ハンコのあるイラスト、写真は昔のSNSで使ったもので現在の物ではありません。
やったー! 昨日からお酒を日本酒換算1合程度にしました。
昨日はお酒が切れるので何度も買って帰ろうと思ったのですが、やはりこのままでは近いうちに体を壊すと言う気持ちが勝ちました。
今日は夕方近くのコンビニに行って買ってきましたが、メジャーカップで計測して日本酒換算1合の100ml強にしました。
奥さんや、お母さんを無くすと男性は2年以内くらいに病気になってしまう人が多いとどこかで読みました。
奥さんを亡くした旦那がすぐ死んでしまうと言う話は良く聞きます。
私は母ですけど、介護をしている間は自分のことなど考えず、怖いのは母より先に倒れてしまう事でした。
やれることはすべてやったと思います。
時々母にきつい言葉をかけた事に関しては悔いが残りますが、悔いのない介護はありえません。
人によって程度の差、期間の差はありますが過酷な仕事になります。
親戚の長男たちで母親より先に逝ってしまった者が複数いるのでそれだけが心配だったのです。
介護の終わりは結局終わりなわけでハッピーエンドではありません。
特攻隊もやりとげるという事は終わりな訳で、いつも介護と重なって頭をよぎりました。
昔のポセイドンアドベンチャーと言う映画もさかさまになった船をどんどん上になった船底に登っていくわけで、そこに出口は無く、救助隊がいると言う保証は無いわけで、それでも今できる事を一所懸命やるしかないので、これも介護と重なりました。
介護の毎日はその期間ブログにも書いていたので少し落ち着いたら見直してみようと思います。
私は自営で仕事をコントロールすることが出来たので少し量を減らしてやれていましたが、フルタイムで勤めている人は私と同じような在宅での介護は絶対無理と言い切れます。
介護離職ゼロなど経験のない者が言える言葉だと言い切ります。
私の場合も終わりの頃は新規物件は断り、残っている手持ち物件だけにしました。
年が明けたら68歳になるので目も悪く、バイクの運転も危なくなるかも知れないので復帰するかどうかはまだ考えていません。
言えることは多少なりとも仕事をしていると生活が規則正しくなり、健康にも良いなとは思います。
今後の生活設計にはもう少し時間がかかりそうです。
今のところ手持ち物件はまだ数件残っていますので週に1回か2回の仕事です。
母が亡くなったのが8月10日、お葬式が13日(日曜日)、お盆中だったので仕事には全く影響が無かったのは母の心遣いでしょうか。
木曜日の雨の後、ぐっと秋が深まるとの事なので冷風扇と扇風機2台を裏に仕舞いました。
そして母の部屋をベッド上に荷物をまとめ歩けるスペースを以前に近い形に確保、暑い日でしたのですっかり汗をかいた作業となりました。
母が残したリハパンやパット、紙おむつの引き取り先が見つかって無くなったら本格的に片づけが進むのですけど。
問題は2階の整理です。
秋冬用の衣類をとりあえず下に移し、山道具などを整理しないと足の踏み場がありません。