こんな女将の独り言(神戸福原ぼっかけ「あーちゃん」お店blog)

神戸は福原で細々と営んでいる「ぼっかけうどん」のお店「あーちゃん」の女将がうだうだと日々のあれこれを語ります(笑)

☆・・あーちゃんニュース!・・☆

  ★いよいよお待ちかね!ぼっかけかす汁開始★ 今年は早くも猛暑の頃から「かす汁まだ?!」の問い合わせがあり、10月に突入するや、毎日問い合わせが殺到する事態に^0^; 金時人参や霜の降りた冬大根・・、まだまだ冬野菜が入手できる状態ではありませんが、かす汁ファンのお客様の要望に応えるべく、「ぼっかけかす汁」開始させていただくことになりました(^0^)ノでも、本当に美味しくなるのはまだまだこれからです!!

日々のあれこれ。。(今日は長い文章でごめんなさい💧)

2021年06月13日 | Weblog
夜のウォーキングから帰り、グビッとレモンチューハイを飲みながらブログをφ(..)

お昼の空き時間と夜のホッと一息ついた時に
いつも皆さんのブログを拝見させていただいてます😊
毎日楽しいお話し、そして私の知らない日本のあちらこちらの名所等を見せて頂き、勝手に行った気分に浸らせてもらってます😊
本当にありがとうございます(^.^)(-.-)(__)

今日は、沢山のブログの中に、心に感じるものがあったので、少しお話しさせてくださいね😊

今から話すことは、あくまでも私なりの解釈で、だからどうのこうの、とか、なにかを押し付けるものではないので、サラ~っと読んでもらえたら助かります😅

最近、Facebookのとあるコミュニティーに参加させてもらっているのですが、その中にも、自分には霊感がある。と言われる方が結構います。私も、霊感とまではいかなくても、なにか感じるものがあるお陰で、これまで幾つかの災難を乗り越えられたとおもっています。が、、、。
霊感とか予知とかというものは、誰にでも備わっているものなのではないかと、最近思うようになりました。
というか、霊感とおもうものは、もしかすると、自分が生まれて来るときから自分を守るためについてくれている「守護」霊からの伝達ではないかと。
その「守護」が、たとえば、自分のご先祖や、あるいは亡くなった肉親や兄弟や近しい人の思いを、なんらかのカタチで自分に伝えてくれていて、それを感じる「感じ方」が、たまたま強かったり、鈍感で気がつかなかったりしているだけではないか、、と、おもうようになりました。

私がそう思うようになったのは、その出来事の殆どは、不思議と先祖や肉親からの「知らせ」と思う出来事ばかりだったからで、たまたま、私や私の娘が、何故かその「知らせ」を感じることができただけのことで。。
何故、目に見えないものの伝言が解るのか、それは私にはわからないけれど、もしあるとしたら、それは、大将が自分や私のご先祖様のことも思ってくれていて、供養を欠かさずにしてくれる、していることで、ご先祖様からも守られているということでしょうか。。

人は何かにすがらないと生きていけなくて、
宗教にのめり込む人も沢山いて、その宗教に救われたと言う人も沢山います。
どんな宗教であれ、信仰することは生半可な気持ちでは長続きはしないとおもいます。
たとえば、不幸にかこつけて、この信仰を、この宗教に入りなさい、でないともっと不幸になる!と言われて無理やり信仰しても、段々と信仰心は、喉元過ぎれば。。ではないけれど、時が経つと薄れてしまうのではないかとおもうのですが。。
本当の信仰とは、どんな宗教であれ、その宗教の中には必ずご先祖の供養がまず先にあるということが大切なのではないかとおもうのです。宗教だけを信仰、崇拝しても、先祖や肉親の御霊を供養しなければ、目に見えない伝言はおろか、これから起こるかもしれない不幸な出来事も防ぐことができないのではないかと。。
たとえば、どんなに沢山お札を部屋中に貼り付けても、一時は護れたとしても、解決にはならない一時逃れにすぎないとおもいます。
そんなことより、亡き人のために自分で読経する供養と、お墓があるなら墓参りにも出向くほうが、どんなお札よりも功徳はあるかと思います。
って、これはあくまでも、私一個人の単なる思いですが。。


ワシがここに来たのも何かの縁やと思う。。






コメント (2)
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