2016年2月6日 土曜日宵
金谷沖のタイラバ調査を終えて帰宅したあと、わらわらとあわただしく支度を整え、今度は君津市の小糸へ車で向かった空気頭。
目的はこの季節限定の火祭り、そう「どんど焼き」でございます!
ポイント遠景
今回も小糸大谷の鈴木親分のはからいで参加すること叶ったのですが、ふと考えれば3年ぶり3回目の出席になるのでした。
う~む、個人的に親分が喪に服していたので、ずいぶんと間が空いたのだね。
でもこうして久しぶりの火祭りに参加出来ること、私この上ない喜びであります。
焚火の準備も良し
しかし思い起こせば、私の生まれ育った茨城の郷里では、こういった火を使う祭りごとは全くもってありませなんだの。
昔々からそういう風習はなかったのか、それとも戦前までは行っていたのか?それは今もってわかりません。
大きいほう
ですからあれは小学生か中学だったかな?国語の教科書に載っていた物語に、どんど焼きの一場面が出てきて「こんな行事もあっんだ」と、軽い驚きとともに初めて知った次第。
私の育った地区で、公式的にゆるされる「大きな火」と言えば、せいぜい節分のおり、近くの素鵞神社で「体を温める」目的で、たった一本のドラム缶にまきをくべるぐらい・・・無病息災の祈りも、ヘチマもありゃしないって
小さいほう・・・二つあるのね
あぁそうだ、それでも「その日」ばかりは、よくよく通ったもの。
当時小学校の高学年くらいのころ、それまでの両親に代わって、自分が神社でくじを引くことになり、その「お粗末な景品」はさておき、宵からのばちばちと燃え盛る火を見るのが、たまらなく楽しくて楽しくて。
正月飾りを
その時ばかりは近所の一つ下の友達と、いそいそと出かけたものでした。。
年男がそろって火入れの儀
この神社のドラム缶の下部は、灰を除くのと空気取り入れるために、わざと少しばかり口が開けてある。
そこに向かって平べったい石を選んで放り込み、適度に温まった頃合いを見て取り出すのですが、それらを慎重に新聞紙やら木綿のハンカチに包んでみれば・・・おおっ、お手製カイロの出来上がり!
いじましく神社の名が入った豆入りの小袋と、タオルだのワンカップだの、子供にとってはどうでもよい景品の数々をたずさえ自宅へと帰り、それらを両親に引き渡した後は、またまた神社へとって返し、知らない大人たちに交じって、焼石を作ったりドラム缶へ木っ端をくべたり・・・うふふ、火遊びは良い、良いったら良い!
話変わるが寺でも神社でも、たいてい鎮守の杜と言われる、鬱蒼とした木々にかこまれていますよね。
そのただでさえ暗い境内での夜、これはもうひかえめに言っても異次元空間。
日が暮れて人は帰り、やがて魑魅魍魎がばっこする闇夜へと変わる、その狭間の時間帯を「逢魔が刻」と聞き及ぶ。
猪肉じゃ~
それで自分的にココらは結界とばかり、きっちり密着体勢でドラム缶の火にあたっているのですが、どうしたって背中は寒い。
だけど子ども心にも「なにか得体の知れないモノ」が潜んでいるであろう?社に背をむけること出来なくてね・・・いやもう単純におっかね~んだよ、分かるかな?
そんな鳥肌立っているとき、正面の火の向こうをすかして社を見れば、炎の明るさのせいか?対極にその暗さが一段と引き立って。
闇にも濃さがあるということを、直感的に理解したのもこのころだった。
炭火で勝負
恐ろしくも楽しい・・・自己分析になるが、焚火好きの片りんは、この当時からすでに現れていたのだね。
ついでに言うと、そのドラム缶焚火詣では自分が高校を卒業し、郷里を離れるまで8年間続いたのでした。
豚汁です
神社からそうとう遅い時間に帰宅したのにもかかわらず、それまでもかなり厳格であった私の両親は、小言のひとつもぶつけることなく、この空気頭を迎えてくれたっけ・・・なぜだったんだろうな?
目の前の巨大に踊り狂う炎と、そして大谷地区の隅々に響き渡っているであろう竹の爆ぜる音を間近に聞きながら、うすらぼんやり、そんな昔のことを思い出していた空気頭なのでした、お粗末。
温まります
鈴木親分、今回も大谷地区のどんど焼きにお招きいただきまして、まことにありがとうございました。
地区の行事ごとにあかの他人が混じってよいものかと、ちと心の中で思ったりもするんですけどね、自分こういうの好きだからな~うはははは!
