と、思うひとはどれくらいいるだろうか??
・・・攻撃してくる人、というのは一定数いて、そういう人から見たらきっと私は何らかの欠陥を抱えていて、正義の味方[僕]からしたら倒すべき存在なんだろうな、と思うと、ダメージはあるのだけど、一方で可哀想になってくるときもある。
人とかかわるのはプラスにせよマイナスにせよそれなりにエネルギーを使うので、まぁ本人からしたら「正義の味方[僕]」に対するものか、世間様に対するものか知らんけども、なんかの正当化根拠があっての、ボランティア精神によるエネルギー発露なのだろうと思うのだけど。
つまり、「この場のボスである私(または○○さん)に逆らうなんて目に物見せてくれる!」とか、「そんな生意気じゃこの先世の中渡っていけない、ここらで締めておくのが親切」とか。
イイ大人なんだから、こっちはこっちで、それなりに正義感なり哲学をもって生きてるので、ほっといてくれよ、というのがこちらの心情で、正直お節介感は否めない
そこで意固地になって「あいつの思う通りなんてさせてなるものかー!!」と周囲巻き込んで連合組まれたりしたらもう、めんどくさいことこの上ない
・・・そこまで嫌われるようなことしたかい? と思うけれど、まぁ30ン年生きてきて分かったことには、どうもあくの強い性格のようなので(自覚はないが)、毀誉褒貶は激しいタイプなんでしょうなぁ。
やはり人間なので、傷つくし、鬱になるときもあるけども。私が、かーなりやりたいようにやっている、その状態にあるためにどうしてもついてくるノイズなのであれば、そこは引き受けるしかないんだろうな、と最近あきらめの境地に達しつつある 苦笑
しかし、あれですな。クレーム処理のお仕事をしていたときに思ったけども、人からほとばしる悪意、敵意などの負の感情というものは、とくにそれが一定の人に向けられた場合、人を殺しますな。強い人なら、他人から出た毒にダメージを受けずに生きていくことが出来るのでしょうか。
人を呪わば穴二つといいますが、本人をもきっと蝕んでいくものなのではないかと思います。自分の出した毒に狂っていく様子、とくと拝見したことがございます。嫌いだ、にくい、と思うことはこんなにも恐ろしいことなのか、と、古語的な意味でとてもあさましく感じました(古語の「あさまし」って現代語の適訳ないよねー。あえて言うなら「情けなくも、驚きである」とかそんな感じ)。
それでも、やはり、嫌いだ、と、攻撃されると、自分のほうからも嫌な気持ちというのは湧いてくるわけです。できるだけ、持たないようにしているけれど。
もっと懐を広く持って、自分を嫌いな人を含めて包み込めるようになれれば、少しは進歩したと言えるのかもしれないな。追い込みすぎか?
・・・攻撃してくる人、というのは一定数いて、そういう人から見たらきっと私は何らかの欠陥を抱えていて、正義の味方[僕]からしたら倒すべき存在なんだろうな、と思うと、ダメージはあるのだけど、一方で可哀想になってくるときもある。
人とかかわるのはプラスにせよマイナスにせよそれなりにエネルギーを使うので、まぁ本人からしたら「正義の味方[僕]」に対するものか、世間様に対するものか知らんけども、なんかの正当化根拠があっての、ボランティア精神によるエネルギー発露なのだろうと思うのだけど。
つまり、「この場のボスである私(または○○さん)に逆らうなんて目に物見せてくれる!」とか、「そんな生意気じゃこの先世の中渡っていけない、ここらで締めておくのが親切」とか。
イイ大人なんだから、こっちはこっちで、それなりに正義感なり哲学をもって生きてるので、ほっといてくれよ、というのがこちらの心情で、正直お節介感は否めない
そこで意固地になって「あいつの思う通りなんてさせてなるものかー!!」と周囲巻き込んで連合組まれたりしたらもう、めんどくさいことこの上ない
・・・そこまで嫌われるようなことしたかい? と思うけれど、まぁ30ン年生きてきて分かったことには、どうもあくの強い性格のようなので(自覚はないが)、毀誉褒貶は激しいタイプなんでしょうなぁ。
やはり人間なので、傷つくし、鬱になるときもあるけども。私が、かーなりやりたいようにやっている、その状態にあるためにどうしてもついてくるノイズなのであれば、そこは引き受けるしかないんだろうな、と最近あきらめの境地に達しつつある 苦笑
しかし、あれですな。クレーム処理のお仕事をしていたときに思ったけども、人からほとばしる悪意、敵意などの負の感情というものは、とくにそれが一定の人に向けられた場合、人を殺しますな。強い人なら、他人から出た毒にダメージを受けずに生きていくことが出来るのでしょうか。
人を呪わば穴二つといいますが、本人をもきっと蝕んでいくものなのではないかと思います。自分の出した毒に狂っていく様子、とくと拝見したことがございます。嫌いだ、にくい、と思うことはこんなにも恐ろしいことなのか、と、古語的な意味でとてもあさましく感じました(古語の「あさまし」って現代語の適訳ないよねー。あえて言うなら「情けなくも、驚きである」とかそんな感じ)。
それでも、やはり、嫌いだ、と、攻撃されると、自分のほうからも嫌な気持ちというのは湧いてくるわけです。できるだけ、持たないようにしているけれど。
もっと懐を広く持って、自分を嫌いな人を含めて包み込めるようになれれば、少しは進歩したと言えるのかもしれないな。追い込みすぎか?