私の名前はキム・サムスン 〆1６

　第16話「恋せよ　傷ついたことがないように」

あれから２ヶ月が過ぎても、ジノンは戻ってこなかった。
ミジュにははがきが届いたそうだけれど、
サムスンの元には何の連絡もない。

サムスンのピアノの腕は上達し、すっかり曲をものにした。
姉と開いたケーキ店「パティスリー　サムスン」は前途多難。

そんな時、バス停で見つけた一編の詩。

「恋せよ　傷ついたことがないように」

　　　　　　　　　　アルフレッド・Ｄ・スーザ

踊れ　誰も見ていないかのように

恋せよ　傷ついたことがないように

歌え　誰も聴いていないかのように

働け　金が必要でないかのように

生きよ　今日が最後の日のように

そうしたかった。夢中で恋をしたかった。
サムスンの頬に涙がこぼれる。
そこへ偶然あらわれた、かつてのお見合い相手。
これも縁かもしれないな……。

彼とのデートにお洒落をして出かけるサムスン。
ふたりで乗った車が店の駐車場から出ようとしたその瞬間、
目の前にジノンが立ちふさがった。

「何二股かけてんだ？降りろよ」
サムスンは、驚き、戸惑いながらも、ジノンを知らないふりをして無視。
「おじさん、どなたですか？」
「ふざけんな」

それでもジノンはひるまない。
映画館まで押しかけてきて、今度は本気だとサムスンを連れ出した。
「あんたとは終わったの！」
ジノンはサムスンに事情を説明しようとするが、
サムスンはとりつくしまもない。

家の前まで先回りしていたジノンは、必死の弁明をしようとする。
悪い足をおして、土下座まで。
「私がどれだけ泣いたか知ってるの？
私だけじゃないわ。母さんだって、事故にあったんじゃないかと心配して
お寺にお百度参りまでしたのよ？
姉さんだって悪口ばっかりいいながらでも心配してたんだから！」
「はがき送ったろ？」
「届いてないわ。出まかせ言わないで！」
頼みの綱のお母さんにまで塩をかけられて、門前払いのジノン。
「なんでこうなっちゃったんだ？」

実は、ジノンは２ヶ月の間、毎日はがきを送っていたのだが、
住所を間違えていたのだ。
近所の青年が、手紙の箱を届けてくれて誤解が解けたサムスン。
はがきには、アメリカのホテルを巡って旅をしていたジノンから
愛情のこもった言葉がつづられていた。

「お母さんが許すといえば、私も許すわ」
「あんたが許すというなら私もそれでいいわよ」
「あの……またカラオケに行きましょうか？」
ジノンの一言で、みんな笑顔。
「ホニ、ごはん食べていきなさい」
「それよりお母さん、サムスンを一晩貸してください」

ジノンとサムスンは、やっとのことで結ばれる……はずが、
「愛してるって言ってくれなきゃダメ！」
ジノンは生まれてこのかた、愛してるなんていったことがない。
もちろんヒジンにも、ミジュにも。
「褒め言葉と、愛してるって言葉はね、いつでも言わなきゃダメ。
気持ちは言葉にしないと伝わらないんだよ。
家族にも、友達にも、愛してるって言わなくちゃ」
ジノンを締め上げて、無理矢理「愛してる」と言わせたサムスン。

さて、となったら今度は避妊の用意がない。
「腹ぼてで花嫁衣装なんてヤダからね！」
深夜のコンビニをさまようジノン。
こういうときに限ってどこも売り切れってどういうこと？

ひとり悶々としているサムスンのところに、
アメリカにいるヒジンから電話があった。
サムスンにお礼を言いたくて。
おかゆを作ってくれたし、ジノンを送り出してくれたから。
「ご飯食べてる？三食きちんと食べないとね」
ヒジンはアメリカの大学に編入準備中だ。
「あなたなら、いいお医者さんになれますよ。病人の気持ちがわかるから」
でももう、電話は欲しくない。
それはヒジンも同じことで、これがふたりの最後の会話になるはずだ。

ジノンがなんとか調達してもどってきた頃には、サムスンは眠り込んでいた。
「このまま寝ちゃうの？」
ぐっすり寝ているサムスンの隣で、ジノンはひとりつぶやく。
アメリカでのひとり旅は本当に寂しかった。
いつも君を想ってた。
もう二度と、ひとりで旅はしないよ。

ジノンの母の説得は、時間がかかりそう。
お得意の子どもができた作戦も、母が一枚上手。
「あらそう？じゃ知り合いの医者に見てもらいましょ！」

これには困って、ふたりは必死で子作りに励む。
その夜、ふと物音に気がついて起きてきたサムスンは驚いた。
お父さんが彼の家のリビングでビール飲んでサッカー見てる！
「お父さん、ひとんちで何してるの！」
「大丈夫だ、これは夢だから」
「あー、そっか、夢か」
父は優しい笑顔で、サムスンに話しかける。
「お前こそ何してるんだ。うれしいか？しあわせか？」
サムスンは、しあわせそうにうんとうなずいた。
「そうか、人生なんてそんなものだ。好きな人と生きていけ」
「お父さんは？しあわせ？」
「うん、死ぬのもそんなに悪くないな」

サムスンの目に涙が浮かぶ。
「どうしたんだ？」
「うん、しあわせすぎて涙が出る。でも、いつか壊れるのかと怖いの。
いつか夢から覚めるのかと思うと怖い。そう思うとすごくこわいよ」
「バカな子だな。今から先のことを心配してどうするんだ？
しあわせをつかむだけでもたいへんだ。怖がってるヒマなんかないぞ。
過去を振り返らず、余計な心配せず、毎日を一生懸命生きるんだ」
励まされて、サムスンは泣きながら
「うん、がんばるよ。がんばるぞ」と何度もつぶやいた。

