Cafe & Magazine 「旅遊亭」 of エセ男爵

志すは21世紀的ドンキホーテ?
はたまた車寅次郎先生を師に地球を迷走?
気儘な旅人の「三文オペラ」創作ノート

「たけしと小沢一郎の相似と相違」by論戦1994~1996

2006-05-14 15:35:45 | 教養・文化・歴史
 女性の場合?
女性の厚化粧、はっきり云って自分の好みではない。

 男性の場合?
仮面をかぶった紳士は、正真正銘の紳士ではない。

 すべからく素顔の方が好い。姿かたち、そして人間の中身、メッキではないホンモノの中身、言動は「本音」が好きだ。
 
 やはり、そうか。

そうなんだ・・・   一昨日、そう思った!

 さすが、醜悪なる似非的美辞麗句抜きにして端正・端麗。率直にして見事。「櫻井よしこ女史の真髄」を表現されている”ys-Blog”記事《[特別レポート]「中国が日本に『軍事侵攻』する日」[中国・領海]『週刊新潮』'06年5月4・11日号日本ルネッサンス 拡大版 第213回》を拝読した。
読後感は、記事内容は恐怖に慄き恐ろしく、記事目的はいかにも「的を得て」おり、「痛快」なり!
 あらためて、近い将来の日本の無残な情景を憂う「愛国心に満ち溢れた日本人ジャーナリスト」としての櫻井女史の素顔を(上述blog記事にて)観た!女史の素顔は、一点の曇りもなく精神性健康且つ愛国の情と知的な美に溢れ、いかにも美しい。!
(賛成、同感の方、櫻井女史を支持応援なさる方、是非、こちらをクリックいただきたい!)

この「ysブログ記事」、2度拝読した。
桜井女史の、シナ共産国家の軍事的脅威と劣悪なる目論見に対する「見解と推量」、いかにも的を得たり。
且つ、あらためて我国の第二次世界大戦後の敗戦後遺症風平和呆け的現状、いまだに平和呆けを継続する我国の「トレンド・今の姿」と「国家的日常」が、空恐ろしくなった。

そして以下、自分なりの結論を出した。

A)シナ大陸共産国家に対応する国家戦略構築の必要性は、いまや急無である。と、、、。

B)小手先の「仕掛け」や「外交的対策」は、今やすでに功を奏さない。我国の的確なる軍備が必要。

C)結論中の結論として、憲法改正が急務である事。いや、我国は明治憲法以降の自主自立的新憲法の制定を急務とする。

かくして、
上述櫻井女史論説の帰結を良しとし、日本国を挙げて国の存亡に対処するには、どの筋道を如何に対処するにせよ、現行憲法9条の存在が大きな壁となる。
 ならば、憲法改正の実現は必至なり。
否、新憲法制定には「国民の総意」を必要とする。いや、それ以前に、我々の選んだ国会議員諸氏の圧倒的多数なる賛成必要。ならば、民主党の賛成は必須事項となるか。

 この10年間、我国を取巻く世界の情勢、とりわけ三莫迦隣国の情勢も大きく変化した。今日的な10年間は、一昔前の50年間に相当するか?そんな中、先週に引き続き、あらためて櫻井女史の著なる「論戦1994~1996」を取り出し、政治家「小沢一郎」を取り上げた項目を参照した。
 なんと当時、バカバカしくも、かの「ビートたけし」による飲酒(原チャリ)運転事故を起こしたものの、無事、奇跡の退院を果たした頃。当時の政局は小沢一郎の画策により成立した自民党排除の新政権は崩れ去り、かわって、小沢一郎排除にて確立された自民・社会・さきがけ、による「三党連立」成り、大声で改革を謳って「野に下った」小沢一郎との(ビートたけし、との)比較がなされた記事がある。
 本日、あらためて再度(櫻井女史のご許可を得た上で)引用しなければならない。

さァ~て、10年前のビートたけし殿、
今、大きく変わった。只単なる「お笑い芸能タレント」から一躍、世界の(認める)芸術家且つ映画監督「北野たけし」へ飛翔しており、今尚、その勢いは衰えるところがない。

さァ~て、10年前の小沢一郎殿、
何が変わったか?
なんだか語著語著(ゴチョゴチョ)水面下で(いや、地下?はたまた深き地中?にて)動いていたような?動かなかったような?周囲から嫌われていたような?いや、無視されていたような?なんだか、自分には見えてこない。
しかしこのところ、にわかに民主党党首となり、マスコミにもてはやされているようだ。にもかかわらず、自分には「小沢一郎の素顔」が、一向に見えてこない。

 政治家小沢一郎を、あらためて真面目に見据えて考えてみたい。
 小沢の成すべき事は、只一つ!(二つか?)
そう、
小沢一郎をして真の改革のマタドールになれ!日本国憲法改正のための「突撃隊隊長」になれ!そうなったらば、彼の政治家としてのカリスマ性と真の偉大さは証明され、永遠に、日本の歴史に残るであろう。
過渡期のシナリオの中に、小沢党首自らにして民主党をぶっ潰しても、自公連立政権に協力し、今こそ民主党党首小沢一郎は「日本国憲法改正」の賛成多数となるよう民主党を画策するために「民主党党首」になったはず・・・
 
 昨日、あらためて10年前の「論戦」を再拝読し、当時(10年前)、櫻井女史にして「本当に小沢氏の信念を見抜いておられるのか?即ち小沢的信念は、ホンモノか?」などと、自分の手書きで本に書き込んだメモ書きの存在に、あらためて気付いたのである。

>>毎日一回、クリック応援を!(人気ブログランキング)

----------------------------------------------------------------

<以下、櫻井よしこ著「論戦1994~1996」、書き写し記載による>
表題:
「たけしと小沢一郎の相似と相違」(p69~p71)
あっと驚いて思わずウーンッと唸ったのがビートたけし氏の退院記者会見だった。見事なほど、それは彼の真髄を表現していた。
 左右アンシンメトリーの顔、言葉を発するほどに曲がる唇の表情。いわゆる普通の人なら人さまの視線には晒したくないと思うであろう常態で、彼は会見した。その姿が、一度だけ同席したある番組での、彼の姿と重なって見えた。自分をとことん笑いの対象へとつくり上げていくビートたけし。衣をまといながら、でなく、自分の衣を剥ぎ取りながら彼はそれをつくっていく。笑われる対象になりながら、しかし、本当に笑っているのは彼なのだ。彼を笑う、あるいは彼によって笑わせられている周囲を、彼は笑っている。
 「あらゆる物を手に入れるんじゃなくて、逆にあらゆる物を捨てたあげくに自由になる」(新潮45「禁断の実『憲法』を食った日本人」)と彼は書いた。こんな言葉はだれにでも言える。だれにでも描ける。だが、彼はまさにそのことを実行して生きている。では彼が「捨てて」来たものは何か。
 新潮45シリーズの中で彼はそれを明確に見せつけ続けてきた。例えば一夫一婦制 ― 「三人女がいたら、スケジュールも三倍。使う神経も三倍。プレゼントとも三倍。経済的にも精神的にも体力的にも全部三倍になると、よほど能力のある男でないととてもできない。そこまですごい事をやれる可能性のある奴の芽を摘むことはよくないよ」
 「だからおいらは絶対に止めない」
 もう一例を憲法論から ― 「みんな本音では、平和憲法なんて屁のつっぱりにもならないって知っている。
 長いスタンスで歴史を見れば、戦争と戦争の間のつかの間の休憩が平和なわけで、たまたま、前後の日本人だけがその谷間に生きてくることができた。
 その幸運を未来永劫続けられるわけがない。未来になにか残そうとするなら、軍隊ぐらい残しておけと言うんだよ」
 こうして彼は、世の中のありとあらゆる体制を壊そうとする。捨てようとする。はめられた枠を破壊し自由になろうとする。だが、彼は無責任のきわみの放縦ではなく既成と表裏一体の責任の価値観であることを彼は「自由はただじゃない。だからこそ価値観が一番高い」と表現する。「いかに自由に生きるかは、いかに自分を規制するかだよ」と彼は断言を下す。
 イメージは破茶滅茶(はちゃめちゃ)のたけしだが、自分の人生は自分できっちり帳尻をつけようという姿勢だ。自分はいかほどのものでもなく、自分ほどのものでしかないということと、見事なまでに承知しているたけし。自分への虚像を剥ぎ取ったからこそ、あの記者会見が可能だったのだ。
 別の言い方をすれば、ゆがんだ顔がいかほどのものか、それを見せても見られても痛痒(つうよう)はない、自分のやりたいことくらい奇跡的に損傷を受けなかったこの脳で、やってみせるという気持ちであろう。「あらゆるものを捨てたあげくの自由」、それと同体の自己責任で、彼はこのラジカリズムを追及していくことだろう。
 ここまで考えると、彼の延長線上に見えるのが小沢一郎の姿である。
 自己責任を認識した個々人によって成り立つ責任ある民主主義国家を目指す小沢氏は、たけしと同根のラジカリズムによって衝き動かされている。だが、両者ほぼ同じ線上にありながらも、大きな相違によって隔たっている。小沢は、一匹狼のたけしとは違って権力および体制の中枢に生きる人物だ。中枢に居続けたからこそ気付いた矛盾に、改革という破壊の斧を振るうとき、彼は自己を支えてきた基盤をも失いかねない。改革のもたらす破壊を、何処まで創造に変質させうるか。それは一にも二にも、小沢自身が「あらゆるものを捨てたあげくの自由」によってどこまで強くなりうるかにかかっている。

<以上、櫻井よしこ著「論戦1994~1996」、書き写し記載・了>

PS:歴史は振り返らねばならない。歴史を踏まえ反省し学び、且つ将来の「資」に役立てる為に「歴史と軌跡」を振り返るのである。
 10年一昔前を振り返り現在の有り体をくまなく見回す。且つ、近未来の羅針盤ここにあり。等と思いつつ「論戦1994~1996」を読み返し、今日の櫻井女史のご活躍、ジャーナリズムの「変わり様」をあらためて痛感。且つ、ジャーナリスト桜井女史の「責任感」と「精緻さ」に感銘し、ますますのご活躍を祈念するものである。

*人気ブログランキング参加中!人気blogランキングへ

連載小説『フォワイエ・ポウ』(28回)5章3「旅行会社の新入社員登場」

2006-05-12 11:35:45 | 連載長編小説『フォワイエ・ポウ』
above an attached Photo:"Ducati March 1", from wikipedia.

