<添付画像>:題して「暮れ往く真冬の浅間山」・・
撮影日時:前回記事と同じ。
撮影後記:先日撮影画像の約3分後にシャッターを切った。心持ち増感(実際の撮影画像より人為的に画像を明るくする)を、操作した。たぶん、普通のフイルム撮影であれば、約1時間開放シャッターを切っても、何も写らないであろうほどに、この風景は冬の軽井沢の山懐独特の「シバ」れる乾燥した寒さと暗闇の中に、溶け込んでいた。いざ画像掲載してみれば、デジタル撮影画像は肉眼では感じない能力を持っていること判明する。なるほど、驚異的である。
(と、一人、ひそかに!ささやかに?自己満足しているエセ男爵なり・・)
Kenbou-7さんからコメントを頂いてから、かれこれ一週間経過する。そのコメントとは「回想・あさま山荘事件」の一回目記事投稿が切っ掛けである。なんだかその頃を境に、のんびりする筈の軽井沢に於いて俄かに心身とも忙しくなった。軽井沢の山荘で「モノカキ」に集中するどころか余りにも気が散りすぎて、ブログすら書けない環境に激変した。そんな劣悪な環境から、ようやく昨日の午後になって脱出できた。つまり帰省して、郷里の広島に舞い戻ってきたというわけである。帰省しなければならなかった理由あり。それは昨年なくなった父と、この秋に突然に逝った母の供養のためである。年末は、両親がお世話になった友人知人を始め親戚縁者へのご挨拶と御礼に忙しく立ち回り、年始には墓参りと親戚の集まりに参加する予定である。しかしとりあえず今日は一休みし、気分を切り替えて明日から行動開始の心積もり、、、。
「なんだか軽井沢より此方の方が冷えるぜ・・・」
そう、いつも冬場のヨーロッパから日本に帰りついた時に毎回感じていた「日本の冬」を思い出した。真夜中の外気温はマイナス5~6度であるが、室内の温度は25度。パジャマに着替え、毛布一枚のベッドに入れば快適睡眠!そんな完全全館暖房の行き届いた軽井沢の山荘から帰ると、我家は隙間風だらけ。夜中の外気温は5度。しかし室内は14度?やはり寒い。昼間も一々ストーブをつけなくては寒くてやってれない?つまり隙間風が入り込むから足元の寒さを感じるのであり、この隙間風こそ風邪の元凶。この実態こそ、日本家屋の特徴であり、歴史的にその特徴を引き継いでるのが我が郷里の家屋である。
そんな隙間風だらけの室内にて、精神的に落ち着かなかった軽井沢滞在の後半から、あらためて落ち着きを取り戻そうと思いつつ、もう一度、Kenbou-7さんから頂いたコメントと、先日投稿した回想記事を思い起こした。
前置きが長くなってしまったが、本論に入る。
あらためて申したい。
「Kenbou-7さん、ありがとう!」
よくぞお父上の「思い出ばなし」を語ってくださった・・・
「お父上思い」の貴兄と、そんな貴兄を「今まで」お育てになったご両親の子を想う人の親としての「在るべき姿」の典型を見せていただいた。父親の「我が子」に語るべきストーリーは如何あるべきか?!父親としての「あるべきすがた」を、まのあたりに見せていただいたような気がする。
その後そして、自分自身の恥ずべき姿が目の前にさらけ出されたから、一瞬ひるんだ。怯(ひる)めば、書くべきものを書けなくなった。先週末に起こった自分の心の中の葛藤、「ためらい」や「おののき」や「躊躇」を思い返せば、たったそれだけの事である。
今の時代、多くの父親は正面切って我が子に対峙し、(自信の有無は別として)自分自身の歩んできた「生き様」を振り返り、そして我が子にそれを語り、以って自分自身の「男の背中」を見せ得る父親が一体全体何人いるだろうか。それを聞いた、観た。その中から、素直に我が父親の言葉と、父親の背中を真直ぐに見つめ得る若者は、この世の中に何人いるか。
さて自分自身のことを振り返れば、如何?
