昨日、ヒューレック研究会で交流分析を学ばれている皆さんの講座に顔を出し、そのまま金井先生のお宅でお夕飯をいただき、親友と呼んでいいか確認していないMさんと先生と奥様と夜遅くまで話し込んでしまいました。
交流分析に絡んだ話でしたが、Mさんは一向に自分の話はせず、他人の話の方が言葉数が断然多い。
そう、あなたはエニアグラムで言うところの「タイプ2」。
エゴグラムではNP(養育的な親)がぐーんと高い人・・・・。
推定「タイプ2」の金井先生の奥様とMさんが意気投合し、腸ねん転を起こしそうな楽しい話が多くなり、時間があっと言う間に流れました。
そんな楽しい時間の中で、ほんの短い時間だったと思いますが、私の話にもなり、「はるちゃんは交流分析で変わったか?」という金井先生の問いにMさんが「基本的にあまり変わっていないが、ブレーキが利くようになった」とポツリと言いました。
実は、これまで「はる、やりすぎ・・・」ってところがあったのが、最近はひかえるようになったと言うことらしい。
確かにそれあるかも・・・
2,3年前の私って、ガソリン入ってないのに、力任せで運転したりとかそんなこと平気でできる人間でした。
何かを払拭するためとか、何か手ごたえをつかむまで振り返らずにとにかく走り続けるみたいなところもあり・・・。
最近は、調子のいい時でも、多少ブレーキを踏みながら運転したほうが良くもあり、左右を見ながらもう少し慎重に運転した方がいいことも知りました。
走り終わったら、その手入れもした方がいいことも知りました(笑)
表面上は、別に快活さを忘れたとかそういう意味ではないのであまり変わっていないと思いますが、やはり心の中では、「今、エゴグラム的にはどんな状態なのかなぁ」とか「心理ゲームに迷い込んでるぞ」とか、意図的に「完璧でなくてもいいんじゃない」って自分を許したり、実は理屈っぽいことを考えたりもしていてて、コントロールがきくようにはなっているのだと思います。
何かに囚われすぎて、不快な迷路にの中でぐるぐる回り続けることは少なくなったかもしれません。
自分をあまりしんどい目に合わせたくないのでしょう。
認められるために、ただ何かスキルに貪欲だっただけの時期から、自分の心に栄養を与えたり、人として豊かに成長ができる人間関係に身を置く時間は増えたと思います。
交流分析の目的である、信頼関係に基づく「親密さ」については、自分が実感できることも大事ですが、相手にも実感できるような関わり方をしていくことができているか?
そこには自分で物足りなさとちょっと不甲斐なさを感じています。
自分が、軽くつま先で踏んでいるブレーキは、そういうものの獲得のためにありたいと思っています。
何か感じることがありましたら、今日もぽちっとお願いします。
↓
交流分析に絡んだ話でしたが、Mさんは一向に自分の話はせず、他人の話の方が言葉数が断然多い。
そう、あなたはエニアグラムで言うところの「タイプ2」。
エゴグラムではNP(養育的な親)がぐーんと高い人・・・・。
推定「タイプ2」の金井先生の奥様とMさんが意気投合し、腸ねん転を起こしそうな楽しい話が多くなり、時間があっと言う間に流れました。
そんな楽しい時間の中で、ほんの短い時間だったと思いますが、私の話にもなり、「はるちゃんは交流分析で変わったか?」という金井先生の問いにMさんが「基本的にあまり変わっていないが、ブレーキが利くようになった」とポツリと言いました。
実は、これまで「はる、やりすぎ・・・」ってところがあったのが、最近はひかえるようになったと言うことらしい。
確かにそれあるかも・・・
2,3年前の私って、ガソリン入ってないのに、力任せで運転したりとかそんなこと平気でできる人間でした。
何かを払拭するためとか、何か手ごたえをつかむまで振り返らずにとにかく走り続けるみたいなところもあり・・・。
最近は、調子のいい時でも、多少ブレーキを踏みながら運転したほうが良くもあり、左右を見ながらもう少し慎重に運転した方がいいことも知りました。
走り終わったら、その手入れもした方がいいことも知りました(笑)
表面上は、別に快活さを忘れたとかそういう意味ではないのであまり変わっていないと思いますが、やはり心の中では、「今、エゴグラム的にはどんな状態なのかなぁ」とか「心理ゲームに迷い込んでるぞ」とか、意図的に「完璧でなくてもいいんじゃない」って自分を許したり、実は理屈っぽいことを考えたりもしていてて、コントロールがきくようにはなっているのだと思います。
何かに囚われすぎて、不快な迷路にの中でぐるぐる回り続けることは少なくなったかもしれません。
自分をあまりしんどい目に合わせたくないのでしょう。
認められるために、ただ何かスキルに貪欲だっただけの時期から、自分の心に栄養を与えたり、人として豊かに成長ができる人間関係に身を置く時間は増えたと思います。
交流分析の目的である、信頼関係に基づく「親密さ」については、自分が実感できることも大事ですが、相手にも実感できるような関わり方をしていくことができているか?
そこには自分で物足りなさとちょっと不甲斐なさを感じています。
自分が、軽くつま先で踏んでいるブレーキは、そういうものの獲得のためにありたいと思っています。
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