連載小説「フォワイエ・ポウ」を通してお読みになりたい方、あるいはもう一度読み直したい方、こちらのカテゴリー「長編連載小説フォワイエ・ポウ」からご覧いただけます(こちらから入れます)。

   -------------------------------------

 長編小説『フォワイエ・ポウ』 5章
                     著:ジョージ青木   

2(料理との出会い)

(1)-2

「こんばんは~」
「いらっしゃい! あ~ 五反田さんだ。早いなあ~」
「今日の仕事は終わり、もう止めた!って、途中で放り投げて、大急ぎでやって来ました。お言葉に甘えておうかがいしました。早く来すぎましたでしょうか?」
「いえいえ、そんなことない。こちらとしては、こんなとき、いや、いつでも早い方がありがたいのです!」
珍しくも、今夜の五反田は二人連れであった。
まず、本田は驚いた。しかも二重に、驚いていた。

(以上、前回掲載まで・・・)

毎日一回、クリック応援を!(人気ブログランキング)


(本日本文の開始・・・)

連れの若い男は、今まで見たこともない大男である。おおらかに伸びやかに、その男は大きい。
(この男は、いったい何者だろうか?)
などと、本田が思うと同時に、五反田が発言する。
「マスター、紹介します。同僚の、といっても後輩です。入社三年目の大田君です」
「はじめまして、本田です、どうぞよろしく・・・」
「ま、どうぞ、お二人ともカウンター席におかけください」
五反田は席に着いた。
大男は立ったまま挨拶する。
当然といえば当然であるが、最近の本田にとっては、珍しくも礼儀正しい若者の一人であった。
「はじめまして。大田和彦です。本田さんのお店のこと、いつも五反田先輩からお聞きしています。自分ひとりで一度、お伺いしたいと思っていたのですが、結局のところ先輩と一緒に連れて来てもらったりして、それが今日になっちゃって・・・」
「はい、こちらこそ、どうぞ宜しくごひいきにお願いします。五反田さんと一緒にお越し頂き、どうもありがとうございます。電話で五反田さんに無理お願いして、今日は急に試食会することになったのですから、ちょうどよい日に来ていただいた・・・」
「僕、食いしん坊です。初めてお伺いする日が、ちょうど試食会の日の、今日になっちゃって・・・」
「いえいえ、大丈夫ですよ」
「初めてのところに一人で出向くのは、どうも苦手でして。恥ずかしくて、とにかく先輩にくっついてまいりました。これで次からは一人で来ます。宜しくお願いします」
「遠慮なくいらしてください。今日の試食会の料理、しっかり召し上がってください」
「あの~ 先生・・・」
「ダメダメ、ここは教室じゃないんだから、本田といわなければ・・・」
「はい、本田マスター! 実は太田君、学生時代は相撲部でして、体格、いまでも立派でしょう」
本田の第一印象は、これで一致し、納得した。
「そうか! 学生相撲ですか。なるほどなるほど。よくわかりました。では相撲の事、いろいろと教えてくださいね。楽しみだなあ・・・」
「いえいえ、僕は相撲取りとしては、落第生でして・・・」
「そう、大学時代に相撲部の落第生でも、いまどきJGBに入社できれば、結果オーライで、いいじゃない・・・」
「いや、ダメなんです。それが、まだ僕、仕事も半人前でして、あの、ちょっとトイレに行って宜しいでしょうか?」
「あ~、どうぞ、入り口手前の左手です」
話し途中でそそくさと、大田はトイレに向かった。

 <Intermission,,,(ちょっと休憩!)>
 *ストーリーの流れを損なわないよう意識して「文章の区切り」を調整した結果、本日は少し長くなってしまった。結果、3000文字を少しオーバー!久しぶりの「禁じ手」か?この辺りで少し休憩。読者の皆様には休憩をかねて「現代小説のトレンド情報」、チェックしてみて下さい・・


(2)-1

 彼がトイレに立ったと同時にタイミングを見計らったようにして、五反田恵子は、やや緊張気味に本田に話しかけてきた。

「先生、今夜、お願いがありまして、太田君を連れてきました。先に、私からの話し、聞いていただけますか?」
「はい、もちろん・・・」
本田は喜んで同意したものの、
「でも、私でお役に立てるかな?・・・」
和らいだ表情になった五反田は、あらためて話を続けた。
「あのこ、いや失礼しました。太田君のことですが、是非、先生に指導して頂きたいのです・・・」
「どんな指導かな?まさかここで旅行取り扱い主任者の講義をする訳にはいかないし、五反田さんの言う指導とは、いったい何だろう・・・」
「身体は大きいのですが、気が小さいのです。ガールフレンドも居ないようですし、先輩が誘っても、お酒も飲みに行かないし、自分独りでも、夜の街に出てないようだし・・・」
「?・・・」
「いや、仕事中にいろいろ私に相談してくるものですから、先生の事、話したりしていたら、『本田先生に是非お会いしたい!』っていい始めたんです。だから今夜、連れてきたのです」
「そうか、そうですか・・・」
五反田の会話を聞く本田には、ようやく全てが読めてきた。
「わかった、わかりました。でも、私は自信ないな。もともと基本ができていて優秀な人材を教えるからあの難しい試験に合格するのですよ、例えば五反田さん、あなたのように、でも、ダメな人間はダメなんです。いくらこちらが教えても、そういう人間は他人の忠告や教えなど、全く聴く耳持っていない。耳の悪い人間何をやってもダメ。工夫しようという気持ちがないから。そういう人間にはいくら教えてもダメなのです」
「いいえ、本田先生のお話しなら、太田君は聞くはずです。マスターとして、普通の若い男性客を相手するつもりで、彼の話し相手をしていただくだけでいいのです。彼、誰も相談する先輩や仲間がいないのですから・・・」
ここまで話した五反田の表情さらに和らぎ、少しずつ笑みに代わり始めた。
「私は、客の話は何でも聴きます。お客さまから質問があれば、答えましょう。それならできます。が、彼に何かを教えることは、私には不可能だ。彼に私からの忠告は、これはできない・・・」
「・・・」
わずか十数秒であるが、二人の間で沈黙の時間があった。
本田から、話しかけた。むしろ五反田のリクエストに対する、より詳細な返事をした。
「ウム、五反田さんのお話し、よく解りました。まず、彼の話を聴く。いや、彼から私に話しかけやすい状況だけは、私が作りましょう。それだけなら、私にもできるだろう・・・」
あくまでもクールな、本田らしい返答だった。
「はい、そうですよね・・」
そんな本田の性格から発生する彼流儀の自然な対応は、今まで本田の講義を聞き慣れている五反田には、十分理解できた。そんな本田は、五反田に対し自分流の再確認をする。
「五反田さん、そういう事で、いいですね」
本田は確認した。
「はい、よく解りました。宜しくおねがいします」
納得した五反田は、明快に返事する。
「あ~よかった、ありがとうございます。でも、なんだか、申し訳ございません・・・」
今までの五反田の緊張は、ここで解き放たれた。
「ま、これから先、大田君が気に入ってこの店の客として出入りしてくれさえれば、それなりに判りますよ。ひとまず、じっくりと彼を観察してみないと」
「大丈夫です。太田君、きっとフォワイエ・ポウに来ますよ。これは確かです」
ちょうど二人の話しが終わったころにトイレのドアが開き、大田がカウンター席に戻ってきた。

トイレから出てきた大田に最初に話しかけたのは、五反田だった。
「太田君、なにか飲み物注文しましょう。私は、そうだな、久しぶりにビール頂きましょうか。太田君の飲み物、自分で決めて下さいな」
「僕も、ビールでお願いします」
「お二人ともビール、りょうかいです・・・」
注文し終わった二人にビールを用意しながら、本田は大田に話しかけた。会話の内容は、大田がトイレに立つ前の会話の続きだった。

「ところで太田君、どうして君は?自分から相撲部の落第生?って、自分から云うのかな?」
「はい、入部して半年目で、相撲部を止めたのです。ですから僕は、だめな男です」
「相撲部を辞めた。それからどうしたの?」
「いえ、辞めてからは他のクラブ活動はしていません」
「それはそれで問題ない。大学は学問の場所だから、クラブ活動しに行く場所じゃない。でも、なぜ辞めたの?」
「あ~、辞めた理由ですね」
「そう、それ、それが問題なんだ」
「単純です。あんなに頭が痛いスポーツだとは、思っていなかったのです。相撲の立会い稽古は、頭からぶつかる。だから、ぶつかっただけで頭が割れそうに痛いんです。想像していたより頭が痛いんですから、練習中に何回も脳震盪(のうしんとう)になったし、毎日頭が痛くて泣いていました・・・」
「今の大田君の感想、相撲の練習の事、初めて聞いたな。そうか、そんなに頭が痛いスポーツだとは知らなかった」
「・・・」
「太田君、大丈夫だ。大学相撲、途中で辞めてよかった。もうそんなこと忘れて、今の仕事に集中したら如何ですか・・・」
そんな会話の進む中、
本田の知り合いに、大相撲で十両まで昇進した人が、チャンコ料理店を開いていたのを思い出した。

   <・・続く・・>


*人気ブログランキング参加中!人気blogランキングへ

連載小説「フォワイエ・ポウ」を通してお読みになりたい方、あるいはもう一度読み直したい方、こちらのカテゴリー「長編連載小説フォワイエ・ポウ」からご覧いただけます(こちらから入れます)。

    ---------------------------------------------

<添付画像>
かれこれ30年数年も以前になるか?初めての欧羅巴旅行中に、イタリアの街角でふと見つけたモーターサイクル!
いろいろ調べていたら、さすが、ウイキペディア!
それが、DUCATIに出会った最初の「型式マシーン」が見つかった。但し、イラストレーションであった。
クラシックオートバイ、バイクフォルムの美しさ、、、。
そう、
古き時代のホンダもヤマハもスズキも、もっと古いメーカーの名を思い出せないバイクの美しきフォルム。今はすでに消滅した往年の、数々の日本バイクメーカーを思い出す。
私見であるが、どうもハーレーダヴィットソンに代表されるアメリカンスタイルのバイクよりも、我輩はヨーロッパスタイルのモーターサイクルの方が好みだ。
英国バイクもいい。ドイツのBMW水平対向エンジンの姿も、屈強そのもの。
しかし我輩はなぜか、バイクは「イタリアンスタイル」がいいのだ。
これ、このDcati、これこそヨーロピアン・スポーツ・モーターサイクルの古典的スタイルの典型と思っている。

*イタリアーノロッソ、真紅の鋼鉄丸パイプフレームの骨格。

*逆砲弾型ライトに、超短い「一文字型ハンドル」。

*ライトの位置、長めタンクから平べったいシートへ伸びる、流麗なライン。

*何しろ驚くべき姿は、やや前傾に搭載されているドデカイ短気筒エンジン。

*裸のキャブレター。
野暮ったいフィルターなど一切付いていない「裸のキャブレター」丸出し。これが何しろ美しいいのだ。

現代のレーシングマシーンの空気力学的に叶った流麗さは、むしろ我々の年代には違和感あり、むしろこの時代のカタチをして、最もモーターサイクル的美しさを感ずる。何もかも、ドカの歴史的背景、現在に至るまでの努力と栄光との道、そして究めつけはドカの感性+芸術的センスなのか。全てが明らかにされている「ウイキペディア百科事典」は、すばらしい。詳細はこちらから・・・

Just introduction of Wikipedia,,,

"Ducati Motor Holding"
From Wikipedia, the free encyclopedia

Ducati logo all blackDucati Motor Holding (NYSE: DMH) is an Italian motorcycle manufacturer located in Bologna.
Ducati motorcycles have long been known for their excellence in design and performance. From the first post-war bicycle-like low-displacement motorbikes Ducati has grown over the years into a racing giant that is consistently competitive in both the racing arena and the world motorcycle marketplace.
In the 1960s, Ducati earned its place in motorcycling history by producing the fastest 250cc road bike available, the Mach 1.

