こんな女将の独り言(神戸福原ぼっかけ「あーちゃん」お店blog)

神戸は福原で細々と営んでいる「ぼっかけうどん」のお店「あーちゃん」の女将がうだうだと日々のあれこれを語ります(笑)

☆・・あーちゃんニュース!・・☆

  ★いよいよお待ちかね!ぼっかけかす汁開始★ 今年は早くも猛暑の頃から「かす汁まだ?!」の問い合わせがあり、10月に突入するや、毎日問い合わせが殺到する事態に^0^; 金時人参や霜の降りた冬大根・・、まだまだ冬野菜が入手できる状態ではありませんが、かす汁ファンのお客様の要望に応えるべく、「ぼっかけかす汁」開始させていただくことになりました(^0^)ノでも、本当に美味しくなるのはまだまだこれからです!!

悲しみを乗り越えて・・

2009年06月06日 | Weblog
今日は身内のお葬式がありました。。

いつもこの日記を読んでくれている、
いとこのAちゃんの旦那さん、M人君のお父さんが亡くなられたのです。


お父さんが年明けからご病気で入院されてから、
M人君は仕事が終わると病院にかけつけていたそうで

それから亡くなられるまで、家族の献身的な看病がなされてきたことでしょう。。

棺に納められたそのお顔は、病の苦しみが殆ど感じられない程
清らかに見え、その表情は家族に見守られ、愛情に満ちた看病で
黄泉の世界へ旅立たれた証のようにも感じられました。。



年明けから身内の不幸が重なり、沢山の葬儀、弔問の場をみてきましたが

勝手な私の解釈で申し訳ないですが、、

誰かに看取られて亡くなる・・ということは

「幸せ」なことではないかと思うのです。。

世の中には、人知れず亡くなり、誰にも悲しんでもらえずに

無縁仏に葬られるご遺体が沢山ある・・と

つい最近読んだ「おくりびとが流した涙」(植村聡 著:ぶんか社文庫)

の中にもありました。。


沢山の人に囲まれて盛大にあげる式も

家族だけで行う密葬にしても

誰かが悲しみ、そして最期を見送ることにかわりはなく

“故人が安心して黄泉へ旅立てる儀式”こそが

“葬儀”なのだと。。

そして、なによりも、

普段顔をあわせることがめったにない身内がそこで再会・・、

そして故人を偲んで共に涙を流し、

改めて“血縁”というものの尊さ、有難味を実感し・・

それは、私の目には、故人からのメッセージ・・、

“どうか、身内同士が手を取り合って仲良くしてください・・”

という“遺言”なのではないかと。。


おくる側とおくられる側・・


思いはそれぞれあるでしょうが


故人を思う心と、故人からのメッセージは

きっとお互いの魂に響いているにちがいありません。。




映画「おくりびと」の中で

「死」は人生の通過点で、そこを通る「門」・・というセリフがありました。

「死」はなくなるのではなく、生まれ変わるための通過地点・・

「門」はそのための入り口なのだと。。

だから、映画の中で斎場の役人が故人を見送る時に

「また会おうの(な)・・」と声をかけるのだと、

亡き母の最期(火葬)を見とどけたいという息子に話す場面がありました。

そのことを出棺の時に思い出し、

M人君のお父さんもその「門」をくぐり

新しく生まれ変わった人生を迎えられる・・、

そんな日もそう遠くない気がしました。。




M人君のお父さんのご冥福を心よりお祈り致します



















コメント (2)
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