つまり、
そんな父親と息子の姿、長年にわたって渇望し続けているけれど、
さて、
「今、それが実現しえているかどうか?」
いたって自信のない自分自身の精神構造の内面をえぐりとられる思いがしたのは、何を隠そう、このkenbou-7さんのコメントを拝読し読了した直後からなのであった。
不幸にして、Kenbou-7さんのお父上は、50歳半ばでお亡くなりになった。今現在、私自身の渇望して止まない男として父親としての「成すべき業」を、kenbou-7さんの父上は成し遂げられている。これ、見事!ではないか。
これを素晴しいと思わずにいられようか。
彼の父上より少し年上の私は、まだ、この世に生きながらえている。もう暫くはこの世に生き、自分の目的を持った活動をしたいものである。と、願っている。しかし上記の願望は、未だに遂げていない。ひょっとすると時間がないかもしれないし、まだたっぷりと時間があるかも知れない。昨年は父の死の瞬間に立会い、この秋は母の急逝を体験した。そんな身近な「人の死」に出くわした自分にとって、今あらためて思うことあり。
「人間の一生の寿命なんて、たぶん、天命によって定まっているはず・・・」
このところ、上述の思いを日々絶えず自分自身に置き換え、何かの覚悟をしなくてはならないと考えている時、はからずもKenbou-7さんからの重くて大きなコメントを頂いた。
「人間の生涯はマラソンランナーの如く、長くて遠いはるかな道程を往くのか・・・」
時には走り、時には歩き、立ち止まり、歩いてきた道程を振り返るか。はたまた先の見えない霧のかかった道を遠望しようとするか。はたまた通り抜けられぬ迷路に迷い込むか、息せき切れて目標に届かず、遂に枯れ果て行き倒れになるか?
人生行路とは、どのみち、倒れたところが終点すなわちゴールである。
それが「その人」の終着点である。
そうか!そうなのだ。
我が人生、何時何処で倒れたって構わない。
しかし、いつ倒れようと、
後輩に引き継ぐべきもの、残したい。
残したい、残そう!と思うから、逆に残せないのであるか。
人生の先輩として語り継げるもの、つまり「後ろ姿」の良し悪しを、若者に対して如何(美しく男らしく)見せようか?どうやら、そういうことは自分自身で決められず、全て後に続く後輩すなわち若者が若者自身の基準で判断するのか。若者に対し、今さら何も「取り繕うこと」は不可能である。
ならば、すべからく自分自身に逆らわぬよう、自然体で立ち居振舞うのが最善か、、、。
「よ~しゃ、こうなったらトコトン自分流儀で生きてみるか!」
<・完・・>
PS:思い出しかけた、回想しようとした「あさま山荘事件」の後味悪き思い出?御託を語るのはもう辞めた!それは、我国戦後の左派系人種のしでかした凶悪無謀将来展望なき野蛮的「歴史の一ページ」にしか過ぎず、我が脳内歴史ノートに刻んでおくことのみ、、、。
されば我輩の視点は何処へ?、
そう、それは先の事を見据えたく、、、。
鳥瞰図的に未来将来の日本を見つめていくことにした・・・
「あさま山荘事件」<出処:ウイキペディア百科事典より>(こちらから入れます!)
撮影日時:前回記事と同じ。
撮影後記:先日撮影画像の約3分後にシャッターを切った。心持ち増感(実際の撮影画像より人為的に画像を明るくする)を、操作した。たぶん、普通のフイルム撮影であれば、約1時間開放シャッターを切っても、何も写らないであろうほどに、この風景は冬の軽井沢の山懐独特の「シバ」れる乾燥した寒さと暗闇の中に、溶け込んでいた。いざ画像掲載してみれば、デジタル撮影画像は肉眼では感じない能力を持っていること判明する。なるほど、驚異的である。
(と、一人、ひそかに!ささやかに?自己満足しているエセ男爵なり・・)
Kenbou-7さんからコメントを頂いてから、かれこれ一週間経過する。そのコメントとは「回想・あさま山荘事件」の一回目記事投稿が切っ掛けである。なんだかその頃を境に、のんびりする筈の軽井沢に於いて俄かに心身とも忙しくなった。軽井沢の山荘で「モノカキ」に集中するどころか余りにも気が散りすぎて、ブログすら書けない環境に激変した。そんな劣悪な環境から、ようやく昨日の午後になって脱出できた。つまり帰省して、郷里の広島に舞い戻ってきたというわけである。帰省しなければならなかった理由あり。それは昨年なくなった父と、この秋に突然に逝った母の供養のためである。年末は、両親がお世話になった友人知人を始め親戚縁者へのご挨拶と御礼に忙しく立ち回り、年始には墓参りと親戚の集まりに参加する予定である。しかしとりあえず今日は一休みし、気分を切り替えて明日から行動開始の心積もり、、、。
「なんだか軽井沢より此方の方が冷えるぜ・・・」
