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「たけしと小沢一郎の相似と相違」by論戦1994~1996

2006-05-14 15:35:45 | 教養・文化・歴史
 女性の場合?
女性の厚化粧、はっきり云って自分の好みではない。

 男性の場合?
仮面をかぶった紳士は、正真正銘の紳士ではない。

 すべからく素顔の方が好い。姿かたち、そして人間の中身、メッキではないホンモノの中身、言動は「本音」が好きだ。
 
 やはり、そうか。

そうなんだ・・・   一昨日、そう思った!

 さすが、醜悪なる似非的美辞麗句抜きにして端正・端麗。率直にして見事。「櫻井よしこ女史の真髄」を表現されている”ys-Blog”記事《[特別レポート]「中国が日本に『軍事侵攻』する日」[中国・領海]『週刊新潮』'06年5月4・11日号日本ルネッサンス 拡大版 第213回》を拝読した。
読後感は、記事内容は恐怖に慄き恐ろしく、記事目的はいかにも「的を得て」おり、「痛快」なり!
 あらためて、近い将来の日本の無残な情景を憂う「愛国心に満ち溢れた日本人ジャーナリスト」としての櫻井女史の素顔を(上述blog記事にて)観た!女史の素顔は、一点の曇りもなく精神性健康且つ愛国の情と知的な美に溢れ、いかにも美しい。!
(賛成、同感の方、櫻井女史を支持応援なさる方、是非、こちらをクリックいただきたい!)

この「ysブログ記事」、2度拝読した。
桜井女史の、シナ共産国家の軍事的脅威と劣悪なる目論見に対する「見解と推量」、いかにも的を得たり。
且つ、あらためて我国の第二次世界大戦後の敗戦後遺症風平和呆け的現状、いまだに平和呆けを継続する我国の「トレンド・今の姿」と「国家的日常」が、空恐ろしくなった。

そして以下、自分なりの結論を出した。

A)シナ大陸共産国家に対応する国家戦略構築の必要性は、いまや急無である。と、、、。

B)小手先の「仕掛け」や「外交的対策」は、今やすでに功を奏さない。我国の的確なる軍備が必要。

C)結論中の結論として、憲法改正が急務である事。いや、我国は明治憲法以降の自主自立的新憲法の制定を急務とする。

かくして、
上述櫻井女史論説の帰結を良しとし、日本国を挙げて国の存亡に対処するには、どの筋道を如何に対処するにせよ、現行憲法9条の存在が大きな壁となる。
 ならば、憲法改正の実現は必至なり。
否、新憲法制定には「国民の総意」を必要とする。いや、それ以前に、我々の選んだ国会議員諸氏の圧倒的多数なる賛成必要。ならば、民主党の賛成は必須事項となるか。

 この10年間、我国を取巻く世界の情勢、とりわけ三莫迦隣国の情勢も大きく変化した。今日的な10年間は、一昔前の50年間に相当するか?そんな中、先週に引き続き、あらためて櫻井女史の著なる「論戦1994~1996」を取り出し、政治家「小沢一郎」を取り上げた項目を参照した。
 なんと当時、バカバカしくも、かの「ビートたけし」による飲酒(原チャリ)運転事故を起こしたものの、無事、奇跡の退院を果たした頃。当時の政局は小沢一郎の画策により成立した自民党排除の新政権は崩れ去り、かわって、小沢一郎排除にて確立された自民・社会・さきがけ、による「三党連立」成り、大声で改革を謳って「野に下った」小沢一郎との(ビートたけし、との)比較がなされた記事がある。
 本日、あらためて再度(櫻井女史のご許可を得た上で)引用しなければならない。

さァ~て、10年前のビートたけし殿、
今、大きく変わった。只単なる「お笑い芸能タレント」から一躍、世界の(認める)芸術家且つ映画監督「北野たけし」へ飛翔しており、今尚、その勢いは衰えるところがない。

さァ~て、10年前の小沢一郎殿、
何が変わったか?
なんだか語著語著(ゴチョゴチョ)水面下で(いや、地下?はたまた深き地中?にて)動いていたような?動かなかったような?周囲から嫌われていたような?いや、無視されていたような?なんだか、自分には見えてこない。
しかしこのところ、にわかに民主党党首となり、マスコミにもてはやされているようだ。にもかかわらず、自分には「小沢一郎の素顔」が、一向に見えてこない。

 政治家小沢一郎を、あらためて真面目に見据えて考えてみたい。
 小沢の成すべき事は、只一つ!(二つか?)
そう、
小沢一郎をして真の改革のマタドールになれ!日本国憲法改正のための「突撃隊隊長」になれ!そうなったらば、彼の政治家としてのカリスマ性と真の偉大さは証明され、永遠に、日本の歴史に残るであろう。
過渡期のシナリオの中に、小沢党首自らにして民主党をぶっ潰しても、自公連立政権に協力し、今こそ民主党党首小沢一郎は「日本国憲法改正」の賛成多数となるよう民主党を画策するために「民主党党首」になったはず・・・
 
