ようやく始まった「真田丸」視聴率が関東では19.9と発表されました。
昨年の大河への失望からか、この「真田丸」をBSから見ている人も多いようですが、こういうBSの視聴率はどうなっているのかな、と思いますが。。
さて、その「真田丸」ですが、初回は真田家兄弟ご一行様が岩櫃城に向かうところで終わりました。
1/11は連休も終わりの日。こういう天気の良い日にどこかにいこうかという話になり、最初は軽井沢のアウトレットにでも行こうという話になったのです。そのため、それなりの格好をしてさて行こうという事になったのですが、あまり天気がよいので、ではあの岩櫃城に行ってみよう、という話になりました。
今年は雪が少ないというか、殆どないので、ドライブも快適です。
峠越えも殆ど時間がかからず。
長野県と群馬県境の峠も普段の冬と全く違います。何しろ雪が殆どない訳ですから。まぶしい太陽の光とともに、1月だというのに、まるで早春の様な雰囲気。
快適なドライブを楽しんでいるとやがてお城近くに。道の駅に寄りながら、岩櫃城の位置を確認。
長野県側からだと、お城は左側にあるはず。でもなかなかそのお城に通じる道がわかりません、というかないのです!!でもどうにか発見。なんと、その道への入り口は、長野県側からは反対の右側にあるのです。帰るときに確認したら、きちんと「岩櫃城入り口」とか書いてある看板があるのですが、それは長野県側からでは全くわかりません。
これでは、わかりにくいですね。
さて、そこからは細い山道が続きます。そしてどうにか、駐車場らしきところへ。
実は、「真田丸」第一回放送後にこの岩櫃城、正確には城跡ですが、こういう場所に来ている人なんてそんなにいないだろうと勝手に想像していましたが、驚きました。駐車場に結構車が止まっているではありませんか。

ミーハーは私たちだけではありませんでした。
そして、登山道入り口に到着。近くの人にここからだと20分ぐらいかかる、というお話でしたので、20分ぐらいだったら問題ないという事で、登城開始。実はこのとき、スカートにブーツなんて出で立ちで来てしまっていましたが、20分ぐらいなら大丈夫とも思いました。


しかし、本丸跡にまで行くのは楽ではありませんでした。
最初はこんな感じで、これだったら楽かもと安心。

途中には、普通の建物が建っていたとおぼしき平坦なところが。

しかし、本丸への入り口はこの急斜面。

普段あまり運動をしていない者にとっては若干難しい。そして落ち葉がたまっているので大変滑りやすいです。のぼりはまあまあでしたが、下りは注意しないと本当に転倒してしまう危険がありました。
そして最後のぼりがこれ。ここもまた急坂でした。

本丸跡には跡というくらいですから、もう建物は何も残っていません。あるのは「本丸跡」の碑と説明が書かれているボードだけ。
でもここに来てみて、このお城は本当に山城。山の地形を生かして、お城が造られています。山が天然の要塞の役目をしていたのでしょう。

本丸からの周囲の景色です。これは裏側。

今でこそ、道路も整備されいますが、当時はこのお城に来るのも大変だったのではないでしょうか。
本当に登山です。新付城から岩櫃までは当時は3日かかるという事でしたが、女性には大変だったのではないでしょうか。岩櫃城の周辺にも熊も出るようですし、当時はもっと木々がうっそうとしていただろうし、明かりはないしで。
こうやって実際にその土地に来てみると、当時の大変さがわかりますね。
しばし、はるか昔の事に思いに耽った一日でした。
そして最後は地元の焼き肉屋さんで上州牛を頂きました。

今回1月にこんな事ができたのは、雪が全く積もっていなかったからだと思います。登山道入り口は雪があったら閉鎖になっていたと思います。本来なら、春からの登山道だと思うのですが、今年はラッキー?でした。
昨年の大河への失望からか、この「真田丸」をBSから見ている人も多いようですが、こういうBSの視聴率はどうなっているのかな、と思いますが。。
さて、その「真田丸」ですが、初回は真田家兄弟ご一行様が岩櫃城に向かうところで終わりました。
1/11は連休も終わりの日。こういう天気の良い日にどこかにいこうかという話になり、最初は軽井沢のアウトレットにでも行こうという話になったのです。そのため、それなりの格好をしてさて行こうという事になったのですが、あまり天気がよいので、ではあの岩櫃城に行ってみよう、という話になりました。
今年は雪が少ないというか、殆どないので、ドライブも快適です。
峠越えも殆ど時間がかからず。
長野県と群馬県境の峠も普段の冬と全く違います。何しろ雪が殆どない訳ですから。まぶしい太陽の光とともに、1月だというのに、まるで早春の様な雰囲気。
快適なドライブを楽しんでいるとやがてお城近くに。道の駅に寄りながら、岩櫃城の位置を確認。
長野県側からだと、お城は左側にあるはず。でもなかなかそのお城に通じる道がわかりません、というかないのです!!でもどうにか発見。なんと、その道への入り口は、長野県側からは反対の右側にあるのです。帰るときに確認したら、きちんと「岩櫃城入り口」とか書いてある看板があるのですが、それは長野県側からでは全くわかりません。
これでは、わかりにくいですね。
さて、そこからは細い山道が続きます。そしてどうにか、駐車場らしきところへ。
実は、「真田丸」第一回放送後にこの岩櫃城、正確には城跡ですが、こういう場所に来ている人なんてそんなにいないだろうと勝手に想像していましたが、驚きました。駐車場に結構車が止まっているではありませんか。

ミーハーは私たちだけではありませんでした。
そして、登山道入り口に到着。近くの人にここからだと20分ぐらいかかる、というお話でしたので、20分ぐらいだったら問題ないという事で、登城開始。実はこのとき、スカートにブーツなんて出で立ちで来てしまっていましたが、20分ぐらいなら大丈夫とも思いました。


しかし、本丸跡にまで行くのは楽ではありませんでした。
最初はこんな感じで、これだったら楽かもと安心。

途中には、普通の建物が建っていたとおぼしき平坦なところが。

しかし、本丸への入り口はこの急斜面。

普段あまり運動をしていない者にとっては若干難しい。そして落ち葉がたまっているので大変滑りやすいです。のぼりはまあまあでしたが、下りは注意しないと本当に転倒してしまう危険がありました。
そして最後のぼりがこれ。ここもまた急坂でした。

本丸跡には跡というくらいですから、もう建物は何も残っていません。あるのは「本丸跡」の碑と説明が書かれているボードだけ。
でもここに来てみて、このお城は本当に山城。山の地形を生かして、お城が造られています。山が天然の要塞の役目をしていたのでしょう。

本丸からの周囲の景色です。これは裏側。

今でこそ、道路も整備されいますが、当時はこのお城に来るのも大変だったのではないでしょうか。
本当に登山です。新付城から岩櫃までは当時は3日かかるという事でしたが、女性には大変だったのではないでしょうか。岩櫃城の周辺にも熊も出るようですし、当時はもっと木々がうっそうとしていただろうし、明かりはないしで。
こうやって実際にその土地に来てみると、当時の大変さがわかりますね。
しばし、はるか昔の事に思いに耽った一日でした。
そして最後は地元の焼き肉屋さんで上州牛を頂きました。

今回1月にこんな事ができたのは、雪が全く積もっていなかったからだと思います。登山道入り口は雪があったら閉鎖になっていたと思います。本来なら、春からの登山道だと思うのですが、今年はラッキー?でした。