Ducati Mach 1In the 1970s Ducati began producing large-displacement L-twin motorcycles and in 1973 released a L-twin with the trademark desmodromic valve design. In 1985, Cagiva bought Ducati and rebadged many of the Ducati motorcycles with the lesser-known Cagiva name (at least outside of Italy). In 1996, Texas Pacific Group bought 51% of the company for $325 million and renamed the company Ducati Motor SpA. In December 2005 Ducati went back into Italian hands with the sale of Texas Pacific's stake to Investindustrial Holdings, the investment fund of Carlo and Andrea Bonomi.
Ducati is best known for high performance motorcycles characterized by trellis-style frames and large capacity four-stroke, 90-degree L-twin engines featuring a desmodromic valve design. Modern Ducatis remain among the dominant performance motorcycles available today partly because of the Desmo valve design, which is nearing its 50th year in production. (Desmodromic valves are closed with a separate, dedicated cam lobe and lifter instead of the conventional valve springs used in most internal combustion engines). While most other manufacturers have adopted wet-clutches (with the spinning parts bathed in oil) Ducati uses dry clutches in almost all of their motorcycles. This eliminates the power loss from oil viscosity drag on the engine even though the engagement may not be as smooth as the oil bath versions. Although the higher than average cost of servicing the Ducati's finicky engine can shock some owners, most will still agree that the improved ride quality, performance, and styling of Ducatis is worth the extra cost.

"Contents"
1 Product history
2 Motorcycle design history
3 Company history (apart from motorcycles)
4 Racing History
5 See also
6 External links
 (and so on,,,
I would strongly like to recommend jumpng and watching Wikipedia's pages,,,)

これ、続きがすばらしいい!画像もあります。是非、レーシングヒストリーをご覧下さい・・・

*人気ブログランキング参加中!人気blogランキングへ

エアラインの選り好み、好き嫌い・・

2006-05-11 10:01:15 | つれずれ紀行

 少し耳(目ですね)を、貸してください。
本日、
海外もひっくるめて「長距離旅行」には外せない乗り物「航空会社」の選択基準?ではなく、好き嫌いのお話を少々、・・・

    ---------------------------------------------
<飴風呂記事より転載>

2005-03-02
エアラインのより好み・好き嫌い・・
テーマ:ブログ

もともと人間だから好き嫌いがある。
なんだって、航空会社?
いなや思いをしたこともあれば、良かった思い出もある。
書き出しから結論として、この際、はっきりいっておこう。

(1)
<好きな航空会社>(国内)ANA
<嫌いな航空会社>(国内)JAL

(2)
<好きな航空会社>(国際線):スイス航空(自己倒産)・中華航空・シンガポール航空・ブリティッシュ英国航空・オランダ航空・ドイツ航空
<嫌いな航空会社>(国際線):JAL日本航空・大韓航空・ガルーダインドネシア航空・フランス航空


以上、それなりに好き嫌いの理由はあるが、あえて細かいことに言及するのは避けたい。

ま~ フルーツでも召し上がって、
気分転換いたしましょう。

*人気ブログランキング参加中!人気blogランキングへ

  ------------------------------------------------

<掲載画像について>
 撮影場所:スラバヤヒルトンホテル、スイートルーム内にて「VIPウエルカム用フルーツバスケット」を撮ってみた。フラッシュを使用してしまったが、少し強すぎた。
さて、このフルーツバスケット、全ての客室にセットされているものではなく、、顧客の人数、季節により、さらにVIPのレベルにより、このフルーツの質と量に、おおいに変化あるであろう。ちなみにこのバスケットは我輩一人用。
 林檎の存在をご確認いただけるだろうか?
 熱帯地方では珍しいのであるが、これは東ジャワ州マラン市の特産である。標高1000メーターレベルの高原の家々の庭には、林檎の木が植えられており、この画像程度の大きさの林檎が、庭の木に鈴なりになっている。別に林檎畑は確認したことはないけれど、観光林檎園はある。と聞く、・・・

連載小説「フォワイエ・ポウ」(27回)5章-2「思い出のハムステーキ」

2006-05-10 09:15:10 | 連載長編小説『フォワイエ・ポウ』
(添付画像解説);<Photo>:The displayed "Ducati999", which was taken by Mr. George AOKI, at Singapore Int'l Airport,>(「ドゥカティ999」の関連公式仕様書、こちらから参照できます)


「長編小説フォワイエ・ポウ」へ・・・

忘れてはならない大切な事、今夜ようやく学びかけていた。が、残念ながら、情けないかな、哀れにも、ここは本田の性格として、学んだことを直ちに忘れてしまう。長年に渡って身に付いた感覚、あるいは生活習慣と表現した方がよいのか。とにかく金銭感覚の無さは、そんなに簡単に直しようもなく、それはまるで本田のDNAに刷り込まれた劣性遺伝子的感性なのであった。

<前回掲載より・・・>

毎日一回、クリック応援を!(人気ブログランキング)

   -----------------------------------------------------

      (本日記事本文)

長編小説「フォワイエ・ポウ」5章-2(料理との出会い)
                    著者「ジョージ青木」

(1)

「はい、そうです」
「・・・」
「そうなんです。今からですよ、ちょっとしたディナーになるくらいの酒の肴を作ろうと思っていまして、今夜その試食会をしようと思って電話しました」
「・・・」
「内輪で試食するのですから、そんなホテルの試食会のような大それたイヴェントではありません」
「もちろん、試食していただく料理は、サービスですから、大丈夫。フリーサービスですよ。五反田さん、お1人では寂しいでしょうから、2~3人でお越しいただいても大歓迎。OKですよ」
「・・・」
「よかった、ぜひ起こしください」
「・・・」
「ありがとうございます、電話してよかった。おまちしています」
時間は午後5時25分。電話をかけた先はJGBの広島支店、退社寸前の五反田恵子に電話した。
時間は定かでないが、仕事が終わり次第、五反田恵子は店に向かうと約束してくれた。
五反田恵子への電話は、本田の思いつきであった。
あつかましいといえば、これほどのあつかましさも珍しい。場合によっては、あるいは相手の捉え方によれば、いかにも自己中心そのものである。とにかく思いついた時、思い立ったら素早く行動に移る、そのまま自分流になってしまう、本田はそういう性格の男であった。
今夜、店に五反田恵子を呼びつけた目的は、何なのか?
本田自らの手料理を、彼女に試食してもらうためである。フォワイエ・ポウの客であれば誰でもよかった。別に五反田でなくても、顔見知りの客であれば誰でもよかった。電話のボタンを押した本田の指先は、なぜかJGBの電話番号をプッシュしていた。
今、どのような手料理を、用意しようと考えているのか?
ペティーナイフを買い、さらに牛刀が買いたくなった時点で、自分の作りたい手料理のイメージは、すでに本田の頭に浮かんでいる。
開店時間まで、あと1時間半。
五反田恵子とのアポイントを取り終わった本田は、落ち着いて開店準備に取りかかった。

再び、外出中に口ずさんでいたホワイトクリスマスの歌を口ずさみながら、本田の独り言が、出た。
「よ~し、これでいよいよ取りかかれる。これからがきょうの楽しみなのである・・・」
洋包丁を買った満足感からか、なぜか喜び勇んでいる本田は、いよいよ満を持して『試作料理の下ごしらえ』にとりかかった。
まず、先ほど買ってきた刃物類に、あらためて目を通した。
右手でしっかりと、包丁の柄を握り、左手の手のひらの上に、軽く、刃の峰をのせる。上を向いている包丁の刃を、左手の親指で触れる。必ず直角に、触らなければならないし、触れた親指を直角に手前に引く。絶対に左右に動かしてはならない。左右に動かせば、必ず指を切る。こうして切っ先から付け根のまでの刃の全体にわたり、慎重に親指で触れてみる。
結果が出る。
結果的な本田の判断は、
(なんとか今すぐ使える、が、1~2度使ったら直ちに自分で研がねばならない。これは機械で砥いだ刃のままであるから、未だ、まともな刃は付けられていない状態である。あらためて自分自身で砥いでみて、その刃物の価値とその程度がわかる。それが良い刃物であれば、砥いだ後に、ようやくその刃物の真価が発揮できる・・・)
という結果が出た。
(もっと優秀な刃の付いた包丁があるのは分かっている。分かっている。これで良い!これで納得しよう。今これ以上の贅沢はいえない、云えば切がない)
先ほど購入した2本の包丁を本田の基準で測り、自分の使う道具として合格点をつけることにした。

食材の確認をしながら下ごしらえに入る。

A・ロースハム=
品質、量とも、とりあえず問題なし。厚さは、1センチ以上~1センチ5ミリ以内。さっそく4~5枚程度、牛刀で切り分けておいた。初めての包丁は使いにくかった。厚さが偏らないよう切り分けるには、やはり機械でカットする方がよかった。しかし本田は、頑固に自分の包丁で切り分けようと、自分で上手に切り分けられる腕前になるまで、やってみたい。やるぞ!と、決意した。しかし、本田にはわかっていた。この決意、なんとなんと、まことに非科学的な決断であり、理にかなわず、利にそぐわない決意をしている自覚はあった。

B・グリーンアスパラガス=
長さ12~3センチ程度のものを20本。穂先をやや長めに切り、根元をやや短めにイメージし、1本のアスパラを、3つに切り分けておく。穂先は生のままでソテーしても大丈夫であるが、根元はやや硬い。硬いから、熱湯で一分程度茹で上げ、その後冷蔵庫に入れ熱をとっておく。茹で上げると、アスパラの緑が鮮やかになる。

