日大豊山水泳部 活動日誌

インターハイでの総合優勝を目指して、日々練習に励んでいます。

あの言葉この言葉5 「偏見・相続・時効」

2017-02-08 07:48:24 | 豊山の教え

この言葉は私に伝統の大切さを教えてくれた、エドマンド・バークの言葉です。

エドマンド・バークは18世紀のイギリスの哲学者、政治家です。

フランス革命に反対し、『フランス革命の省察』を著しました。

「偏見」とは、自然な感情のことでそれを大切にすることを説きました。

通常、「偏見」は捨て去るべきもので大切にするということはありません。

しかし、「偏見」を表す「prejudice」は、あらかじめ(pre)の判断(judice)という意味です。

つまり「偏見」には、伝統や慣習という先人の知恵が「あらかじめなされた判断」として含まれているということです。

自然な感情こそが道徳のおおもとであって、「偏見」なしに美徳は成り立ちません。

例えば、目上の人にあいさつをしなさい、というのも年長者に対して自然に抱く尊敬の気持ちから出てくるものであって、あいさつをする理由をいちいち説明したりはしません。

「相続」は、先人の知恵を尊敬し、次の世代に伝えることです。

過去と現在、未来を結びつけるもので、安定をもたらします。

なぜ相続することが大切かというと、一人ひとりの人間は不完全であってその判断が常に正しいということはないからです。

そこで先人の知恵という助けをかりることで過ちを少なくするのです。

バークがフランス革命に反対したのは、国王や教会というそれまでの国家の歴史や伝統をすべて破壊し、一から作り上げようという革命だったからです。

「時効」は「時間の効果」のことです。

「時効」を表す「prescription」は、あらかじめ(pre)の規定(scription)という意味です。

「あらかじめ規定」された効果は、時間の持続のなかにあるということです。

時間はさまざまな問題や矛盾といったものを安定させ、平衡状態を保つために有効なものです。

全体を調和させて、そのなかから優れたものが生まれてきます。

「偏見」や「相続」は、「時効」に支えてられてこそ価値をもつものになります。

「時効」は物事の平衡を保とうとする知恵といえるもので、それが「伝統」なのです。

私が日大豊山の教員となり水泳部を引き継いでいくとき最初に考えたことは、学校や水泳で受け継がれてきた「伝統」を発見することでした。

それを解釈し、現場に生かすことで安定した学校教育を継続することができるはずです。

それが学校に受け継がれてきた「校訓」であり、水泳部で受け継がれてきた「55の教え」や「学校水泳の特色」だったのです(水泳部HP参照)。

エドマンド・バークは「伝統」の大切さを教えてくれた人物であり、その考え方は日々の仕事や生活に生きています。

下の写真は創設60周年記念でつくられた下敷きです。

校舎は変わってもそこに生きる伝統は受け継がれています。

竹村知洋

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あの言葉この言葉4 「汝自身を知れ」

2017-02-07 05:37:39 | 豊山の教え

「汝自身を知れ」は、古代ギリシャの哲学者ソクラテスが真理を探究する出発点とした言葉です。

自分自身の何を知るか、というと自らの無知です。

ソクラテスがデルフォイの神託で最も賢い人間であるといわれたのは、自分自身の無知を自覚しているからでした。

古代ギリシャ人が悪徳としたのは、傲慢です。

身のほどをわきまえないことが最大の悪徳であるとされていました。

人間としての徳は「善く生きる」ことであり、それこそが他の動物にはない人間の優れた性質であると考えていたのです。

「善く生きる」ためには、「善」について知らなければなりません。

人に「善」について問いただすと、たいていの人は知っているかのように答えます。

しかし、ソクラテスがそれについて深く追求すると、実は本当に知っているわけではないことに皆が気づかされるのでした。

何よりも知ることが難しいのが自分自身を知ることであり、特に自分の無知を自覚するということは大変困難です。

知らないという自覚がない限り、人はそのことについて知ろうとはしません。

ソクラテスは、正しく知ることが正しい行為につながり、幸福をもたらすとしています。

ソクラテスは「善く生きる」ことがいかに大切かを説き、それを自らの死をもって示したのでした。

 下の絵はフランスのジャック=ルイ・ダヴィッドが描いたソクラテスの死の場面です。

死刑を宣告されたソクラテスは死を恐れることなく、魂の不滅を信じて毒杯を仰いだのでした。

その生き方は弟子たちに大きな影響を与え、プラトンやアリストテレスに受け継がれ、善き市民としての在り方を追求しました。

私は人生のほとんどの時間を水泳と共に過ごしてきましたが、どれだけ考えても、どれだけ経験してもわからないことばかりです。

「汝自身を知れ」は、傲慢にならず、自分の無知を自覚することの大切さを教えてくれた言葉です。

竹村知洋

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あの言葉この言葉3 「強く正しく大らかに」

2017-02-06 06:53:10 | 豊山の教え

日大豊山高校の校訓です。

この言葉は学校の長い伝統から生まれてきたもので、校風そのものといえます。

また、男子校としての特色がよく表れています。

私は伝統を大切にしたいと考えていますが、学校の一番大切な価値を表わしているのが校訓だと思います。

「強く正しく大らかな人」は、「男らしい人」だと言うこともできます。

つまり、日大豊山の最も大切な価値は「男らしさ」にあると考えています。

近年、男女平等の考え方から「男らしさ」や「女らしさ」を強調しない風潮となっています。

しかし、「徳」をあらわす「VIRTUE」という英単語の語源は、「男らしさ」であり力や勇気という意味もあります。

ここからわかることは、古代より男性としての美徳はまさに「男らしさ」にあるわけです。

それが校訓である「強く正しく大らかに」によく表されています。

そうだからといって学校で特別に「男らしさ」を強調したような教育活動をしているわけではありません。

男子校という雰囲気の中で自然とそのような学校教育が展開されてきたということです。

