ぶたころの愉快コレクション

近くの国営昭和記念公園の近況、アウトドア活動を中心に愉快を探していきたいと思います。

自宅で看取るという事。

2017年09月05日 05時05分00秒 | 日記



自宅で看取るのは覚悟が必要です。


私の場合時々妹に留守番に来てもらっていましたが基本的に一人で看ていましたのでその負担は想像以上に大きかったです。


自分の事はどうでも良いと言う覚悟が無いと出来ませんでした。



特攻隊の気持ちが解ったと思ったのです。

介護もやり遂げるという事は死を意味します。


複座の特攻機?で後ろに母を載せて敵の空母に突っ込むことが出来るか、結果的にやり遂げたと思います。

母より先に逝くことが無く、介護をやり遂げた。


でも、特攻なのに私が生き残っている。


このあたりです。


今は介護ロスで虚脱感、虚無感ですけどPTさんが天国に送り届けて戻ってきたと言うところでは?と言っていました。

確かにそうかもしれません。



看護師さんは解るような気がするとか。



私の従弟などでは母親を看ていてその前に亡くなりやり遂げられなかった者が複数います。

私が恐れていたそれは克服しました。


でも一人で自宅で看取る、これは相当消耗します。




それだけやっても あの時にもっと優しくしてあげられたら などと言う後悔は必ず残ります。







病院の看護師さんが言っていましたが在宅での看取りはいろいろ大変なので病院でと言う家族は多いそうです。

それが幸せだと思えばそれはそれで良いと思います。


誰でも最後がどうなるかは直前まで解りません。

でも、自分が考える最後は家族ともよく話し合っておくと母のように望んだとおり自宅で亡くなる事が出来る場合があります。


昔でいう畳の上で(ベッドでしたけど)死ぬと言う事でしょうか。






コメント
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