C・人参=
5ミリ以上1センチ以内程度の厚さに輪切りし、あるいは大きさにより半月型に切り、グリーンアスパラと同じ要領で茹で上げ、冷蔵庫にしまっておく。

D・新鮮なキュウリ=
その中でも、さらに形のよいもの数本を冷蔵庫にしまった。本来ソテーするつもりの人参は、そのうち生のままを使いたい。場合によりキュウリと人参を取り混ぜた野菜スティックを用意し、おつまみにして客に提供する考えであった。

E・甘口の白ワイン=
価格的にも、やや甘口の味も、ドイツ産モーゼルワインが最適であると判断した。
F・フランディー=
自分の飲みかけのブランデーを使うことにした。
これらのアルコール類は、全て調理用に使用する。ここで云う『少々』とは、大匙スプーン約2杯分である。それが必要な料理には、惜しまずケチらず、たっぷりとアルコール類を使うべし、などと心がけている、そんな料理に対する本田のポリシーがあった。

G・調味料=
冷凍保存のパセリ、丸ごとのレモン、数個。岩塩・コショウなどなど、手元の残量を確認した。
尚、パセリのみじん切りとレモンは、本田にとっては調味料の領域であった。

こうして料理の下ごしらえを終えた頃、開店の時刻となった。

まずはルーティーンで、表の看板のスイッチを入れる。
いつもながら、本田は開店時間になると緊張しつつ、看板のスイッチ・オン、午後7時ジャストに点灯し開店する。
表看板のスイッチを入れて間もなく、店のフロアー通路を歩く気配がする。カウンター内で耳を澄ます本田の耳に、入り口に向かっている複数の人の足音が聞こえてきた。

足音が聞こえてわずか数秒後、入り口のドアが開いた。

「こんばんは~」
ドアを半開きにしながら挨拶をする来客、その声の主は女性である。
すこぶる丁寧に、ゆっくりと、フォワイエ・ポウの店のドアが開く。
「いらっしゃいませ!」

(このあたりの挨拶言葉は、本来この小説文面に書く必要はない。しかし、書き記さねばならない。というのも、この物語は客商売の展開であり、客商売の挨拶は最も重要な最初の客を迎え入れる言葉であり、この挨拶を外せばその時点で、客商売は成立しなくなるからだ。さりとてこの小説の物語のなか、客を迎え入れる本田のペースには、さしたる変わりはない。ペースに変化がなくとも、挨拶の言葉を、この小説から省くわけには行かない事、この小説の読者諸兄には、あらためて了解を求めておきたい・・・)

「あ~ 五反田さんだ!もうお越し頂いたのだ。早いなあ~」
我儘な本田の思いつき、そんな思い付きの子供染みた本田の急な願いを聞き届け、約束を実行する為に本田の店に入ってきた五反田を一目見て、本田は単純によろこんだ。
「今日の仕事は終わり、もう止めた!って、途中で放り投げて、大急ぎでやって来ました。お言葉に甘えておうかがいしました。早く来すぎましたでしょうか?」
「いえいえ、そんなことない!」
「こちらとしては、こんな時、いや、いつでも早い方がありがたいのです!」
珍しくも、今夜の五反田は2人連れであった。
まず、本田は驚いた。
しかも、ことのほか本田はいつもの倍の驚き、つまり、二重に驚いてしまった。

<・・続く・・>

*人気ブログランキング参加中!人気blogランキングへ

*「ご案内」:連載小説「フォワイエ・ポウ」を通してお読みになりたい方、あるいはもう一度読み直したい方、こちらのカテゴリー「長編連載小説フォワイエ・ポウ」からご覧いただけます(こちらから入れます)。

『日本は見すてない』って、本当か?・・・

2006-05-08 08:25:00 | 教養・文化・歴史
??!!
 我が人生、毎年5月の連休を境に何かが起きる。そして今年、2006年のゴールデンウイークが終わる。終わるまでに、どうしてもケリを付けておきたい問題があった。すなわち、これを済ませておかねば、我が精神的身体の中、いかにも不衛生不健康極まりない「わだかまり」として残存するモノあり。
ならば、
 「我が精神的問題の始末と決着を付けねば!」

「・・・?」

例のポスター、我がブログに貼り付けたい!」(オリジナルポスターサイト、こちらから入れます)

等と、
まるで頑是(ガンゼ)無い「悪ガキの気分」まさに高揚し、本来やらねばならぬ事あるが、気分散漫にして一向に手が付かない・・・

「見つけた!」
「ほしいものが手に入った・・・・」

そして、

ブログに貼り付けた・・・

関連サイトを一回りし、ようやく見つけてきた「このポスター」・・・
政府広報室は、我輩に対し、何ら「著作権乱用」の非難は、決してしないであろう。。。
(非難どころか、拉致被害者問題早期解決にご賛同下さる方、こちらをクリック願いたい!)

そして、
無断掲載にて「政府広報ポスター」を、不肖・エセ男爵ブログの記事として貼り付ける!

このポスターの写真、見れば、見るほど、

  いかにも、寂しい、悲しい、哀れ、
                    である・・・
そして、
 我輩、日本人として「恥ずかしい・・・・」

その理由を述べておきたい。
述べれば、
我輩の今年のゴールデンウイークに決着が付けれそうだ。

その為、
 「大英帝国の某逸話」を引用したい。

 かの大英帝国の歴史のひとこま(19世紀末か?20世紀の初頭?)、当時の大英帝国の統治領で、英国国民の拉致事件があったという。
 これ、今、日本の抱える最重要課題のひとつ「拉致被害者問題」と大変類似した逸話。
 今、詳しく且つ正確には思い出せない。
が、拉致被害者問題の我国政府広報ポスターを切り抜いたからには、忘れかけていた「その逸話」を脳細胞の片隅から引っ張り出し、書いてみた。

当時の英国政府外務大臣は、一刻も早く拉致された英国籍人物の救出を実行したく、いち早く英国海軍を現地に派遣し、武力交戦も辞さない覚悟で「只一人の英国人」の救出を計画。以って、その英国外務大臣は急遽大英帝国国会を招集し、特別議会を開催。拉致被害者救出目的にて「海軍力行使」の決議を、国会議員に求めたとの事。
かくして賛否両論、侃々諤々、、、。
丸々一晩掛りにて(10時間以上?)延々と、議会での討論は続いた。
かの英国外務大臣曰く、
*たとえ一人といえども、我が英国にして拉致被害者を黙って見過ごすは「大英帝国の威信」に関わり、
*これを放置する事により、近い将来、大英帝国の国益不利益に直結する、と、判断し、
*もって大英帝国海軍と海兵隊を現地派遣し、拉致被害者の救出実行をし、
*断固、大英帝国の英断決断とその実行を、世界の他国に広報することにより、
*大英帝国国民の信頼を得る事になり、
*国民の信頼を得る事は、大英帝国国家の最も強力な国益に繋がる!
と、大演説をしたそうだ・・・
結果、
当時の英国議会は、満場一致で「拉致被害者救出作戦」のための英国海軍と英国海兵隊の派遣に、賛成。
議会が通れば急遽、軍事行動に移った。
かくして大西洋を渡り、拉致被害者の拘留されている「交戦相手国」に到着したところ、対象国はあっさりと降参。かくして拉致被害者は解き放たれ、英国海軍の軍事力行使までに至らず、無事問題解決されたとか、、、。
以って、かの英国外務大臣、当時の英国国民から万感の感謝と喝采を浴びたとの事。
しかしこの話に「オチ」がある。
なんと、
拉致被害者は、アングロサクソンなる生粋の英国人ではなく、当時の英領に生まれ育った「統治下の原住民」であった。と云う。
だから、英国議会で賛否両論巻き起こり、
「現地住民であるから、放っておけばよい・・・」
「なにも現地住民のために、火種を大きくする可能性のある海軍派遣は、実行すべきではないであろう・・・」
等々、、、。
かくして、かの外務大臣の演説、究め付けを発した。
「英領内に居住する英国籍他民族を救ってこそ、全世界から英国への賛辞があるというもの!だからこそ、海軍を派遣してまで救出するのである!」
と、豪語した。
との事、、、。

さて、私論です。
この英国議会と外務大臣の執った行動を、自国の国民に見せたこと。これでこそ英国民をして「国を愛する気持ち」を持ち得るのではないか、、、。
国民の納得する行動を「政府がやって見せる」こと!これでこそ国を愛する心が、国民一致で定着可能なるか!

さて、話戻って、現在我国の抱える「北朝鮮拉致被害者問題」・・・
何とする!?!
拉致被害者は、紛れもない「日本人」ぞ!
小泉首相の北朝鮮訪問から、何ら問題解決の前進なき状態続き、すでに久しい。
日本国民は、幼稚園児から高齢者に至るまで、国民全員が、拉致問題の認識はしている。
「日本は見捨てない」!・・・
なるほど、ポスターはすばらしい!
さりとて、
日本国民の望むは、「拉致被害者問題の認識」でもなく、気分高揚でもない。 

さあ、
いよいよ5月連休が明ける。

ならば、政府よ!
「拉致被害者問題解決」を実行してくれ!

拉致被害者奪回に向けての実質的行動!執るべし!!!! そして『拉致問題早期解決』にご賛同の方、是非応援クリック願います・・・

*人気ブログランキング参加中!人気blogランキングへ

---------------------------------------------------------

<付録記事>:以下、「日本海」をして、(朝鮮流「東海」でなく)は日本海の名前の蘊蓄、良いポスターがあります。美しいポスター、是非お開き下さい。(外務省関連サイト、こちらから入れます。)


<以下、外務省広報部による本文・・>
「日本海」は地理学的、歴史的に広く定着した名称です。現在、一部の国・地域が「東海」に変更しようとの働きかけを行っていますが、世界の殆どすべての国においては「日本海」が使用されています。国際的に広く定着している「日本海」という呼称の変更、複数の呼称の使用は世界の地理学的秩序を混乱させてしまいます。
 「日本海」という呼称の歴史的正当性及び地理的妥当性等につき紹介したパンフレットです。
平成14年12月発行。

(以上、外務省記事より、転載・・・)

毎日一回、クリック応援を!(人気ブログランキング)

旅のみやげは、何がいい?

2006-05-07 10:20:25 | インドネシアとバリ島の話
<画像>:(バリ島スミニャック地域のおしゃれな長期滞在型ヴィラスタイルのホテル「HOTEL Bali Ayu」にて。木製のランプスタンドが小粋であるか)

ところで本日、ゴールデンウイークの最終日。

今年のゴールデンウイークも日本人は大挙して、海外旅行に出向いたとか・・・
「・・・?」
よいことですよいことです。
10数年前ならば5月連休は「かき入れ時」。仕事は「超ピーク」でした!
数10年もの間、お正月と5月の連休は、毎年毎年海外旅行の添乗員にて日本にいなかった時代。とことん仕事に徹底していた時代が懐かしい。
しかしキョウビの私的ゴールデンウイークは、いささか閑、というよりまともな状態か。
そんな中、この数日間、ブログを始めた1年前を回顧しつつ、記事移転に苦心惨憺。
そう、
約1年も前のリヴァイヴァル記事の掲載、お許しあれ、、、。
しかしながら管理者本人には、いと懐かしき記事なり。

(「懐かしき記事」!気楽にご覧頂きつつも連休現象的下降気味!ランキング向上に、是非ともご協力いただきたい・・・)

毎日一回、クリック応援を!(人気ブログランキング)

   -----------------------------------

(記事本文)

2005-03-02
タイトル:「旅行土産は何がいい?」
テーマ:ブログ

昨日か?

