昨年末に訪ねた塩竈。
1か月遅れになるのだけど、忘備録的に。
杉村惇氏、ご出身は東京で、現在の東京芸大卒業。
ご両親が山形出身、お姉さんが仙台に嫁いでと、東北に縁があり、
大空襲で焼け出された際、塩竈に疎開。
以降、塩竈に魅了され、塩竈だからこその題材を描かれた様。
作品は静物。緻密な作品が並んでいました。
20年ほどの時間差があるけれど、藤田嗣治の伝記的な本で、
芸大では、黒を使わない指導がされていたのではなかったかな。
戦争が終わっても、塩竈を気に入って東京へ戻らなかったことと、
塩竈を【黒への収束】と称しているのと関係があるのでは?と、思うのは考えすぎか。
建物は、元々公民館だったものの2階を美術館にリノベしたらしい。
勧められた理由は、1階の大講堂を覗いて納得。
HPによると昭和26年竣工、大講堂は木骨編板構造(集成材)。
美しい曲線で構成された、大空間。
旧亀井邸で、「あそこですよ」と教えてもらった。
なんだ、近いじゃんと思ったものの。
参道の階段を降りて(ここは登ってきたところだからいい)。
しかし、近付いていくと、目の前には階段が。
マジか~と躊躇う。登りましたけれどね。
見終わって、次の目的地に向かうのも、傾斜。
リアス式海岸の特徴なんですね。
スマホのマップには、等高線が無いから。
坂道が続くなど、表示して欲しいと、しみじみ思った。
超しんどくて、すごく長い距離に感じた。笑
戻り確認すると、循環バスで移動した、平坦な所は、ほぼ埋立地だったらしい。
@ふると
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