( 写真は昔のものです )
面白そうだな ここまでは簡単ですがはまるとみんな底なし沼です。
少し前から軍艦島(端島)にはまってこれがグーグルのストリートビューで島中ほとんどのエリアが見られるのでどんどんはまって模型を買ったり本を買ったり。
南北に約480m、東西に約160m、周囲約1,200m、面積6.5ha
ここに最盛期は5300人ほどが住んでいて島だけで完結して充実した生活を送っていたのは驚きです。
自分の家周辺でこの大きさを想像したら狭いですよ。
廃虚としての島でなく生活のあったころに興味を持ち何冊か本を読んでいます。
_________________________________
亡くなった場合、島内にお寺はありましたが火葬場と墓地は高島との間にある中の島に端島専用の物があったことは書きましたが、故郷のお墓にと言う人も多かったようです。
建築家のまとめたものが届いたのでざっと見ましたが色々分からなかったことが分かります。
グーグルで見て腐食が激しいなと思いましたがやはりそのことも書いてありました。
コンクリートの骨材(砂と砂利)は海の物だったようですが使う前に真水で良く洗ったと言います。
良く洗ってもやはり塩分を含んだものなので腐食は早まったのではないでしょうか。
またコンクリートに豆板(ジャンカ)が多いと言う事、打設の精度が悪く水がしみこみやすかったのかもしれません。
見ると錆びた鉄筋が露出した柱や梁だらけです。
構造的には鉄筋コンクリートの枠に木造をはめ込んだような仕組みなのはグーグルで見ても良く分かります。
内壁などが壊れた棟は向こうまで見渡せます。
廊下などの手摺がすべて木造だなと思いましたが腐食対策のようです。
時間的なものがあるので解体、火災、台風などによる倒壊、建て替えなどもあるので変化するのは当たり前です。
昔の写真を見ると木造も多かったようですが今見ると木造はすべて倒壊しています。
ゴミは海に投棄していたようです。
人数の多い島で海上投棄だと汚染はすごかったかも。
水はその後パイプを通したようですが、運搬船で運んでいたとか。
トイレは時代で住戸専用のあるところもあったようですが基本時に各階の共同トイレ、お風呂は数か所あったようですけど何しろ5300人も住んでいたのですから大混雑だったでしょう。
水洗トイレの場合は海水を使ったようで海水だと糞尿が塩漬け状態で分解されにくかったようでそのまま海に捨てていたのですからゴミと言い糞尿と言い周辺の海は衛生的と言う訳にはいかなかったでしょう。
南の端にプールがありますが、子供たちの安全の為だけでなく海の汚染された水による伝染病など衛生面もあったようです。
台風の被害は大きかったようです。
海のそばに住んでみないと分かりませんが子供の頃台風の後父と海岸で波止場に打ち付ける波を見た記憶がありますが大きなビルほどの高さまであがっていました。
閉鎖空間なので火災には注意していたなかなと思いましたがやはり大きな火災もあったようです。
色々調べてみると、まあその当時なので今から考えると時代を感じますけど、島でなくてもその頃は似たり寄ったりだったと思います。
気持ちは木造もあり人々が暮らす賑やかな端島の中を歩き回っています。
プラモデルが届きました。
小さいのですけど写真の多い本もあるので細かいところにこだわってみようかなと思います。
でもまずペーパークラフトを完成させようと思います。
まだまだ色んな発見があります。
それにしても今はまだ鉄筋コンクリートの建物はかろうじて立っていますが、構造体の腐食も激しく保存は難しいでしょうね。
資料とか記念館のような形で残るのかな。
廃虚でも島のスケール感は分かるので今のうちですね。
明日、明後日は仕事が入っていますけど今日も無し、明日の下調べのみ。
今日は晴れる予報なのですけど昨日洗濯したので今日は給水のみ、3ミリに頭を刈ったので寒いのでイスラム帽(戦場カメラマンがかぶっているやつ)をかぶっています。
これで丸眼鏡をかけると立派なレトロ老人なのです。
_________________________________
昨日とうってかわって今朝は東の一つ星もくっきりで快晴の気配。
でも昨日洗濯したので今朝は給水作業とトイレのみ。
朝は冷え込んだので辛ラーメン、チーズ、卵、乾燥野菜入り。
明日、明後日はバイクエリアの数件なのですけど明後日は雨の予報。
ニャンさんは椅子にいましたのでおやつをあげて今まで膝にのせていましたがクッションごと椅子に移して寝ています。