同じジャンル「旅・アウトドアー」に、ほどほどに面白いBlogを見つけました。

そして、トラックバックという、未だに訳の分からない『ゲーム』があり、またまたそのゲームに参加しました。

テーマは、「旅行土産」は何がいいか?
嗜好と志向を思考し、素人に教授してほしいと言う意図である。
との、ことである。

海外旅行で、ショッピングは欠かせない。
(我輩は、興味ないのであまりしないが・・・)
といっても添付写真の時計、、、。
これ、普通の防水時計。
スイス製 Wenger の製品なり。
不釣合いにも、これ、
バリ島に行くときGaruda航空の機内で一番高い買い物でした。
確か、US$200チョットだったか?
ガルーダ航空機内販売にしては超高級品だ!
自分では良いもの見つけたと思っている。思い込んでいる・・・
とにかくこの型式、後にも先にも日本では売っていないようです。
日本ではもう少し安物を取り扱って、倍くらいの値段で販売されている。
倍でもかまわないと思う。
わざわざ外国まで行かなくても世界の一流品が手に入る世になったのだから。
あの、あれよ、スイスアーミーナイフを作っている会社の時計です。
水深200mまでOK、水圧をものともしない、優秀で無骨な代物です。
ダイビングをやらない我輩には無用の長物ですが、せいぜいこの時計を着けたままプールに入り、さらにせっせとシャワーを浴びている。
この3年間、ショッピングしたものはこれだけです。
ご紹介しておきます。

私事、
「ごめんなさい!」


さて本論をまじめに話す、

旅行業者の収入はこまめであり多岐に渡る。
今はこの定義が難解複雑で入り乱れ、説明が難しい。
が、本来ならば、基本は航空運賃コミッションから始まり、バスコミッション、ホテルコミッションなどなど、いろいろアル。
旅行代理店とは、頭のテッペンから足の先まで「コミッション」で生計を立てている訳で、すべからく「正規な手数料収入」を取るから経営がなりたつ。
しかし、
どうもこの手数料コミッションという日本語は「ひびき=きこえ」が悪いのであるが、これなくして旅行業は成り立たない。

もともと?遺伝子的に、そんあに「かたくな」に?なんだか日本人社会はチップシステムを認めたがらないし、正規取引のコミッションを認めたがらないから、サービスとして客を直接扱う飲食業や旅行業などのサービス業が成熟しない。サービス業界にあまり良い人材が集まらない、定着しない理由がこのあたりにあるのではないだろうか?
ゴメンなさい、また話がそれた。

本論に戻す。
時代の変遷あって、かくして、お土産屋さんを案内したときのコミッションは、旅行業界収入の大切なジャンルとなる。
「土産を買ってきてほしい」と、旅行出発前に知人に依頼されることもあろう。
餞別とやらを頂き、義理で(餞別返し)で、どうしてもそれに見合うショッピングをしなければならん人も多い。それで、これらの問題を解消する手段として、お土産の事前注文システムが構築されたのである。
なんだか良くわからないが、要するに「需要」と「供給」のバランスをとるシステムであるならば、それはそれでよかろうと思う。

以下、その需給バランスシステムの一例を紹介する。
そして、「旅奉行さん」には、せいぜいがんばってもらいたいのである。

『旅奉行回覧板』http://tabibugyou.ameblo.jp/
http://www.tabibugyou.com/

で、Conclusion? もう一度いう。
商道徳上、コッミッション収受は善か悪か?不正か正当か?
我輩は、それは善であり正当と思う。
あわせてサービスを提供する側は、コミッションを受けて更に正当妥当とされるグレードの高いサービスを維持し提供する責任があり、サービスを受ける側はサービスの付加価値を認める義務もある。
必ずや、サービスには「付加価値」が発生する。
両者にとって、当たり前の理屈、お互いこれを認めよう。
とにかくサービス業の発展のため、よりグレードの高いサービスのやり取りを、互いに築き上げていきませんか

*人気ブログランキング参加中!人気blogランキングへ

連載小説『フォワイエ・ポウ』(26回掲載)5章「金銭感覚の欠如」

2006-05-05 08:02:30 | 連載長編小説『フォワイエ・ポウ』
<添付画像>:イタリア2輪の華「Ducati999」過酷なレースに耐えうる機械工学的に洗練された美しさと強度を兼ね備える「フレーム部分」を撮影する(撮影場所はシンガポールにて。解説仔細は、前号5月3日掲載記事をご参照下さい)

    ---------------------------------------------

「読者の皆様へ緊急のお願い」:
5月連休中にてランキング下降中!
ランキング正常化のため、初めてお越しの読者の方に、特にお願いです!
是非とも下記ランキングバーをクリックしてお帰り下さい。
*人気ブログランキング参加中!人気blogランキングへ

(掲載済みの「フォワイエ・ポウ」を通してお読みになりたい方、こちらから入れます)

-------------------------------------------------------

  小説「フォワイエ・ポウ」
 
          著:ジョージ青木

5章

1(拘りの刃物)

(3)

銃砲刀剣所持に関する厳しい日本の法律が存在する以上、刀剣類のコレクションまでには到底及ばなかったが、気が付けばすでに、10数本に及ぶハンティングナイフが揃っていた。洋式刃物を研磨する専用の砥石も用意した。すでに10年以上にわたり、自分自身の手で、これらのコレクションの手入れも続けていた。日本式とは違う。水を使わずに油を使って刃物を研ぐ。そんな基本もいつしか誰かに教わった。洋式オイルストーン砥石の一式も、アメリカ旅行中に買い求めていた。すでに十分な経験のある刃物の取り扱いに関し、いまさらデパートの店員の説明など、本田にとっては赤子の寝息を聞いているようなものであった。
店員の説明を聞きながら、本田の視線はペティーナイフ以外の刃物に向いていた。
(小振りの牛刀が、欲しくなった・・・)
節約、無駄な買い物をしない!と、心に決めてデパートに来た本田であったが、店員の説明を聞いている間に少しずつ、固いはずの決心は蒸発し、消えてなくなりつつあった。刃物を見る前までの固い決心が、今、変わろうとしていた。
(決心をかえるのは、まずいよな~)
ついに、考えてはならない事を考え、今、決めてはならない事を決断した。
「あの~ あの牛刀を、見せて頂きたいのですが」
「はい、かしこまりました・・・」
ペティーナイフ一本あれば、それで十分、本田の業務に差し障りはない。
今夜しかし、店に入るなり、酒の肴になる料理を自分で作ってみたくなったのである。
もうこの時点で、店員のアドバイスを受ける必要はなかった。
洋包丁のケースの中、自分の使いこなせる包丁と、使いこなせないものがある。刃渡り30センチ以下の小振りの牛刀なら使える。肉切り包丁で肉のかたまりを切ってみたい。肉料理を作って、酒の肴になる肉料理を自分で造って客に喜んでもらいたい。と、すでに決めていたショッピング予算の理由なき拡大に、あえて理由をつけてしまった。その結果として、ナイフ1本の予算以上の予定外の支出となった。

刃渡り20センチ弱の小振りの洋包丁1本とペティーナイフを購入。それに加えてプラスチック製の『まな板』を買った本田は、急ぎデパートの食品売り場に向かった。地下の食品売り場の中、肉屋へ直行する。
「ロースハムが欲しい!」
「ロースハムは、こちらになります。何グラムでしょうか?」
ハムの切り口を見せながら、顧客の要望する重量目方に合わせて、ハムを切る準備をしようとしている。
「いや、切らなくていいのです。切っていないハムを1本。そのままま全部、頂きたいのですが・・・」
「もうしわけございません。もうすでに、この時間ですので、この切りかかったハムしかございません。明日の朝ですと、ご用意できます。あるいはまた、ご贈答用の箱でお買い求めいただければ、他の商品と組み合わせでございますが、確かにロースハムの組み合わせられたご贈答品がございますが・・・」
肉屋の用意したハムを、もう一度観察した。ハムの直径は、10センチ以上だろうか、さらに切り残されたハムの長さは、まだ15センチはあるか、十分残っている。
「これ、何キロありますか?」
さっそく肉屋の秤にのせられ量られたハムは、およそ2キログラムであった。この目方に妥協した。切り売りされているハムの残りを、全部買った。
店員は、また言った。
「スライスしましょうか」
本田は断った。
(とんでもない。店員にスライスされてたまるものか!)
(新しい自分の包丁で、試し切りするのだ、絶対に自分でスライスするのだ!)
このあたり無闇に欲しいものを欲しがる。つまり、すでに子供の状態に立ち戻った本田の発想があった。何だか、新しい包丁を買ってしまったが為に、ロースハム一本丸ごと買いたくなったのである。
加えて、平素、食品を買ったことのない本田にとっては、ロースハムがこんなに高いものなのか?何故、どうしてこの値段になるのか?繰り出してくる自問自答の整理がつかなかった。食品の価格設定の不可解さで、本田の頭はもつれた毛糸のようにこんがらがっていた。
混沌としていた内容は、つまり物の値段の基準がなかったという事実に他ならない。ショッピングをしない本田自身、平素から、市中の諸物価の動向に興味のない、基準を持たない本田の無知さ加減とその実態が、ここに明確にさらけ出されただけの事であった。
納得できずに肉屋のコーナーをはなれ、さらにパン屋のコーナーに向かった。
数少なくなったパンの中、太さ6~7センチ。長さは7~80センチもあろうかと思われるフランスパンに目をつける。
店員に聞けば、本日昼前に焼き上げたものであるという。本田は、また驚いた。たかだかフランスパン一本が、こんなに高いものか?愕然とした。
驚きながらも、目前のフランスパンが無性に欲しくなり、
(今夜食べ切ってしまえば大丈夫。まだ間に合う、おいしく食べられるはずだ・・・)

