ぶたころの愉快コレクション

近くの国営昭和記念公園の近況、アウトドア活動を中心に愉快を探していきたいと思います。

十年一区切り の巻

2013年08月23日 05時05分00秒 | 日記
(写真は水曜日の記公 : カメラ Canon IXY )



「 自分史の一コマ( 仕事編 ) の巻 」



若い頃、防衛施設周辺住宅防音補助金工事の設計監理を受託していました。

このあたりには 横田基地、入間基地、立川基地、厚木基地 などがあります。


そのうち我々が受託していたのは 横田基地、入間基地周辺で、市内の設計事務所で協力して受託していたのですけど、一つの制度による仕事は10年あれば一区切りと言う感覚でした。


幸い独立した25歳あたりから50代半ばまでは順調で、設計事務所として安定した仕事のひとつになりました。


融資関係での仕事で中古住宅概要書の作成と言う仕事もありましたが、これは短期間で無くなりました。


今の住宅性能評価の仕事、自分としては仕事が始まってから見え隠れ(仕上がると見えなくなる、基礎、構造、断熱など)においては当初あまり細かな部分に配慮していなかったメーカーも気を使うようになり精度はずいぶんあがりました。

この点においてやりがいのあった仕事だと思っています。


ただし、このような部分は施主にとってはあまり目立たないと言うか、ほとんど関心の無い部分で制度を利用して良かったとは思われない部分です。

また、制度を利用してのメリットもいまひとつなので、性能に関して重要な項目が多い割には地味な仕事になっています。

大手メーカーの施工精度も高くなってきた今、始まってから一区切りの年数を経たこの仕事、今後の位置づけやいかに?


自営で定年とは関係ありませんが、すでに65歳定年として間もなくの年齢。
思えば独立して以来お陰様でうまく仕事を繋いで切れる事がなかったのは運が良かったと思います。



( イチゴ )


仲間の中には子供に継がせている人もいます。

我々が独立した時代は町の建築会社も活発で、住宅も建売なども多く、個人の設計事務所が活躍できる時代でした。

住宅に関して、いわゆるプレファブ住宅が出始めたのもその頃です。

住宅の場合、他の工業製品とは違い、敷地、環境はみんな違うし、施主の要望も多様なので住宅建築の中である程度限界があるかなと思いましたが、都市部においては昔の地域の棟梁が建てていた時代、つまり周りの建物が出来上がりの参考になる時代ではなくなっているので、展示場で完成が想像できるプレファブ住宅はこれから伸びるだろうなと言う予感はありました。

次第にメーカーの仕様もバラエティに富み、工業化住宅がプレファブ住宅と言う安っぽいものではなくなって行きました。

このあたりで、町の工務店、町の設計事務所の時代ではなくなるなと思いました。

私の場合、独立する前にちょっとだけ大手プレファブ住宅に勤めた事もあり、それは独立して割と早く感じたので最初から子供が出来ても自分の轍を踏ませることは無いだろうと思っていたのです。




最近は世の中が早いので、例えば子供がその頃脚光を浴びている職業に憧れて目指しても大人になった時、すでにその職業の時代は終っていると言う事もあるかも知れません。

先を読む力、ますます重要になっているなと思います。

それと時代の波に乗って行く臨機応変で柔らかい頭。

マニュアルが無ければ動けなくなっている現代人にはたして?




記公に行く時必ずどれかのカメラを持って行きますが、最近は帰ってテレビにつないで母に見せるため
動画もよく撮ります。

コメント
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