そう、いつも冬場のヨーロッパから日本に帰りついた時に毎回感じていた「日本の冬」を思い出した。真夜中の外気温はマイナス5~6度であるが、室内の温度は25度。パジャマに着替え、毛布一枚のベッドに入れば快適睡眠!そんな完全全館暖房の行き届いた軽井沢の山荘から帰ると、我家は隙間風だらけ。夜中の外気温は5度。しかし室内は14度?やはり寒い。昼間も一々ストーブをつけなくては寒くてやってれない?つまり隙間風が入り込むから足元の寒さを感じるのであり、この隙間風こそ風邪の元凶。この実態こそ、日本家屋の特徴であり、歴史的にその特徴を引き継いでるのが我が郷里の家屋である。
そんな隙間風だらけの室内にて、精神的に落ち着かなかった軽井沢滞在の後半から、あらためて落ち着きを取り戻そうと思いつつ、もう一度、Kenbou-7さんから頂いたコメントと、先日投稿した回想記事を思い起こした。
前置きが長くなってしまったが、本論に入る。
あらためて申したい。
「Kenbou-7さん、ありがとう!」
よくぞお父上の「思い出ばなし」を語ってくださった・・・
「お父上思い」の貴兄と、そんな貴兄を「今まで」お育てになったご両親の子を想う人の親としての「在るべき姿」の典型を見せていただいた。父親の「我が子」に語るべきストーリーは如何あるべきか?!父親としての「あるべきすがた」を、まのあたりに見せていただいたような気がする。
その後そして、自分自身の恥ずべき姿が目の前にさらけ出されたから、一瞬ひるんだ。怯(ひる)めば、書くべきものを書けなくなった。先週末に起こった自分の心の中の葛藤、「ためらい」や「おののき」や「躊躇」を思い返せば、たったそれだけの事である。
今の時代、多くの父親は正面切って我が子に対峙し、(自信の有無は別として)自分自身の歩んできた「生き様」を振り返り、そして我が子にそれを語り、以って自分自身の「男の背中」を見せ得る父親が一体全体何人いるだろうか。それを聞いた、観た。その中から、素直に我が父親の言葉と、父親の背中を真直ぐに見つめ得る若者は、この世の中に何人いるか。
さて自分自身のことを振り返れば、如何?
つまり、
そんな父親と息子の姿、長年にわたって渇望し続けているけれど、
さて、
「今、それが実現しえているかどうか?」
いたって自信のない自分自身の精神構造の内面をえぐりとられる思いがしたのは、何を隠そう、このkenbou-7さんのコメントを拝読し読了した直後からなのであった。
不幸にして、Kenbou-7さんのお父上は、50歳半ばでお亡くなりになった。今現在、私自身の渇望して止まない男として父親としての「成すべき業」を、kenbou-7さんの父上は成し遂げられている。これ、見事!ではないか。
これを素晴しいと思わずにいられようか。
彼の父上より少し年上の私は、まだ、この世に生きながらえている。もう暫くはこの世に生き、自分の目的を持った活動をしたいものである。と、願っている。しかし上記の願望は、未だに遂げていない。ひょっとすると時間がないかもしれないし、まだたっぷりと時間があるかも知れない。昨年は父の死の瞬間に立会い、この秋は母の急逝を体験した。そんな身近な「人の死」に出くわした自分にとって、今あらためて思うことあり。
「人間の一生の寿命なんて、たぶん、天命によって定まっているはず・・・」
このところ、上述の思いを日々絶えず自分自身に置き換え、何かの覚悟をしなくてはならないと考えている時、はからずもKenbou-7さんからの重くて大きなコメントを頂いた。
「人間の生涯はマラソンランナーの如く、長くて遠いはるかな道程を往くのか・・・」
時には走り、時には歩き、立ち止まり、歩いてきた道程を振り返るか。はたまた先の見えない霧のかかった道を遠望しようとするか。はたまた通り抜けられぬ迷路に迷い込むか、息せき切れて目標に届かず、遂に枯れ果て行き倒れになるか?
人生行路とは、どのみち、倒れたところが終点すなわちゴールである。
それが「その人」の終着点である。
そうか!そうなのだ。
我が人生、何時何処で倒れたって構わない。
しかし、いつ倒れようと、
後輩に引き継ぐべきもの、残したい。
残したい、残そう!と思うから、逆に残せないのであるか。
人生の先輩として語り継げるもの、つまり「後ろ姿」の良し悪しを、若者に対して如何(美しく男らしく)見せようか?どうやら、そういうことは自分自身で決められず、全て後に続く後輩すなわち若者が若者自身の基準で判断するのか。若者に対し、今さら何も「取り繕うこと」は不可能である。
ならば、すべからく自分自身に逆らわぬよう、自然体で立ち居振舞うのが最善か、、、。
「よ~しゃ、こうなったらトコトン自分流儀で生きてみるか!」
<・完・・>
PS:思い出しかけた、回想しようとした「あさま山荘事件」の後味悪き思い出?御託を語るのはもう辞めた!それは、我国戦後の左派系人種のしでかした凶悪無謀将来展望なき野蛮的「歴史の一ページ」にしか過ぎず、我が脳内歴史ノートに刻んでおくことのみ、、、。
されば我輩の視点は何処へ?、
そう、それは先の事を見据えたく、、、。
鳥瞰図的に未来将来の日本を見つめていくことにした・・・
「あさま山荘事件」<出処:ウイキペディア百科事典より>(こちらから入れます!)