フランスパンを買い終えてデパートの地下から抜け出した本田は、いよいよ足早に自分の店に向かった。
路面に出れば、すでに夕日は沈み、雑多な街の光源とネオンサインは光瞬きはじめていた。
めっぽう外気の冷たさが身にしみた。
解からない物の値段に関する試行錯誤を繰り返しながら、熱くなっていた本田は、ここで冷たい外気に触れ、ようやく正常に冷えてきた。
整理がつけば、問題はさほどの難問ではなかった。
(自分にはわからない、少しずつ勉強すれよいではないか?)
(値段がどうした!値段の云々、こんな下種な事はどうでもよいのだから、もう、忘れよう)
欲しいもの手に入れたいものを目の前にすると、手元の現金さえあれば、買ってしまう。欲しくなった商品を見たその時点で、先を見越した予算や収支計画など本田にとっては些細な問題となり、金銭感覚がなくなってしまう。
忘れてはならない大切な事、今夜ようやく学びかけていた。が、残念ながら、情けないかな、哀れにも、ここは本田の性格として、学んだことを直ちに忘れてしまう。長年に渡って身に付いた感覚、あるいは生活習慣と表現した方がよいのか。とにかく金銭感覚の無さは、そんなに簡単に直しようもなく、それはまるで本田のDNAに刷り込まれた劣性遺伝子的感性なのであった。

<・・続く・・>
(次回掲載予定:5月9日火曜日)

 毎日一回、クリック応援を!(人気ブログランキング)

連載小説「フォワイエ・ポウ」を通してお読みになりたい方、あるいはもう一度読み直したい方、こちらのカテゴリー「長編連載小説フォワイエ・ポウ」からご覧いただけます(こちらから入れます)。


長編小説『フォワイエ・ポウ』(25回連載)5章・「こだわりのペティーナイフ」

2006-05-03 10:38:20 | 連載長編小説『フォワイエ・ポウ』
<添付画像>シンガポール・チャンギ国際空港に展示されていた「Ducati 999」!

 まずは前座、
   「画像関連のお話・・・」

 小説「フォワイエ・ポウ」愛読者のお一人「kenbou-7さん」こと、『漢(オトコ)の勲章』ブログ管理者からのご要望いお答えし、当長編小説「掲載24回目」より「イタリアの名車・ドゥカティ」のレーシングマシーン画像掲載した。(前回画像の詳しくはこちらをクリック、ご参照下さい)そして、この[Ducati 999]の画像、もう暫くは「小説投稿日」に、連続掲載する。また、エセ男爵ブログをご愛読頂いている「tonoさん」こと、「G殿下」より、上述2輪レーサーについて詳細関連なる解説を頂いた。簡潔にて専門的なコメントであるから、我輩たちまち驚嘆にして感激。2輪レーシングマシーンに興味をお持ちの方は是非、24回記事に付けて頂いた「tonoさん」からのコメント、ご一読下さい。
 2輪レーシングマシーンは、一見「小説フォワイエ・ポウ」との関連は無さそうであるが、大いに関連性あり。読み進めて頂くごとに解明可能となりますので、宜しくお願いします。

   -----------------------------------------------

 おっと、話長くなり失礼!
          画像解説から小説の話へ・・・

小説「フォワイエ・ポウ」、昭和末期の師走。クリスマス前、ショッピングに不慣れな本田マスターは、デパートの日用品売り場へ向かうシーンから・・・

(・・・24回掲載分より)
デパートの店員に、いちいち場所を聞く必要はなかった。本田はすでに2週間前に下見をしていた。何がどこにおいてあるか、そして目的の商品は、価格は?品質は?用途は?何がベストなのか?何を買うか?ほぼ決定していた。2週間前の下見の時、あれこれ見れば見るほど本田の欲しいものはたくさんあった。全部欲しかった。買いたくなった。予算や経費の計算など、良い商品を観て欲しくなったら関係なくなり、分別のない子供の心になりかかってしまった。
ようやく商売は、始まったばかりである。十分に先が見えていない今は無駄使いしてはならない事くらい、理論的な判断はつく。だから我慢する。今すぐに必要なものと、たちまち必用でないものを選り分けようと決定し、ここは大人の分別をもって選り分けた。
(良いものを選ばなければ、すなわち本職用のものを買おう)
自分の腕前とは関係なく、いや、腕前以上の『よいもの』が欲しかった。
(プロ仕様の高級ペティーナイフ一本のみ、それだけを買おう!・・・)
いよいよ今日は、それを購入する日であった。

 (以上、第24回掲載分、最終節より・・)

毎日一回、クリック応援を!(人気ブログランキング)

-----------------------------------------------


長編エンタメ小説「フォワイエ・ポウ」
               著:ジョージ青木  

5章

1(拘りの刃物)

(1)―2

(2節)

クリスマスを目前にしたウイークデーの夕刻、デパートの中で際立って人気(ひとけ)の少ない場所があった。その場所は、このフロアーの刃物ショーケースであった。たぶん、普通の家庭の主婦は立ち寄らない場所、つまり高級刃物類のみを展示しているコーナーなのである。さらに特徴をあげれば、刃物コーナーのすべての商品ケースには、必ず鍵がかけてあるので、前もって店員に申し出して、鍵を開けてもらわない限り、絶対に展示商品には触れられないようにできている。
商品を購入する目的でやってきた本田は、さっそく店員の待機している場所まで出向き、刃物を見せてほしい旨を伝えたところ、先日下見に立ち寄った時と同じ、中年の女性店員が出てきた。その女性店員はどうやら、2週間前に立ち寄った本田を覚えているようで、
「いらっしゃいませ、お待ちいたしておりました」
「・・・」
確かに先日、
「また来ます・・・」
とは云ったものの、一度だけ立ち寄った場所の店員は、確かに本田を記憶していた。
畳一枚ほどの大きさのショーケースの中に、和包丁は右、洋包丁は左、それぞれ隣あわせに展示されている。
最初の本田の視線は、和包丁に向いた。刺身包丁、大型小型の出刃包丁、刃先の尖っていない菜切り包丁などなど展示してある。それぞれ別の目的を持った包丁の形状の違いには、それぞれがそれなりの機能的な美しさを持つ。刃物独特の造形美に、本田はしばらく目を奪われていた。
視線は左のショーケースに移り、さらに入念に洋包丁を見渡しはじめたのであるが、なにもケース全体を見渡すほどのこともない。買うと決めている商品は、ペティーナイフ一本だけなのだ。
「なにか適当な、使い良いペティーナイフがほしいのです」
「はい、かしこまりました、ペティーナイフですね、そう致しますと・・・」
ショーケース上にクロスを広げた店員は、ケースの中から次々と四本のペティーナイフを取り出し、クロスの上に揃えはじめた。
「まず、ペティーナイフも大きさが二種類ありまして、こちらの刃渡りの長い方が約12センチ、短い方は、ウ~ン?せいぜい10センチ5ミリ程度でしょうか?メーカーによって若干の違いがありますが、ほぼそんな刃渡りです。わずかに1~2センチの違いです。刃渡りの短い方が使い勝手がよく、つまり標準的なサイズでして、こちら長い方は、この長さですと十分肉も切り分けられます、つまり牛刀に近いものです」
「つまり、たとえば焼き鳥屋さん用ですね!長いサイズは」
「要するに、肉切り包丁なのだ。にわとりの胸肉をさばくのに、ちょうど手ごろなのかな・・・」
「ウ~ム、わずか1~2センチの違いなのか」
「でも、ずいぶん感じが違いますね」
思わず本田の独り言が、ついつい音声になって口から出てしまった。
「そう、そうです。お客様のイメージ通り、この長さですと、小鳥や小魚でも捌けますから、便利が宜しいかと思います」
「逆に果物の皮剥きなど、長すぎて難しくなりますから、むしろ素人さまには扱いの難しい長さです」
本田は決めていた。
(こちとら当面、レモンの輪切り程度に必要なだけ。そのためのペティーナイフなのだ)
長い方は、返って難しい。うっかりわき見でもしていれば、自分の指を切りかねない。
(長い方は、危ない。下手すると怪我する)
「短い方がいいな」
「はい、かしこまりました」
「それから、もう一点、ご説明させて頂きたいのですが・・・」
「こちらはドイツ製のステンレスで、こちらは日本製。鋼(はがね)を鍛造したものです。鋼ですとどうしても錆やすいので、お使いになった後の手入れが面倒です。ですから・・・」
熱心な店員の説明を途中でさえぎるかたちになったが、本田が口を挟んだ。
「手入れは問題ないです、自分でできるから大丈夫・・・」
「日本製のナイフにします」

15年以上に及ぶ旅行会社勤務時代、特にアメリカとヨーロッパを旅行中、自由時間があれば必ず立ち寄る場所があった。まずアウトドアースポーツの店。銃砲や刃物を扱っている店がもし見つかれば、必ず立ち寄っていた。まさか本物の銃砲を購入するわけにはいかなかったが、刃渡り30センチ以内のハンティングナイフであれば、日本国内への持ち込みはなんら問題なかった。大小さまざまのハンティングナイフや、その土地独特のスタイルを持つフォールディングナイフなど、珍しいものもあった。圧巻はインド旅行中にジャイプール市内で見つけたもの、街はずれの骨董店で、ガラクタ宝石に混じって、さりげなくショーケースに放り投げられていたものであった。
骨董店のおやじ曰く、
(このナイフは約250年前、王侯貴族が所有していたものであるから、世の中に二本と見つからない!)
と、声高らかに謳われている品物であった。
象牙の柄(つか)に純銀の鞘(さや)。それぞれ柄と鞘の数箇所には、適度な大きさのトルコ石が、バランスよく組み込まれている。本田にとって重要な事柄は、外見の良し悪しとは全く関係なかった。刃渡り約25センチの刃そのものが、この短剣の魅力であった。ダマスカス鋼の刃が、しつらえてあるではないか。切っ先から刃の付け根まで、刃長全体にわたって満遍なく数10本の細糸をもみほぐし、さらにそれを絡めたような、あるいは、人間の指先の指紋をくっつけ、さらにそれを伸ばしたような独特な波紋模様を持つダマスカス鋼製の刃に、本田は魅せられた。想えば、昭和50年代のはじめの出来事である。当時、1ドル360円の時代、その短剣には1200ドルの値札がついていた。が、まずは、3分の1の400ドルから交渉を始め、30分がかりでようやく半額の600ドルで交渉が落着し、購入したシロモノであった。旅先でほとんど買い物をしない本田にとっては、かなり珍しい出来事であった。こうして、美術品の域にある刃物を持ち帰ったが、帰国して半年後、ダマスカス鋼の刃を備えた美術品の短剣を手放した。40万円で買い取りたいという人物が現れたから、簡単に手放した。今考えれば、馬鹿なことをしたとも思える。しかし当時の本田は、今とは桁違いにおおらかであった。
「自分の持ち物の中、欲しいといってくれる人がいれば差し上げてもよい。自分が手元に持っているものを、よいものだと評価してくれる人がいる。それが欲しいという人にはそれを譲り、喜んでもらえばそれが一番。自分はそれで満足、そんな自分は幸せだ」
「な~に、簡単な事だ。また見つければいい。いまからも何度もインドに行ける。次のインド旅行中に、もっと好い短剣を自分で見つけてくればいいではないか・・・」
その後、本田はインドに行く機会が訪れていない。
今になって、手元に所持しておけばよかった。と考えられない事もないが、すでに手遅れである。同じものは二度と手に入らない。しかし、その骨董品の短剣に対する執着心はなかった。わずか半年でも自分の手元に保有したという出来事こそが貴重なのであり、思い出として記憶に留めるだけで、本田は十分に満足した。
平均的で常識的な金銭感覚の薄弱な本田は、当然ながらことごとく物欲というものも希薄であった。

<・・続く・・>

*人気ブログランキング参加中!人気blogランキングへ

連載小説「フォワイエ・ポウ」を通してお読みになりたい方、あるいはもう一度読み直したい方、こちらのカテゴリー「長編連載小説フォワイエ・ポウ」からご覧いただけます(こちらから入れます)。



鈴蘭の記録(3/3)謙虚なるかな?「鈴蘭満開」状態?

