でも、この曲の暗さも悲しさも、これ以上、いやすでに、この手法で、ここまで訴えるのは止してほしい。と、思うのである。
この曲の作者が、牢獄に繋がれていた『時』に作曲したもの。そうか。なるほど。しかし、如何なる絶望の淵に居ようとも、ここまでの恨み辛みをを述べればそれで良いのか?その先は無いのか?夢や希望は?真の望郷とは?この程度の表現で良いのか?まだくい足りないものを感じるのである。〆て作曲そのものに、楽譜そのものに、もっと芸術性が欲しいのである。
何かが、不足してる・・・
他の演奏家の同じ曲の演奏を聴いてみたい。と、一度書いた。しかし、その必要はないであろう。なぜなら、天満敦子さんをもって《この曲》の演奏家のとして、すでに「世界の第一人者」であると信じているからだ。
さて、
今の段階で突き詰めれば、
この曲そのものが、未だ出来損ないの「未完成品」であると考える。
まず、
鑑賞者の勘違いがある。天満さんを取り囲む「評論家」の演出がある。
この曲が「発掘」された背景とは、大使館員を巻き込んだ東欧の香り漂うエキゾティック且つメランコリックな「発掘物語」にふり回され過ぎ、この曲の存在と由縁が余りにも過大評価された「きらい」があるのではないか。
天満さんだからこそ、この凡作をここまで引き上げることが可能なのだろう。
ちなみに、
この同じCDの中に「ルーマニア民族舞踊:6曲」が収録されている。どの曲の演奏にも、天満敦子さんの類い稀なる感性をもって表現された「ルーマニア」の芳しき風土と人間の喜怒哀楽が漂ってくる。6曲いずれも演奏時間は1分前後、一分にも満たない小曲である。しかしこの「望郷のバラード」は、これらルーマニア民族舞曲のいずれの曲にも勝っていない。
締めくくりたい。
天満敦子さんを以って「望郷のバラード」を代表曲とする考えをお持ちの「鑑賞者」がいらっしゃるとすれば、それは大いなる考え違いというものだ。天満さんは、嘆き、怒り、悲しみ、あわせて限りになく「夢と希望と未来」を創造する。そんな躍動的で拡がりのある「人間世界」の感性を表現する才能をお持ちのヴァイオリニストでいらっしゃる。
<感想文:天満敦子さん「望郷のバラード」-(完)>
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PS:
評論とは、何と気楽なものか・・・
ものを創りだすエネルギ-と比較すれば、数千倍数万倍も「創作」の方が難しいこと、すでに承知!
云いたい放題、どうかお許し下さい・・・
あわせて、
ハンガリーしか知らない我輩、一度ルーマニアの地を踏んでみたい。共通性は多いにあると感じつつ、やはり現場を自分の感性と身体で確かめるフィールドワーク有ってこそ、より深く「かの地」の音楽芸術を確かめうるというもの・・・