それとあの猪肉・・・断言するが、絶品でした
親分が焼いてくれた猪肉ね、あの場所で私はもちろんママと末っ子も「普通にもしゃもしゃ」と食べていたのですよ。これはもう画期的なことでありまして!
なぜかと言うと我が家では自分以外、イノシシの肉はかたくなに食べない、食べてくれません(涙)
軽トラックの上です
理由は単純に「ケモノ臭い」とのこと・・・これに毛が付いていたりするともうダメ、完全拒否です。
スペアリブをほうばるの図
だけど今回はその臭いがしなくて、普通に美味しく食べられたそう。
焚火が良い
うふふふ、今からすでに楽しみですな。親分どうか来年もよろしくお願いいたします、忘れないで誘って下さいね。
あっ、先ほど書いてて唐突に思い出したよ。例の国語の教科書にのっていた物語・・・井上靖の「しろばんば」だったと思う。たしかそんなタイトルだったと。
授業でその「どんど焼き」の一部分しか読んでいなかったからアレだが、主人公の片思いの少女が、燃やす目的で持ってきた書初めを見て、こうショックを受ける・・・そんな内容だったと?
君津図書館に行けばあるかもしれませんね。近々探しだして、確かめてみたいと思います。
落ち着いてきました
それでは今夜はこの辺で、さらばさらば!
金谷沖のタイラバ調査を終えて帰宅したあと、わらわらとあわただしく支度を整え、今度は君津市の小糸へ車で向かった空気頭。
目的はこの季節限定の火祭り、そう「どんど焼き」でございます!
ポイント遠景
今回も小糸大谷の鈴木親分のはからいで参加すること叶ったのですが、ふと考えれば3年ぶり3回目の出席になるのでした。
う~む、個人的に親分が喪に服していたので、ずいぶんと間が空いたのだね。
でもこうして久しぶりの火祭りに参加出来ること、私この上ない喜びであります。
焚火の準備も良し
しかし思い起こせば、私の生まれ育った茨城の郷里では、こういった火を使う祭りごとは全くもってありませなんだの。
昔々からそういう風習はなかったのか、それとも戦前までは行っていたのか?それは今もってわかりません。
大きいほう
ですからあれは小学生か中学だったかな?国語の教科書に載っていた物語に、どんど焼きの一場面が出てきて「こんな行事もあっんだ」と、軽い驚きとともに初めて知った次第。
私の育った地区で、公式的にゆるされる「大きな火」と言えば、せいぜい節分のおり、近くの素鵞神社で「体を温める」目的で、たった一本のドラム缶にまきをくべるぐらい・・・無病息災の祈りも、ヘチマもありゃしないって
小さいほう・・・二つあるのね
あぁそうだ、それでも「その日」ばかりは、よくよく通ったもの。
当時小学校の高学年くらいのころ、それまでの両親に代わって、自分が神社でくじを引くことになり、その「お粗末な景品」はさておき、宵からのばちばちと燃え盛る火を見るのが、たまらなく楽しくて楽しくて。
正月飾りを
その時ばかりは近所の一つ下の友達と、いそいそと出かけたものでした。。
年男がそろって火入れの儀
この神社のドラム缶の下部は、灰を除くのと空気取り入れるために、わざと少しばかり口が開けてある。
そこに向かって平べったい石を選んで放り込み、適度に温まった頃合いを見て取り出すのですが、それらを慎重に新聞紙やら木綿のハンカチに包んでみれば・・・おおっ、お手製カイロの出来上がり!
いじましく神社の名が入った豆入りの小袋と、タオルだのワンカップだの、子供にとってはどうでもよい景品の数々をたずさえ自宅へと帰り、それらを両親に引き渡した後は、またまた神社へとって返し、知らない大人たちに交じって、焼石を作ったりドラム缶へ木っ端をくべたり・・・うふふ、火遊びは良い、良いったら良い!
話変わるが寺でも神社でも、たいてい鎮守の杜と言われる、鬱蒼とした木々にかこまれていますよね。
そのただでさえ暗い境内での夜、これはもうひかえめに言っても異次元空間。
日が暮れて人は帰り、やがて魑魅魍魎がばっこする闇夜へと変わる、その狭間の時間帯を「逢魔が刻」と聞き及ぶ。
猪肉じゃ~
それで自分的にココらは結界とばかり、きっちり密着体勢でドラム缶の火にあたっているのですが、どうしたって背中は寒い。
だけど子ども心にも「なにか得体の知れないモノ」が潜んでいるであろう?社に背をむけること出来なくてね・・・いやもう単純におっかね~んだよ、分かるかな?