2006-05-02 21:08:10 | つれずれ紀行
???

な、何ですか?

そう、緑ずくし?なる、掲載画像、、、。

出張先から自宅に直行し、鈴蘭の画像を記録し、大急ぎで投稿した。

撮影日時は、2006年5月2日午後6時6分なり・・・

とりあえず「満開」常態か?

直径5ミリ強?(5ミリ弱ではないのだ)の小鈴型真白き花が咲いているのだ。

「・・・?」
「何ですって?もう少し花がよく見えるよう近接撮影を試みたら宜しい!ですって?」
「・・・!」
「いや、もうホトホト、花の接写は厭きました。花の近接撮影はカメラ初心者のなせる技・・・」
「・・・?」
「我輩すでに卒業!、もとい、中退?ですので、「接写」は、記事記録の為の「書籍撮影」のみにて、ご勘弁を・・・」
(ここで、あえて言い訳があります。このスズラン、接写しても写り栄えのする艶やかな花ではないこと。恥ずかしながら我が旧式デジカメの機能では、接写を試みても鮮明なる画像は出来上がらぬこと承知の上、接写は避けるのであります!)

エセ男爵ブログの読者諸兄におかれましては先刻ご承知のとおり、鈴蘭シリーズ最終回の目的は、

A)満開に咲いた花の撮影はもちろんの事(ながら)、

B)主たる目的は、約2週間前から芽吹き始めたスズラン群の生育状態を記録したく取組んだもの・・・

「・・・!!」

こうしてみると、僅か2週間足らずでよく伸びた。
そして、花も咲いた。

何ら手を加えなくとも、地下茎のエネルギーで育つスズラン。このブログを見ていただいている先輩曰く、
「間違いなく、(我輩よりも)このスズランの方が長生きするであろう・・・」
と、の賜った・・・

「な、なるほど!」(かくしてスズランの命は儚く無く永いのである!)

「さもありなん!そうでしょう、そうでしょう・・・」

今からも尚、このスズランの命、永らえて、続けて、

我輩に対して!

*冷ややかに、

*冷静に、

*もの言わず、アドバイスせず、

そして、このスズラン群、我が儚き「残照的人生」を見届けるのか、、。

そう、しっかり観察、見てやってくれよ!

我が人生、見届けてもらおうではないか!

かくして、本日も、
不良シニア、不肖・エセ男爵の「無駄なツッパリ」!
馬鹿馬鹿しくて「お笑いになる方」も、「そうでない方」も、下記「緑色」のバーを、クリックして下さい。
毎日一回、クリック応援を!(人気ブログランキング)

PS:スズラン記事連載は、本日で終了。4月中旬からの生育状態、ならびに「花を愛でる情緒無き輩殻、すなわち、癒風情緒欠如・乾燥風愛情欠如的「エセ男爵流スズラン雑感」を回顧頂きたく、下記過去記事、是非ご通読下さい。。。
第一回スズラン記事(4月16日掲載)はこちらから
第二回スズラン記事(4月23日掲載)はこちらから


拝啓 櫻井よしこ様: 「論戦1994~1996」に寄せて・・

2006-05-01 13:58:45 | 教養・文化・歴史
 このところ、俄に三莫迦隣国が喧しい。竹島問題、尖閣諸島等々枝葉的領土問題。棚上げされた6ヶ国協議の狭間で、一向に前進しない北朝鮮との国交正常化を視野に置いた未解決なる核開発問題。とりもなおさず未解決の拉致被害者問題等々、馬鹿馬鹿しくも煩くて、煩くて、仕方がない。
そんな我輩、毎週ルーティーンでお伺いする『ys櫻井よしこblog』2006年04月27日「金正日打倒で日韓は協力せよ」06年4月27日号日本ルネッサンス 第212回、を拝読。なんと支那共産政権と南北朝鮮により仕組まれた、一見複雑にして扁平的歪曲なる、三莫迦隣国連系「三文オペラ風政治戦略」に触れられているではないか。

 シナ共産政権ならびに韓国三流政権から我国に対し、近年頓にヒステリックに繰り返し反復される「歴史認識問題」から「靖国問題」等々、三莫迦隣国からの横槍が入りすぎる昨今。そんなところで我輩は、あらためて明治維新以降の我国と朝鮮半島の歴史的出来事を、一度包括的に整理してみたくなった。

 歴史上の出来事を整理する為の資料を蒐集すれば限がなく、多岐にわたり膨大であるからして、当面のところ、表題添付画像に於ける岩波書店発行「机上版世界史年表」と「日本史年表」(1995年1月9日第1刷発行1998年10月15日第4刷発行。1999年、購入)を紐解き、明治維新以降の「朝鮮と日本の歴史的関わり」を抜粋し、約2ヶ月かけて、我が乏しき知識の整理を敢行することにした。(本テーマに関し、今後は当ブログに連載する)

 何と!
 出て来るは、出て来るは、19世紀末の明治維新(1868年)から征韓論、日清戦争勃発の明治27年(1894年)、日露戦争の始まった明治37年(1904年)、支那事変をへて日中戦争に展開し、昭和16年12月7日(1942年)の真珠湾奇襲攻撃から始まった太平洋戦争のさなか1945年の第二次世界大戦終戦まで。さらには終戦後、「朝鮮動乱」を経て李承晩政権下の李承晩ラインによる不当不法なる日本漁船の拿捕から漁船人の拉致等々、朝鮮半島の歴史のあらゆる場面で、往時の日本政府ならびに民間日本人との間に起きた種々雑多にしてネガティブ、煩雑にして埒の開かない諸問題(トラブル)が頻発しているのだ。
 近代史の年表を追っていくだけでも、あまりにも知らない(知らされていない)「我国と朝鮮半島の歴史事実」が山積している事に気付き、あらためて昨今の朝鮮半島と我国の諸問題の典型が垣間見えてくる。明治維新を切り口にしてもすでに100年以上、如何に「朝鮮半島問題」が煩雑であるか、あらためて認識し、21世紀の我国の朝鮮半島に対処せざるを得ない「あるべき姿」を浮き彫りにしてみたい。等と、可能な限り時間をかけ、自分自身の知識認識の蓄積を図ろうとしている。

 そんな時、たいへんよいニュースが飛び込んできた。
米国を訪問した横田早紀江さん始めとする拉致被害者代表団が米国ブッシュ大統領と会見したのと事。既に読者諸氏ご承知のとおり報道されている。

 しかし、一連の報道内容に、何か、何か食い足りない。

 拉致被害者家族が「現役の米国大統領」と会見した事実。快挙ではあるまいか!
しかし、何故かメディアの報ずるところ平べったくも断片的で今ひとつの盛り上がりを感じない。(我国マスメディアの一連の報道に、疑問と不満を思われる方、こちらをクリック頂きたい)<人気blogランキングへ>

 冒頭で述べた「三莫迦隣国」との歴史的関わりを調べている最中の「拉致被害者米国大統領との会見」をすり合わせ、はたと思いついた。
 そうです。
 歴史的な絡みともすり合わせたく思いつき、約10年前の櫻井女史の著「論戦1994~1996」を書棚から取り出した。古新聞を読み返す如く、10年前の櫻井女史の熱き論説に目を通せば、社会正義を目標としておられる女史の論旨には、現在のそれと一片の揺るぎなく、凛として整然なる論陣が張られているから、なんとも清々しい。
 この頃、社会党村山政権なる歪(イビツ)で捻じ曲がった政局の最中、阪神大震災に見舞われた日本列島、オウム真理教事件が明らかになった頃、すでに北朝鮮核保有の問題が浮き彫りになっていた。そして今、2006年。上述「論戦」を開き、あらためて歴史の推移を感じる。当時、櫻井女史といえども触れように触れられなかった「拉致問題」。今や歴史的事実として表面化している。しているにもかかわらず、一向に埒のあかない拉致被害者問題である。ブッシュ大統領との会見が引き金となって「問題解決」の進展を見たい。
 
 しかし今、俄に三莫迦隣国が騒がしい。何故か?敢えて、我が国の執るべき道を見失わせる意図があるかの如く、騒がしく騒ぎ立てているような気がしないでもない。ひるがえって、我国の政府役人も政治家もマスコミも、三莫迦隣国の空騒ぎに毅然とした対応策を、意識して出しかねているように思える節もある。

 「論戦2004~2006」からの抜粋『北朝鮮と加藤紘一氏をつなぐ鍵』を精読頂きたい。 (抜粋掲載に関し、先ほど櫻井女史にはメールでご了解を頂いた)
 
 この一説(一節)から、我輩は懸念すべき事柄を推測する。
それは、
1)今尚北朝鮮と連携している日系商社並びに政治家は存在するはず。ならば、北朝鮮向けの経済制裁など、我国政治家と政府役人が実行しようにも、彼らの政治的牽制が介入すれば、北朝鮮への経済制裁は困難となるか。
2)今、もっとも懸念される事態は、支那共産政権と北朝鮮、加えて韓国三流政権の合作で、歴史認識問題と靖国問題で翻弄されつつ、引いては竹島尖閣諸島の領土問題を掲げて我国外交を画策し、支那と韓国の共謀により、我国本来の「経済的利権(日本海漁場権益と東シナ海の油田の支配)」を略奪する戦略が、見え隠れする。そんな中、我国一部の政治家政府役人と企業の癒着により、我国国益百年の計が、根本的に阻害される事があってはならない。

