<添付写真の解説>
撮影日時:12月14日午後4時45分過ぎ
撮影場所:軽井沢レイクニュータウン「八風の郷」某山荘ラウンジのテラスより・・
撮影機材:愛機SONY旧式バカチョンデジカメにて
使用レンズの画角:たぶん、(デジカメズームを)50mmレンズ並み?に調整して撮影か?
撮影当日の天候は、終日ほぼ快晴。とにかく寒い一日であった。午前中は地元の友人と旧軽井沢で所用を済ませ、再び「プリンス通り」から「レイクニュータウン」の地域へと車を進め、いよいよ「八風の郷」に向かう途中の出来事。車を運転中しながら、何かを思い出したように、ふと、我輩に話しかけた。
「ちょうど、この左手の山間なんですよねえ~・・・ 例の浅間山荘事件の起きた場所、この左手の山の中腹あたりなんですよ。とにかく、たいへんな騒ぎでしたよ。あの時は・・・」
「エェ~! ほう~ こんなに近くで起こった事件なのですか。軽井沢の中心地から、わずか10Kmもはなれていない場所なんだ・・・」
つぶやくように語る「友人の回想ばなし」に、我輩は驚いた。
「そう、レイクニュータウンでの出来事です・・・」
レイクニュータウン(English naming would be originally "Lake New Town", I suppose?)の中に八風の郷あり、その郷に我逗留中山荘あり。こんな背景の中、我輩は彼のツブヤキに応える。
「いやいや、私はもっと浅間山の山懐?浅間山の近く周辺でおきた事件なのだ。と、ばかり、自分勝手に想像していました。そうなのだ、こんなに近くでおきた事件なのか・・・」
事件の起きた場所「あさま山荘」は企業の保養所。河合楽器の所有する山荘なるものの、場所は何処や?と、この写真撮影をした後ロビーで休憩中、ふと浅間山荘事件当時を、回想し始めたのである。事件は1972年2月、今からかれこれ34~5年も前の事件なのだ。
今になってあらためて回想すれば、なんとも腹立たしい事この上ない。事件の起こった場所は、現在逗留中の別荘タウンの中にて、当時の日本赤軍の巻き起こした凶悪卑劣且つ長期間にわたる事件!当時は大学紛争華やかりし頃、我輩はようやく社会人になってまもない頃、大学紛争に一切参加せず思想政治に興味なく触れることのなかった当時、未だ世の中見えていない我輩は、終日TV生中継にて浅間山荘の事件を「ゲーム感覚」らしき思想無関心的感性にて捉え、ただただ赤軍グループの卑劣且つ無意味な暴力行為のみを憎んでいた。
戦後政治のもと、この事件発生当時は、先の安保反対から端を発した学生運動はその頂点に達し、左翼思想は蔓延し、左翼風純朴単純馬鹿的発想から迸(ほとばし)り出でたはず?の学生運動は、ついには狂気猟奇的内ゲバを繰り返しながら超凶悪的暴力組織集団へと変化し癌細胞の如く肥大化する。そしてこの事件(あさま山荘事件)に至ったのであること時系列的に整理しつつ、当時の時代背景を思い起こしつつ、夕暮れ時の浅間山を眺めていた。
そう、あさま山荘事件の起きた場所は?
この添付画像でご説明すれば、右手の木々の枝のさらにその下辺りが、友人の話している浅間山荘事件のあった「山の中腹」に該当し、さらに説明を付け加えるならば、我輩の逗留している「山荘」から、直線距離にしてわずか5kmと離れていない(であろう)ごく至近距離にて起こった「忌まわしい事件」は、目と鼻の先に在する。
あさま山荘事件または浅間山荘事件(あさまさんそうじけん)<ウイキペディア百科事典に「事件の経緯」等、詳細説明されており、こちらからご参照いただけます・・>
以下、百科事典の当該記事に関する「入り口」を、すこし抜粋しておきたい。
----------------------------------------------------------
《あさま山荘事件》
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
あさま山荘事件または浅間山荘事件(あさまさんそうじけん)とは、1972年2月19日に始まる、長野県軽井沢町にある河合楽器の保養所「浅間山荘」において連合赤軍が起こした事件である。
目次 [非表示]
1 概説
2 事件の発端
3 警察の対応
4 事件の収束
5 事件が長期化した要因
6 特徴
7 記録・参考
8 関連項目
<以下省略。後日部分掲載予定>
----------------------------------------------------------------
等々と、
ウイキペディア百科事典は、かなり詳細なあさま山荘事件の概要と事件の流れを説明している。
さてさて、、
「浅間山荘事件」と、当時の時代背景を回想したく思い立ち、
都合4回の連載を致したく、読者諸氏に於かれましては、連載記事継読方、どうぞ宜しくお願い致します、、、。
<・続く・・・>
撮影日時:12月14日午後4時45分過ぎ
撮影場所:軽井沢レイクニュータウン「八風の郷」某山荘ラウンジのテラスより・・
撮影機材:愛機SONY旧式バカチョンデジカメにて
使用レンズの画角:たぶん、(デジカメズームを)50mmレンズ並み?に調整して撮影か?