 昨日、あらためて10年前の「論戦」を再拝読し、当時(10年前)、櫻井女史にして「本当に小沢氏の信念を見抜いておられるのか?即ち小沢的信念は、ホンモノか?」などと、自分の手書きで本に書き込んだメモ書きの存在に、あらためて気付いたのである。

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<以下、櫻井よしこ著「論戦1994~1996」、書き写し記載による>
表題:
「たけしと小沢一郎の相似と相違」(p69~p71)
あっと驚いて思わずウーンッと唸ったのがビートたけし氏の退院記者会見だった。見事なほど、それは彼の真髄を表現していた。
 左右アンシンメトリーの顔、言葉を発するほどに曲がる唇の表情。いわゆる普通の人なら人さまの視線には晒したくないと思うであろう常態で、彼は会見した。その姿が、一度だけ同席したある番組での、彼の姿と重なって見えた。自分をとことん笑いの対象へとつくり上げていくビートたけし。衣をまといながら、でなく、自分の衣を剥ぎ取りながら彼はそれをつくっていく。笑われる対象になりながら、しかし、本当に笑っているのは彼なのだ。彼を笑う、あるいは彼によって笑わせられている周囲を、彼は笑っている。
 「あらゆる物を手に入れるんじゃなくて、逆にあらゆる物を捨てたあげくに自由になる」(新潮45「禁断の実『憲法』を食った日本人」)と彼は書いた。こんな言葉はだれにでも言える。だれにでも描ける。だが、彼はまさにそのことを実行して生きている。では彼が「捨てて」来たものは何か。
 新潮45シリーズの中で彼はそれを明確に見せつけ続けてきた。例えば一夫一婦制 ― 「三人女がいたら、スケジュールも三倍。使う神経も三倍。プレゼントとも三倍。経済的にも精神的にも体力的にも全部三倍になると、よほど能力のある男でないととてもできない。そこまですごい事をやれる可能性のある奴の芽を摘むことはよくないよ」
 「だからおいらは絶対に止めない」
 もう一例を憲法論から ― 「みんな本音では、平和憲法なんて屁のつっぱりにもならないって知っている。
 長いスタンスで歴史を見れば、戦争と戦争の間のつかの間の休憩が平和なわけで、たまたま、前後の日本人だけがその谷間に生きてくることができた。
 その幸運を未来永劫続けられるわけがない。未来になにか残そうとするなら、軍隊ぐらい残しておけと言うんだよ」
 こうして彼は、世の中のありとあらゆる体制を壊そうとする。捨てようとする。はめられた枠を破壊し自由になろうとする。だが、彼は無責任のきわみの放縦ではなく既成と表裏一体の責任の価値観であることを彼は「自由はただじゃない。だからこそ価値観が一番高い」と表現する。「いかに自由に生きるかは、いかに自分を規制するかだよ」と彼は断言を下す。
 イメージは破茶滅茶(はちゃめちゃ)のたけしだが、自分の人生は自分できっちり帳尻をつけようという姿勢だ。自分はいかほどのものでもなく、自分ほどのものでしかないということと、見事なまでに承知しているたけし。自分への虚像を剥ぎ取ったからこそ、あの記者会見が可能だったのだ。
 別の言い方をすれば、ゆがんだ顔がいかほどのものか、それを見せても見られても痛痒(つうよう)はない、自分のやりたいことくらい奇跡的に損傷を受けなかったこの脳で、やってみせるという気持ちであろう。「あらゆるものを捨てたあげくの自由」、それと同体の自己責任で、彼はこのラジカリズムを追及していくことだろう。
 ここまで考えると、彼の延長線上に見えるのが小沢一郎の姿である。
 自己責任を認識した個々人によって成り立つ責任ある民主主義国家を目指す小沢氏は、たけしと同根のラジカリズムによって衝き動かされている。だが、両者ほぼ同じ線上にありながらも、大きな相違によって隔たっている。小沢は、一匹狼のたけしとは違って権力および体制の中枢に生きる人物だ。中枢に居続けたからこそ気付いた矛盾に、改革という破壊の斧を振るうとき、彼は自己を支えてきた基盤をも失いかねない。改革のもたらす破壊を、何処まで創造に変質させうるか。それは一にも二にも、小沢自身が「あらゆるものを捨てたあげくの自由」によってどこまで強くなりうるかにかかっている。

<以上、櫻井よしこ著「論戦1994~1996」、書き写し記載・了>

PS:歴史は振り返らねばならない。歴史を踏まえ反省し学び、且つ将来の「資」に役立てる為に「歴史と軌跡」を振り返るのである。
 10年一昔前を振り返り現在の有り体をくまなく見回す。且つ、近未来の羅針盤ここにあり。等と思いつつ「論戦1994~1996」を読み返し、今日の櫻井女史のご活躍、ジャーナリズムの「変わり様」をあらためて痛感。且つ、ジャーナリスト桜井女史の「責任感」と「精緻さ」に感銘し、ますますのご活躍を祈念するものである。

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