我々一般国民をして「つんぼ桟敷」に置かれるような事態にならないことを願いつつマスコミに対し、もっともっと必要不可欠な情報を堂々と報じてほしいのである。

〆て、櫻井女史の著なる「論戦」の事、
あれから10年、日本の政治は変わった。世の中も変わり、もっと困難で危険をはらんだ局面になっていると直感する。10年一昔前、当時の我国政府の北朝鮮対応を復習するのも趣きあり、我々庶民にとって(歴史を振り返るは)重要な作業と考える。
      <本文・了>

(櫻井女史著なる「論戦シリーズ」フアンの方、ランキングアップのご協力を!)
毎日一回、クリック応援を!(人気ブログランキング)

<添付参考資料>

*拉致被害者問題、関連ニュース・・
A)論戦より「北朝鮮と加藤紘一氏をつなぐ鍵」・・
B)村山政権当時、内閣のプロフィール・・

----------------------------------------------

拉致被害者関連ニュースはこちらから入れます

社会ニュース - 4月30日(日)19時0分 ニュース記事写真動画トピックス


「大きな成果をきっかけに」=横田さんら、訪米から帰国-成田

 米国を訪問していた拉致被害者横田めぐみさんの母早紀江さん(70)らが30日午後、帰国した。ブッシュ大統領と面会した早紀江さんは成田空港で会見し、「思った以上に大きな成果があった。これをきっかけに(拉致被害者が)みんな帰ってくる方向に行ってほしい」と話した。(中略・・)・・・「公聴会でも大統領と会った時も、1人ひとりが思いをしっかり受け止めてくれた」と充実感をにじませた。ブッシュ大統領については「明るい方。『お母さん』と言いながら抱き締めてくれたので、びっくりした」と笑顔を見せた。 
(時事通信) - 4月30日19時0分更新

  -----------------------------------

<記事タイトル>「思った以上の成果」 訪米の早紀江さんら帰国
 
 北朝鮮による拉致問題について米議会で証言し、ブッシュ大統領とも面会して解決に向けた協力を直接要請した横田めぐみさん=失跡当時(13)=の母早紀江さん(70)が30日午後、成田着の定期便で帰国、空港で記者会見し「思った以上に大きな成果があった」と振り返った。(・・中略)・・・
 会見で早紀江さんは、一番印象に残った場面として大統領との面会を挙げ「握手しようとしたら、大統領が『マム(お母さん)』と言いながら抱き締めてきた。大きな人でびっくり」。その上で「これを機に、助けを求めている人たちが元気で帰ってこられるよう願っています」と力を込めた。
(共同通信) - 4月30日19時24分更新

  -------------------------------------

論戦

ダイヤモンド社

このアイテムの詳細を見る

「論戦」1994~1996 より・・
p151~p153
『北朝鮮と加藤紘一氏をつなぐ鍵』
 今ニュースといえばオウム真理教一色のような状態だが、その裏で日本の将来に警鐘を鳴らす深刻な事態が相次いで起きている。
 その第一が朝鮮民主主義人民共和国への支援問題だ。1995年3月末に平壌(ピョンヤン)を訪れた与党三党による訪朝団が、ほぼ完全に北朝鮮の舞台に引きこまれたことは記憶に新しい。
 調印された「日朝会談再開のための合意書」には、本文第二項に「対話再開と国交正常化のための会談には、如何なる前提条件もつけない。徹底して関係改善のためのものにする」との内容が記されている。つまり、対話再開のためには核開発疑惑や李恩恵問題は持ち出さないということだ。同時に「徹底して関係改善のため」ならば、 
・・・( 中 略 )・・・
与党三党はそのような害あって益ない合意書に調印してしまったわけだが、この訪朝団の言動を見て抱いた疑問は、なぜこんなにものの見事に相手の思惑の中に陥ってしまうのかという点だった。
この疑問を解き明かすひとつの鍵が、4月11日、参議院外務委員会で明らかにされた。新進党の石井一二議員が「新日本産業」の社長・吉田猛なる人物が、自民党の加藤紘一氏の事務所スタッフの一員として三党訪朝団に加わっていたのではないかと質したのだ。
河野洋平外相らは答弁は避けたが加藤氏はその事実を認めた。
さてこの吉田猛氏が社長の新日本産業は1970年から北朝鮮との貿易を専門にするようになり、今では日朝友好商社“最老舗”として知られている。北朝鮮側からも究めて高く評価されており北の幹部と太い人脈を持つ。
吉田氏はまた、韓国の大財閥のひとつ「現代(ヒュンダイ)」グループの名誉会長、鄭周永(チョンジュヨン)氏を北に“誘導”した人物でもある。鄭会長の北朝鮮への肩入れは大きな話題となり、北への幅広い投資を呼び起こすきっかけともなりうるものだった。韓国財閥の大物をその気にさせたのが吉田氏だったのだ。つまり吉田氏は事実上北朝鮮の利益を代表する人物だと見当がつく。
ではなぜそのような人物が加藤事務所のスタッフとして三党訪朝団の随員になっていたのか。その点を理解するには北朝鮮の対日戦術の変遷を見る必要がある。
長年北朝鮮が頼りにしてきたのは左派を中心とする社会党の面々だった。ただ社会党に頼っても埒が明かないと北朝鮮が理解した時に、社会党は自民党にとってかわられた。北朝鮮の接触の相手は金丸氏になり、金丸氏失脚のあとは竹下-小渕ラインがそうだといわれていた。
だが今回、北朝鮮が接触したのは加藤紘一氏だった。接触された加藤氏は相当の意を決して準備したのではないだろうか。なぜなら、三党訪朝を成功させる事が出来れば、将来の日朝間の交流において、氏は揺るぎない立場を確保することになるからだ。
だが心すべきは三党招請は、金溶淳(キムヨンスン)氏が金正日(キムジョンイル)書記の名で行なったことである。同氏はアジア太平洋平和委員会の委員長でもある。同委員会は北朝鮮労働党統一戦線部の別名だ。その目的は思想を超えて階層別の要求をまとめて韓国政府を孤立させ打倒することにある。そのような意図を十分に理解し、“アドバイス”を与えているのが吉田猛氏ではないか。
つまり三党訪朝団が北朝鮮に行くだけで日韓間に距離を置かせることができる、その上うまくいけば北側に有利な条件をつけることができるという狙いだ。
となると吉田氏をスタッフとして同行させた加藤氏は結果として北側の狙い通り動いたことになる。今、日韓間に加藤氏を軸に新しいパイプができつつあるのは明白だ。だとしたら加藤氏には功を焦って日本の不利益を招く事だけは心して避けてもらいたい。政治家として代表すべきは自らの利益よりも日本国民のそれであることを忘れてほしくはない。
(以上、櫻井よしこ著:論戦1994~1996 抜粋引用)

*人気ブログランキング参加中!人気blogランキングへ

<参考資料>(ウイキペディアより引用)
『村山内閣』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
村山内閣(むらやまないかく)は、日本の第81代内閣。海部俊樹を破って村山富市が首相指名を受け、日本社会党、自由民主党、新党さきがけ(自社さ)の連立政権として、1994年(平成6年)6月30日に発足した。阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件と立て続けに災害とテロを受け、戦後では未曾有の苦難に満ちた内閣であった。1995年(平成7年)8月8日に総辞職。

[編集]
閣僚
内閣総理大臣 村山富市(日本社会党委員長)
平成6年6月30日~平成7年8月8日
法務大臣 前田勲男(自由民主党・小渕派、参議院議員)
平成6年6月30日~平成7年8月8日
外務大臣(副総理) 河野洋平(自由民主党総裁)
平成6年6月30日~平成7年8月8日
大蔵大臣 武村正義(新党さきがけ代表)
平成6年6月30日~平成7年8月8日
文部大臣 与謝野馨(自由民主党・渡辺派)
平成6年6月30日~平成7年8月8日 
厚生大臣 井出正一(新党さきがけ)
平成6年6月30日~平成7年8月8日
農林水産大臣 大河原太一郎(自由民主党・渡辺派、参議院議員)
平成6年6月30日~平成7年8月8日
通商産業大臣 橋本龍太郎(自由民主党・小渕派)
平成6年6月30日~平成7年8月8日
運輸大臣 亀井静香(自由民主党・三塚派)
平成6年6月30日~平成7年8月8日
郵政大臣 大出俊(日本社会党)
平成6年6月30日~平成7年8月8日
労働大臣 浜本万三(日本社会党)
平成6年6月30日~平成7年8月8日
建設大臣 野坂浩賢(日本社会党)
平成6年6月30日~平成7年8月8日
自治大臣 野中広務(自由民主党・小渕派)
平成6年6月30日~平成7年8月8日
内閣官房長官 五十嵐広三(日本社会党)
平成6年6月30日~平成7年8月8日
国家公安委員会委員長 野中広務(自治相兼任)
平成6年6月30日~平成7年8月8日
総務庁長官 山口鶴男(日本社会党)
平成6年6月30日~平成7年8月8日
北海道開発庁長官 小里貞利(自由民主党・宮沢派)
平成6年6月30日~平成7年1月20日
小沢潔(国土庁長官兼任・沖縄開発庁長官兼任)
平成7年1月20日~平成7年8月8日
防衛庁長官 玉沢徳一郎(自由民主党・三塚派)
平成6年6月30日~平成7年8月8日
経済企画庁長官 高村正彦(自由民主党・河本派)
平成6年6月30日~平成7年8月8日
科学技術庁長官 田中真紀子(自由民主党・無派閥)
平成6年6月30日~平成7年8月8日
環境庁長官 桜井新(自由民主党・三塚派)
平成6年6月30日~同8月14日
宮下創平(自由民主党・三塚派)
平成6年8月14日~平成7年8月8日
沖縄開発庁長官 小里貞利(北海道開発庁長官兼任)
平成6年6月30日~平成7年1月20日
小沢潔(国土庁長官兼任・北海道開発庁長官兼任)
平成7年1月20日~平成7年8月8日
国土庁長官 小沢潔(自由民主党・宮沢派)
平成6年6月30日~平成7年8月8日
国務大臣(震災対策担当大臣)小里貞利
平成7年1月20日~同8月8日
内閣法制局長官 大出峻郎
平成6年6月30日~平成7年8月8日
内閣官房副長官(政務) 園田博之(新党さきがけ)
平成6年6月30日~平成7年8月8日
内閣官房副長官 石原信雄
平成6年6月30日~平成7年2月24日
古川貞二郎
成7年2月24日~同8月8日

 よくもまあここまでやってくれたものだ!10年前のこの事態、我々は見逃していたのか?時代は変わったがしかし、こういうノー天気な内閣が組閣された「破廉恥的日本の政治」が行なわれていた時代もあったこと、記憶に留めておきたい・・・
 かくして、
当時の破廉恥内閣は、今、莫迦隣国をのさばらす引き金になった。と、思われる方、是非以下のブルーバーをクリック願いたい!

人気blogランキングへ