昨年放送されたNHK「もう一つのショパンコンクール」にもKAWAIピアノの活躍が報じられていましたが、今でこそKAWAIもピアノで非常に有名になりましたが、私が河合楽器あるいはKAWAIと聞いて頭に浮かぶのは、ピアノではなくて彗星です。
そう、夜空を飛び回っているコメットのこと。
なんの彗星かというと、イケヤ・セキ彗星で、これは1965年9月8日に発見されました。この彗星は過去数千年の間に最も明るく見える彗星の部類に入るということで有名になり、「1965年の大彗星」とも呼ばれているということです。
私がなぜこの彗星のことを覚えているかというと、私くらいの年代の人は覚えていると思いますが、当時、この彗星を発見した池谷薫さんをモデルにした映画が作られ、その映画を学校全体で体育館かなにかで観賞したことを覚えています。(リアルタイムで彗星を見ていた訳ではありません。)
また、なぜその映画のことを良く覚えているかというと、河合楽器でピアノを作っていた(と思います)人が、手作りで一生懸命に分厚いレンズを磨いて望遠鏡を作ってこの彗星を発見したということに驚いたからです。
要するに、アマチュアのコメットハンターだったわけです。
でもまだ小さかった私には、ピアノ作っている人が自分でレンズまで磨いて望遠鏡つくって夜空を観察、なんてことが想像出来ず、大変驚いたのを覚えています。第一、自分でレンズなんて磨いて作れるのか、という事にとても不思議な感じがしました。
その事実がキョーレツで、未だに「KAWAIと言えばイケヤ彗星」に直結してしまっている状態です。
実際、映画の中でもちゃっかりと浜松の河合楽器の看板と建物(昔の建物と思いますが。)が写っていました。だから、河合楽器のことも良く覚えているんです。
その影響か、ピアノはYAMAHA、です。彗星が邪魔をしてくれて、KAWAIのピアノなんて考えもつきませんでした。
私にとって、河合楽器と言えば彗星ですね。
さてその池谷さん、今現在はどうされているのか知りませんが、WIKIによれば2010年には望遠鏡のレンズの研磨の仕事に携わっていたとか。彗星発見当時のようにレンズ磨いているんですね。
通算7個の彗星を発見されているという事です。
池谷さんが彗星発見当時、もう一人の日本人、関勉さんもこの彗星を発見。国際電話なども発達していなかった当時。二人とも大急ぎで国際電報をスミソニアン天体物理観測所にある天文電報中央局に打電。このとき、「早くしないと世界の誰かが連絡を入れているかもしれない」と池谷さんが言っていたの映画の中で描かれており、彗星発見も大変な事なんだ、と言う事を知りました。
この時、関さんと15分違いという事でほぼ同時発見という事でお二人の名前がつけられたそうです。彗星発見というのも、競争が大変なんだな、と思った事も覚えています。
そう、夜空を飛び回っているコメットのこと。
なんの彗星かというと、イケヤ・セキ彗星で、これは1965年9月8日に発見されました。この彗星は過去数千年の間に最も明るく見える彗星の部類に入るということで有名になり、「1965年の大彗星」とも呼ばれているということです。
私がなぜこの彗星のことを覚えているかというと、私くらいの年代の人は覚えていると思いますが、当時、この彗星を発見した池谷薫さんをモデルにした映画が作られ、その映画を学校全体で体育館かなにかで観賞したことを覚えています。(リアルタイムで彗星を見ていた訳ではありません。)
また、なぜその映画のことを良く覚えているかというと、河合楽器でピアノを作っていた(と思います)人が、手作りで一生懸命に分厚いレンズを磨いて望遠鏡を作ってこの彗星を発見したということに驚いたからです。
要するに、アマチュアのコメットハンターだったわけです。
でもまだ小さかった私には、ピアノ作っている人が自分でレンズまで磨いて望遠鏡つくって夜空を観察、なんてことが想像出来ず、大変驚いたのを覚えています。第一、自分でレンズなんて磨いて作れるのか、という事にとても不思議な感じがしました。
その事実がキョーレツで、未だに「KAWAIと言えばイケヤ彗星」に直結してしまっている状態です。
実際、映画の中でもちゃっかりと浜松の河合楽器の看板と建物(昔の建物と思いますが。)が写っていました。だから、河合楽器のことも良く覚えているんです。
その影響か、ピアノはYAMAHA、です。彗星が邪魔をしてくれて、KAWAIのピアノなんて考えもつきませんでした。
私にとって、河合楽器と言えば彗星ですね。
さてその池谷さん、今現在はどうされているのか知りませんが、WIKIによれば2010年には望遠鏡のレンズの研磨の仕事に携わっていたとか。彗星発見当時のようにレンズ磨いているんですね。
通算7個の彗星を発見されているという事です。
池谷さんが彗星発見当時、もう一人の日本人、関勉さんもこの彗星を発見。国際電話なども発達していなかった当時。二人とも大急ぎで国際電報をスミソニアン天体物理観測所にある天文電報中央局に打電。このとき、「早くしないと世界の誰かが連絡を入れているかもしれない」と池谷さんが言っていたの映画の中で描かれており、彗星発見も大変な事なんだ、と言う事を知りました。
この時、関さんと15分違いという事でほぼ同時発見という事でお二人の名前がつけられたそうです。彗星発見というのも、競争が大変なんだな、と思った事も覚えています。