少子化の影響で共学化が進んでいるというのが日本の現状ですが、欧米では男女の別学化が進んでいます。

その理由は、男女では成長度に差があり、それぞれの特色に応じた教育を行った方がより教育効果が高いことが証明されているからです。

進学校といわれる学校に男子校や女子校が多いのがその証明ともいえます。

男子校や女子校にはそれぞれの学校に受け継がれてきた伝統があります。

学校経営のためにその伝統を失ってしまうのはとてももったいないことです。

一度失ってしまった校風は二度と戻ることはありません。

日大豊山はこれからも「強く正しく大らかに」を校訓とした男子校であり続けたいと考えています。

今日の朝練前、プールから見た朝日です。

竹村知洋

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あの言葉この言葉2 「為すべきことを為せ」

2017-02-04 07:50:51 | 豊山の教え

この言葉は私の座右の言葉です。

競泳選手時代から指導者となり、現在に到るまで私の人生を支え続けてきた言葉といえます。

この言葉はインド哲学の中心的な考え方を示した『バガヴァッド・ギーター』に収められています。

自分の感情や行為の結果にとらわれず、為すべきことを為せということです。

誰でも好きなことや嫌いなことはありますし、自分の行動の結果が気になるのは当然です。

しかし、インド哲学では感情や結果によって一喜一憂することなく、自分に与えられた役割を果たすことが人生において重要なことであると教えています。

『バガヴァッド・ギーター』とは「神の詩」という意味です。

古代インドで神の化身であるクリシュナが弓の使い手である戦士アルジュナに真実を教える話です。

アルジュナは戦いで人を殺めることに心を痛め、戦士としての役割を放棄しようとします。

それに対しクリシュナは自分の真の姿を現し、アルジュナに戦士として定められた行為に従事することを説くのです。

なぜならそれがアルジュナの宿命だからです。

人生に起きる出来事や世の中のすべての物事を善悪で正しく判断することは大変難しいことです。

また、インド哲学では好き嫌いの感情に振り回されてはならないことを戒めとしています。

それよりもこの人生で自分に与えられた役割は何なのか、ということを見極めてその務めを果たすことが重要であるということです。

『バガヴァッド・ギーター』では執着を離れて、結果にとらわれずに定められた行為を為すことを説いています。

競泳は毎年、大きな大会で結果が問われます。

よい時もあれば、悪いときもあります。

日常生活やどんな仕事でも同様です。

どんなに一生懸命やってもなかなかうまくいかないことが多いです。

私がインド哲学から教わったことは、よくないときであっても感情を乱すことなく、今、自分が「為すべきことを為す」ことです。

自分が果たすべきことは結果を残すことにあるのではなく、行為そのものにあることをインド哲学の古典は教えてくれるのです。

下の写真は私が学校の助成でインド研修に行ったときのものです。

アーユルヴェーダやヨーガなどを体験し、大変有意義な研修を行いました。

インドは知れば知るほど大変奥深い国だと思います。

『バガヴァッド・ギーター』

クリシュナがアルジュナに教えを説く場面です。

アーユルヴェーダで使用するハーブや施設

ヨーガの道場

インド古来の武道「カラリパヤット」

インドの伝統芸能「カタカリ」

宿泊施設からの眺め

竹村知洋

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あの言葉この言葉1 「たかがオリンピック」

2017-02-03 07:21:44 | 豊山の教え

これまで私が指導をしてきたなかで、特に印象に残っている言葉を紹介していきたいと思います。

最初は「たかがオリンピック」です。

これは日大豊山前監督の井上敦雄先生の言葉です。

何か問題があったときに、「たかだかオリンピックで何を騒いでいるんだ」というような井上先生の言葉であったと記憶しています。

水泳関係者でこの言葉を口にできる指導者はそれほどいないのではないでしょうか。

私がいうまでもなく、オリンピックはスポーツ界で最高峰の試合であり、指導者も選手も人生のすべてをかける試合です。

そこにかける時間や費用などを考えれば、通常「たかが」という言葉でまとめられるものではありません。

もちろん井上先生はオリンピックを軽んじてこの言葉を言ってわけではありません。

私なりにこの言葉の意味を考えてみたのですが、やはり「たかがオリンピック」といえるような「人生に対する見識」をもたなければならないということです。

オリンピックはスポーツの祭典として最高峰にあるわけですが、それでもしょせんは「スポーツ大会」にすぎないのです。

この言葉が教えてくれることは、人生にはそれよりも大切にしなければならない価値がたくさんあるということに気づかなければならないということです。

確かにオリンピックに出場し活躍することはすばらしいことであり、賞賛に値することです。

私もかつては競泳選手であり、現在は指導者ですからオリンピックに出場して活躍することがいかに大変かということは理解しています。

しかし、生きていくうえでの価値としてそれが最高のものか、ということを考えなければならないということです。

例えば井上先生は何よりも「人を大切にすること」を重視しており、自分の財産はそれだけだということを常日頃からおっしゃっています。

オリンピックに出場したとしてもそれで人生が終わるわけではありません。

そしてどんなに活躍した選手であってもいずれ記録は破られ、新たな選手が出てくれば人々の記憶からも忘れられます。

やはり「たかがオリンピック」という気持ちで、人との関係を大切にし立派な社会人として生きる、という「人生に対する見識」を持ち続け、そういう人材を育成したいと思います。

「たかがオリンピック」ですが、「されどオリンピック」です!

是非、東京オリンピックの代表選手を日大豊山水泳部から出したいと考えています。

2020年東京オリンピックの競泳が開催されるオリンピックアクアティクスセンターの予想図です。

竹村知洋

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする