はる@金沢です。
昨日は、おとなりの福井県を訪ねました。
もともとは、一人で行く予定だったのですが、すぎなみ大人塾の幼なじみのマーシーさんが帰省するということで、若狭湾に周遊にお付き合いいただきました。
今回は敦賀から、小浜の一歩手前ぐらいまでの車の旅です。
まずは、原発の街:敦賀をお昼の12時に出発!
ヨーロッパ軒の「ソースカツ丼」を、ランチに選んだのですが、本店・支店ともに待ちのお客様で溢れており、残念ながら今回は見送りはしたものの、小腹を満たした後、
人道の港「敦賀ムゼウム」へGO!
敦賀港は、1920年に「ポーランド孤児」、1940年にはユダヤ人難民が上陸した歴史はあります。
ユダヤ人がナチスの迫害を逃れるために日本領事館にビザの発給を求めて訪れた際に、日本の国としての「拒否」の判断を苦悩の末に覆し、ビザの発給をし、人の道を貫いたのが、当時の領事館に勤務した外交官の「杉原千畝」でした。
そして、ビザを手にしたユダヤ人がウラジオストクから船で上陸したのが敦賀港。
ユダヤ人の方の中には、日本を経由してアメリカ大陸に渡り、自由と平和の切符を手にした人がいらっしゃいまして、
敦賀港が当時は、大陸との玄関口であったことも隣の石川県に生まれながらも知り間ませんでした。
いやはや、知らないことがまだまだ多い日本です。
そろそろよろしく
↓
昨日は、おとなりの福井県を訪ねました。
もともとは、一人で行く予定だったのですが、すぎなみ大人塾の幼なじみのマーシーさんが帰省するということで、若狭湾に周遊にお付き合いいただきました。
今回は敦賀から、小浜の一歩手前ぐらいまでの車の旅です。
まずは、原発の街:敦賀をお昼の12時に出発!
ヨーロッパ軒の「ソースカツ丼」を、ランチに選んだのですが、本店・支店ともに待ちのお客様で溢れており、残念ながら今回は見送りはしたものの、小腹を満たした後、
人道の港「敦賀ムゼウム」へGO!
敦賀港は、1920年に「ポーランド孤児」、1940年にはユダヤ人難民が上陸した歴史はあります。
ユダヤ人がナチスの迫害を逃れるために日本領事館にビザの発給を求めて訪れた際に、日本の国としての「拒否」の判断を苦悩の末に覆し、ビザの発給をし、人の道を貫いたのが、当時の領事館に勤務した外交官の「杉原千畝」でした。
そして、ビザを手にしたユダヤ人がウラジオストクから船で上陸したのが敦賀港。
ユダヤ人の方の中には、日本を経由してアメリカ大陸に渡り、自由と平和の切符を手にした人がいらっしゃいまして、
敦賀港が当時は、大陸との玄関口であったことも隣の石川県に生まれながらも知り間ませんでした。
いやはや、知らないことがまだまだ多い日本です。
そろそろよろしく
↓
当時、日本人でこういう人もいたんだなあ、
と感激したことを覚えています。
このエピソードを知ったのは、学生時代だったかなあ・・・。
どんな状況にあっても、信念を貫ける人は凄いですね。
こんにちは
>どんな状況にあっても、信念を貫ける人は凄いですね。
おっしゃるとおりですね。
法や制度、通達など縛られることが多い職務の中で「人の道」を守る勇気だったり信念のようなものになぜか憧れを感じてしまいますね。
結局、裁きを恐れ、長いものに巻かれる方が楽。
時代の変化のひとことで片付けられない、個々人の働くことの意味の違いなのだろうと思えてやみません。
偉人と言われるのはそういうことなんだろうな・・・