撮影当日の天候は、終日ほぼ快晴。とにかく寒い一日であった。午前中は地元の友人と旧軽井沢で所用を済ませ、再び「プリンス通り」から「レイクニュータウン」の地域へと車を進め、いよいよ「八風の郷」に向かう途中の出来事。車を運転中しながら、何かを思い出したように、ふと、我輩に話しかけた。
「ちょうど、この左手の山間なんですよねえ~・・・ 例の浅間山荘事件の起きた場所、この左手の山の中腹あたりなんですよ。とにかく、たいへんな騒ぎでしたよ。あの時は・・・」
「エェ~! ほう~ こんなに近くで起こった事件なのですか。軽井沢の中心地から、わずか10Kmもはなれていない場所なんだ・・・」
つぶやくように語る「友人の回想ばなし」に、我輩は驚いた。
「そう、レイクニュータウンでの出来事です・・・」
レイクニュータウン(English naming would be originally "Lake New Town", I suppose?)の中に八風の郷あり、その郷に我逗留中山荘あり。こんな背景の中、我輩は彼のツブヤキに応える。
「いやいや、私はもっと浅間山の山懐?浅間山の近く周辺でおきた事件なのだ。と、ばかり、自分勝手に想像していました。そうなのだ、こんなに近くでおきた事件なのか・・・」
事件の起きた場所「あさま山荘」は企業の保養所。河合楽器の所有する山荘なるものの、場所は何処や?と、この写真撮影をした後ロビーで休憩中、ふと浅間山荘事件当時を、回想し始めたのである。事件は1972年2月、今からかれこれ34~5年も前の事件なのだ。
今になってあらためて回想すれば、なんとも腹立たしい事この上ない。事件の起こった場所は、現在逗留中の別荘タウンの中にて、当時の日本赤軍の巻き起こした凶悪卑劣且つ長期間にわたる事件!当時は大学紛争華やかりし頃、我輩はようやく社会人になってまもない頃、大学紛争に一切参加せず思想政治に興味なく触れることのなかった当時、未だ世の中見えていない我輩は、終日TV生中継にて浅間山荘の事件を「ゲーム感覚」らしき思想無関心的感性にて捉え、ただただ赤軍グループの卑劣且つ無意味な暴力行為のみを憎んでいた。
戦後政治のもと、この事件発生当時は、先の安保反対から端を発した学生運動はその頂点に達し、左翼思想は蔓延し、左翼風純朴単純馬鹿的発想から迸(ほとばし)り出でたはず?の学生運動は、ついには狂気猟奇的内ゲバを繰り返しながら超凶悪的暴力組織集団へと変化し癌細胞の如く肥大化する。そしてこの事件(あさま山荘事件)に至ったのであること時系列的に整理しつつ、当時の時代背景を思い起こしつつ、夕暮れ時の浅間山を眺めていた。
そう、あさま山荘事件の起きた場所は?
この添付画像でご説明すれば、右手の木々の枝のさらにその下辺りが、友人の話している浅間山荘事件のあった「山の中腹」に該当し、さらに説明を付け加えるならば、我輩の逗留している「山荘」から、直線距離にしてわずか5kmと離れていない(であろう)ごく至近距離にて起こった「忌まわしい事件」は、目と鼻の先に在する。
あさま山荘事件または浅間山荘事件(あさまさんそうじけん)<ウイキペディア百科事典に「事件の経緯」等、詳細説明されており、こちらからご参照いただけます・・>
以下、百科事典の当該記事に関する「入り口」を、すこし抜粋しておきたい。
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《あさま山荘事件》
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
あさま山荘事件または浅間山荘事件(あさまさんそうじけん)とは、1972年2月19日に始まる、長野県軽井沢町にある河合楽器の保養所「浅間山荘」において連合赤軍が起こした事件である。
目次 [非表示]
1 概説
2 事件の発端
3 警察の対応
4 事件の収束
5 事件が長期化した要因
6 特徴
7 記録・参考
8 関連項目
<以下省略。後日部分掲載予定>
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等々と、
ウイキペディア百科事典は、かなり詳細なあさま山荘事件の概要と事件の流れを説明している。
さてさて、、
「浅間山荘事件」と、当時の時代背景を回想したく思い立ち、
都合4回の連載を致したく、読者諸氏に於かれましては、連載記事継読方、どうぞ宜しくお願い致します、、、。
<・続く・・・>