( 写真は昔のものです )
医者は生かすことだけに固執し、鼻からの栄養、胃ろう、などの延命治療が行われてきました。
回復の見込みがある若い人に対しては正しいと思います。
でも十分生きた回復の見込みがない高齢者に対してはたして?
と考える人も増えてきました。
ほとんどの人は慣れ親しんだ自宅で死にたいと思いますのでそれを支援する在宅医も増えてきたように思います。
小説とかコミックでも在宅で自然な死を見守る医者の話は多くなっています。
自分が高齢になって口から食べることが出来なくなり、自由に動けなくなった時寝たきりで胃に穴をあけて栄養を押し込み、体の世話をすべて他の人にまかせてそれでも生きたいと思う人はいると思います。
でも多くは回復見込みのない延命治療はしないでほしいと思っているのではないでしょうか。
私もそう思います。
色んなケースがあります。
本人の意識もはっきりしなくなり、家族も見守り看取る覚悟をしていても一緒に暮らしていない遠くの親戚が出てきて 何としても生かせ という事も少なくありません。
介護している人が介護に専念していて介護されている人の年金などをあてにして暮らしていて亡くなったら生活できないと考える人もいるでしょう。
在宅で自然な看取りを支援するお医者さんはこれからどんどん増えてもらいたいと思います。
でも自分が正しいのだとは思いこまないで、色んなケース、色んな考え方があるので柔軟な考え方に対応できる事が必要だなと思います。
これも想像力が退化させられた現代社会の問題だと思います。
色々な立場で考えられる能力が求められています。
大量に高齢者が死んでいく時代はそこに来ていますので真剣に取り組んでもらいたいと思っています。
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私は母を自宅で看取りました。
少しだけ入院しましたが最後は自宅に帰って看取りました。
酸素を濃縮する機械と痰の吸引機を入れて(吸引は医療関係者しかできないのですけど家族は指導を受けて例外的にできるのです)ほぼ水分の点滴を見張って交換(点滴も延命治療にあたるのですけど)退院してからの19日間はぐっすり寝る事は出来なかったように思います。
大変なので自宅で看取る人は少ないと言っていました。
母は自宅にいたいと言っていたのですでに朦朧としていましたが分かったと思います。
介護は、壮絶な戦いですから、あの時もっと優しくしてあげたらなどと後悔はつきものです。
介護をやり切ってかなり消耗しましたが後悔は少ないように思います。
団塊世代が後期高齢者になります、どう終わるか本人だけでなく周辺も考えるときが来ているのです。
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最近自殺したいから他の人も多く巻き込んで、と事件が多いと思います。
そういう人に重い罰など何の役にも立ちません。
これも思いやりを失った想像力を重視しない教育のせいだと思っています。
物事0か1だけではない、その間に無限の数字があります。
デジタル化は想像力を無くしてしまうと思っています。
試験にしてもマークシートで答えと答えの間を補完する豊かさが無い。
すべては教育の問題です。
想像力、創造力を育てる教育で無いと薄っぺらで短絡的な人間しか育ちません。
プライムで ランボー、ラストブラッド を観ました。
色んな意見があるでしょうけど、私は2くらいでやめるのが良かったかなと思います。
蛇足のようで、最後は殺し方のカタログのような映画、後味の悪い映画だと思いました。
やはり映画は娯楽なので暗い映画でも希望が感じられるもの、後味の良いものが好きです。
立ち直れないような映画もありますが私は好きではありません。
何の為に映画を作るのか、観てもらって嫌な気持ちにするのはやはり間違っているように思います。
あくまでも 私は ですが。