そんな鳥肌立っているとき、正面の火の向こうをすかして社を見れば、炎の明るさのせいか?対極にその暗さが一段と引き立って。
闇にも濃さがあるということを、直感的に理解したのもこのころだった。
炭火で勝負
恐ろしくも楽しい・・・自己分析になるが、焚火好きの片りんは、この当時からすでに現れていたのだね。
ついでに言うと、そのドラム缶焚火詣では自分が高校を卒業し、郷里を離れるまで8年間続いたのでした。
豚汁です
神社からそうとう遅い時間に帰宅したのにもかかわらず、それまでもかなり厳格であった私の両親は、小言のひとつもぶつけることなく、この空気頭を迎えてくれたっけ・・・なぜだったんだろうな?
目の前の巨大に踊り狂う炎と、そして大谷地区の隅々に響き渡っているであろう竹の爆ぜる音を間近に聞きながら、うすらぼんやり、そんな昔のことを思い出していた空気頭なのでした、お粗末。
温まります
鈴木親分、今回も大谷地区のどんど焼きにお招きいただきまして、まことにありがとうございました。
地区の行事ごとにあかの他人が混じってよいものかと、ちと心の中で思ったりもするんですけどね、自分こういうの好きだからな~うはははは!
それとあの猪肉・・・断言するが、絶品でした
親分が焼いてくれた猪肉ね、あの場所で私はもちろんママと末っ子も「普通にもしゃもしゃ」と食べていたのですよ。これはもう画期的なことでありまして!
なぜかと言うと我が家では自分以外、イノシシの肉はかたくなに食べない、食べてくれません(涙)
軽トラックの上です
理由は単純に「ケモノ臭い」とのこと・・・これに毛が付いていたりするともうダメ、完全拒否です。
スペアリブをほうばるの図
だけど今回はその臭いがしなくて、普通に美味しく食べられたそう。
焚火が良い
うふふふ、今からすでに楽しみですな。親分どうか来年もよろしくお願いいたします、忘れないで誘って下さいね。
あっ、先ほど書いてて唐突に思い出したよ。例の国語の教科書にのっていた物語・・・井上靖の「しろばんば」だったと思う。たしかそんなタイトルだったと。
授業でその「どんど焼き」の一部分しか読んでいなかったからアレだが、主人公の片思いの少女が、燃やす目的で持ってきた書初めを見て、こうショックを受ける・・・そんな内容だったと?
君津図書館に行けばあるかもしれませんね。近々探しだして、確かめてみたいと思います。
落ち着いてきました
それでは今夜はこの辺で、さらばさらば!
あれは燃やすものだったのですね(^^)
燃え盛る様を自分も見てみたいです!真っ暗闇で燃え盛る炎は、非日常空間へトリップさせる効果があるのか?やたら記憶に残っていますよ!
毎年恒例行事である長野でのキャンプファイヤー?ツーリングを彷彿させる記事でありました!
今年は釣りでも記憶に残る赤をgetしたいと思います!m(_ _)m
愛読してましたけど、それももう20年以上も前のこと・・・
久しぶりに読み返してみたくなりました♪
晴耕雨読ならぬ晴海雨読といったところか・・・?
早く風が落ち着いて欲しいものですね。
子供の頃、ボーイスカウトのキャンプでうっかり新月の闇に紛れて迷子になった時のことを思い出しましたよ。
「鼻を摘まれても分からない」
あの、感覚・・・
自分が目を開けてるのか閉じてるのかも分からなくて、恐怖とともに自然への畏怖を感じました。
闇の濃さの極みでした・・・
根岸の夜釣りも新月は避けてます♪
真竹をこれでもかと束ねているので、その爆ぜる音が途切れることなく、しかも腹にこたえるぐらいの大音量で響きわたります。
今度どこかでやりましょうか?赤い肴をつつきながら!
自分が幼少のみぎり、なにが怖いって?親父や雷よりも「都会で迷子」になるのが一番怖かった。
広報で「○○が行方不明になっています、お心当たりの」なんて聞くと、この歳になって胸の真ん中が、ざわざわします。
しかし上には上がいたのだね!あの闇の中で迷子になるとは・・・おぉぉぉぉ、怖気がはしる。
今度あったとき、その話聞かせてね!
寝袋もテントも持参します!