ぶつぶつ地蔵

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坂田藤十郎

2006-02-07 11:45:51 | 舞台関係
NHKの特集で『幻の藤十郎』というのを見た。

2005年11月30日に三代目中村雁治郎さんが四代目坂田藤十郎を襲名した。
江戸歌舞伎の初代團十郎と人気を二分する、上方歌舞伎の初代藤十郎。團十郎をして「藤十郎の存命中は上方に上るべからず」と言わしめたのが初代藤十郎である。ようは、藤十郎がいる限り上方では上方歌舞伎の人気には勝てないと團十郎が判断したのだ。
「やつし」という芸を得意とした彼にほれ込んだ近松が、藤十郎の為に約30編もの脚本を書き、藤十郎が病気で舞台を去った後、近松は元の文楽の脚本を手がけることに戻ったといわれている。
紙衣という、和紙で作った着物を着て舞台を勤めた。
型を重んじ継承する江戸歌舞伎とは違う、上方歌舞伎の礎を作った芸風だったとか。
詳しくはこちらをご参照ください(笑)詳しく藤十郎の事が載ってます。

この藤十郎は三代までしか伝承されていない。
これは、藤十郎の名前が世襲制ではなかったからかもしれない。
芸を磨き、藤十郎が認めたものこそが藤十郎を名乗る事が出来るのだ。(猿之助さんトコロもたしかそうだよね?)
初代藤十郎は言っている。
「私の芸を目標にしたなら、それは私を超えることはできない。」

三代目雁治郎さんは、低迷する上方歌舞伎を憂え、また、ずっと坂田藤十郎を研究なさっていたとか。
20代で藤十郎と出会い、50代で藤十郎を研究(劇団発足など)し、70代にして襲名に辿りついたのだと。
以前、上方風流(かみがたぶり)を観に行ったときに雁治郎さんが来られていて、やはり上方歌舞伎が低迷していることを嘆いていらっしゃった。

初代藤十郎の言葉どおり、四代目坂田藤十郎は新たな舞台で襲名を披露したとの事。

藤十郎は言う。
「芸事は心より漏れ出でたるもの」(←言葉は怪しい^^;)
芸をするにあたって、心がきわまって初めて言葉や演技が出てくる、といった意味だったと思う。

雁治郎さんが『曽根崎心中』のお初を演じられた時、心中に向かう徳様と偶然立ち居地が入れ替わってしまった、というパプニングがあったらしい。本来は徳様がお初の手を取り心中に向かうんだけど、この時お初になりきっていた雁治郎さんは、徳様の手をしっかと握り締め心中への道程を促しながら花道を走ったと。
コレこそが心から漏れ出でたる芸だよね。
襲名披露の『夕霧名残の正月』でも、同じ場面があったとか。
死んでしまった夕霧と、夢の中でつかの間の逢瀬をした伊左衛門。踊りだけで魅せるシーンであったにもかかわらず口からこぼれた言葉。夕霧役の雀右衛門さんも自然とその言葉に返事を添える・・・・。
なんだかね、すごく素敵だった。


ハッキリ言って、歌舞伎は鬼門と思っている。
これ以上首を絞めることをするのはキケンである。一度行ったらハマル危険が大きすぎる。
にもかかわらず、藤十郎の芸、観たい。激しく観たいぞぉ~