いつか子どもが生まれて、ケーキ店も繁盛して……。
それはわたしの夢。
現実はまだここにとどまっている。
でも、ひとつ小さな夢はかなった。
彼にピアノを弾いてあげる夢。

あの日子どもはできなかったし、結婚も許してもらえていない。
でも、サムスンとジノンは愛し合っている。
ケンカしたり、仲直りをしたり、繰り返しながら。

いつか別れがやってくるかも。
そう思うときがある。
恋ってそういうものだ。
だけど今から恐れたりはしない。
今すべきことはわかっている。
夢中でケーキを焼いて、夢中で恋をしよう、
今日が最後の日のように。傷ついたことがないように。
私、キム・サムスンをもっと愛そう。


（おわり）


三十路のサムスン恋愛記、これにて完結でございますね。
彼女のためにも、これが最後の恋だと祈りたいです。
ジノンも若いし、これからがたいへんなんだと思いますが、
最後はきっと結婚して子どももできて、
ケーキ店も繁盛して、しあわせになれるよ～と信じてます。
いや、サムスンなら絶対にしあわせをつかむはず！

ジノンの住所間違いはオオボケでしたが、ぎりぎりでアリかな～。
２ヶ月間の彼女の絶望を考えると本当に可哀想ですが、
ジノンの気持ちもわかりますよ。

激しい感情に振り回された何ヶ月間。
ヒジンを無事に送り届けてほっとした瞬間、
一瞬ぷつんと糸が切れたんじゃないのかなー。
将来のためにホテルをまわって、食べ歩きして、って言ってたけど、
彼にはひとりの時間が必要だったと思うの。

このわがまま男～！と思うときもあったけど、
やっぱりジノンはあれだけの悲惨な体験をして、
足の怪我を克服して、兄の死を乗り越えてきた偉い子だもの。
ひとり静かに内省できる時間を持つことは大事だったんじゃないかな。
サムスンと一緒だと、とにかく賑やかで大騒ぎだし。

お父さんとの会話シーンはよかったですねぇ～。
サムスンはやっぱりお父さんっこ。
お姉ちゃんやお母さんとは、ケンカしたり、大笑いしたりで
たくさん話すけれど、
ふと不安になったときに頼るのはお父さんなんだね。
堅実なお父さんのおおらかな笑みと、
人生経験を積んだ確かな助言がサムスンを力づけます。

いくつになっても、自分が傷つくのは怖い。
何度恋をしても、自信満々ではいられない。
というより、何度目かの恋だからこそ
その先にある山や谷を想像できて怖くなる。
だからこそ、初めてのように、
傷ついたことのないように、一生懸命恋をしたいよね。

ありのままの自分を愛し、
ありのままの自分を愛せるように、
誠意を持って毎日を過ごす。
簡単そうで難しいことだと思うわ。

晴れて結ばれるふたりですが、
いつものサムスンの妄想シーンのように
エロティック、ロマンティックとはいかず、
おもろ～路線なのがご愛敬。
「避妊具」と書きましたが、コンドームか。
あれ、なんかもっとかわいい響きの言葉がないもんでしょうか。

階段のキスシーンでラスト、というのはとてもよかったです。
放送当時は、結婚式シーンはないの？と
残念がる声も多かったようですが、
そして人生は続く、みたいなラストが心地よかった。
ヒジンからの連絡に、「もう電話しないで」「これで最後だと思う」という
ちょっとほろ苦いやりとりもあったりして、リアルでした。

ナマズ母の秘書さんが、急に仕事をやめて世界一周の旅に出ますね。
一見意味がないようなエピソードで、
たぶん日本の地上波放送なんかではカットされちゃう部分だと思うのですが、
私はけっこう好きです。
いつも無表情で、格闘技ファンで、ミジュには優しいつかみ所のない人でしたが、
自分の人生を見つめ直した結果が、やりたいことをやる旅だったのね。
料理長とはつかず離れずのお姉さん、
ファーストキスを奪われて泣いちゃうイネちゃん、
学校へ通うようになったミジュ。
それぞれがそれぞれに静かに変化しつつ、日常が続いていく。
そんな空気が漂っていて、穏やかな最終回でした。

秘書が出てってさみしいナマズ母ですが、彼女は絶対帰ってくるから。
失ってそれっきりのものばかりではないですよ。
だからナマズ母も、失うことを恐れないで。
いつかいなくなるのが怖いからといって、人を遠ざけないでね。
サムスンがお嫁さんになったら、きっと毎日が楽しいよ。

ちょっと「ええっ？！」と思ったのは、
国境なき医師団に参加したいというヘンリーを、ヒジンが引き留めたこと。
これは応援してそのまま行かせてやるべきではないですか～？
「私もすぐに追いかけるから」って言ってほしかったなー。
だってこれまでヒジンに尽くして尽くして尽くしきってきたヘンリーの夢だよ？
ジノンに何も言わずに３年も離れてた状況とは違うじゃんよ～。
彼と離れてしまって終わった恋の教訓から、
今度は自分の気持ちに正直になって引き留めたんだとはわかるけど。
国境なき医師団の仕事の重要性、医師志望なら理解できるでしょ……。
「今度は離れない」じゃなくて、
「離れても大丈夫でいられる」という強さを、ヒジンには最後に持って欲しかったな。

最後まで結局ぽちゃ気味のサムスンがいとしい全16話。
これで完結です。
面白かったよ！