いなくなると寂しさが募るので、古いJPGアルバムをめくってみた。
2001年3月のファイルが出てきた。この頃のBEATは新潟の冬を謳歌していた。駐車時以外は常にオープンで走っていた。北陸道(高速)を月・金曜日の通勤に使っていた。摂氏3度ぐらいまでなら、帽子と手袋を嵌めて(もちろんサイドウインドウは上げて)少々の雪の降る中、屋根は畳んだままだった。
BEATはそれまでの生活を変えるエポック-メーキングなクルマであった。
人間1人が移動する道具として、サイズや燃費(コストや環境問題)を考えると、大きなクルマに嫌悪感を覚えたものだった。
2001年3月のファイルが出てきた。この頃のBEATは新潟の冬を謳歌していた。駐車時以外は常にオープンで走っていた。北陸道(高速)を月・金曜日の通勤に使っていた。摂氏3度ぐらいまでなら、帽子と手袋を嵌めて(もちろんサイドウインドウは上げて)少々の雪の降る中、屋根は畳んだままだった。
BEATはそれまでの生活を変えるエポック-メーキングなクルマであった。
人間1人が移動する道具として、サイズや燃費(コストや環境問題)を考えると、大きなクルマに嫌悪感を覚えたものだった。