ぶつぶつ地蔵

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奇跡を考える

2016-03-22 12:30:51 | 舞台関係
3月1日から、奈良の東大寺さんでは修二会お水取りの行法が行われております。
今年はお水取りカフェに参加させていただきました。
更に月末には薬師寺さんの修二会花会式もあることから、3月の気分は修二会一色なオイラです。

昔は2月で一年が終わり新しい年を迎えました。修二会は新しい年を迎える前に、1年間の穢をご本尊様に報告し清めていただく法要です。
東大寺さん二月堂では十一面観音様に報告するので十一面悔過。薬師寺さんではお薬師様に清めていただきますので薬師悔過。
旧暦では2月に行われておりましたが、新暦になって3月に行われているのです。

そんな訳で、3月はオイラにとって祈りの月なのでございます。

そんな3月にふさわしい舞台を2つ観ました。




3月11日に『賢者ナータン』


3月12日に『ルルドの奇跡』


ナータンは英世さんがご出演ということで、ギリギリまで行くかどうするか悩んだ作品でしたが、観てよかったです。
とゆーか、観るべき作品でした。
原作を読みたいと思って探したんですが、絶版なんですね。近所の図書館に一応あるようなので、時間を見つけて読みに行こうかと。。。

キリスト教・イスラム教・ユダヤ教を題材に描かれている『賢者ナータン』。
宗教という、信じる者同士が相容れ難い非常に難しくナイーブな内容にスポットを当てたお話なワケですが、信仰というそれぞれが譲れない難しい部分に論点があるのではなく、何よりも「人である」という、単純明快な根幹にナータンの視点が常にあるというそういう作品に感じられました。

一番心に残るのは、ナータンの娘レヒャが、自分を助けてくれた命の恩人の神殿騎士を「天使」だというのに対して、「お前が助かったのは奇跡だ。でもその奇跡は人が起こしてくれたものだよ。天使という特別な奇跡じゃない」と諭すところ。
人は手の届かない「特別」に奇跡を求めがちだが、ナータンは「目の前にある事実の奇跡をちゃんと見なさい」と言ってるのだと思うのです。

お話が進むと、どの宗教が一番偉いか・・・とナータンは問われます。
「三つの指輪」の物語を元に切り抜けるナータン。これは子供用に 『賢者ナータンと子どもたち』というお話になっているようです。
ラストが大団円なので、見ていてもとても清々しい。
今はまだありえない事なんだろうけれど、こうであってほしい結末でした。
このお話が、200年以上も前に書かれたなんて・・ホント、びっくりポンです。

そして、演出も面白かったです。
中央に四角く舞台が設けられており、そこが「お話の盤」なんですね。
役者さんはその舞台に登るとスムーズな演技を始めます。盤に乗っていないときは生きた登場人物ではなく、将棋やゲームの駒のような無機質な動きでした。

ナータンはもちろん大好きできたが、個人的にシッタが妙に好きでしたね(笑)

ナータンの写真アップされてました^^
こちらをどうぞ → 



翌日に見た『ルルドの奇跡』。
これはフランスの田舎で起きた奇跡の物語。
このお話が好きで、舞台があると聞いて前回2008年10月ルルドの奇跡参照)も飛びついたのでありますが、今回も飛びつきました(笑)
主人公ベルナデットには、前回同様多恵ちゃんが。神父様は宝田さんからきっしぃに!

物語はルルドで起きた本当の奇跡をミュージカルにしたもの。
前日にナータンを見ていたせいか、ベルナデットの目の前に現れた「美しい人」は、ベルナデットがそのまま受け入れるべき現実だったんだなと。マリア様という特別な存在ではなく、ありのままの奇跡。そのままを受け入れられるからこそ、ベルナデットにだけ「美しい人」が見えたのではないかと。

余談ですが、美しい人の特徴に「青い帯」とあって、「青衣の女人だ!」とか思った人はお水取り病です。

さて、話を戻して。。。
ルルドの奇跡。果たして本当の奇跡はどこにあったのか。
ベルナデットがマリア様に会ったこと?
泉の水で病気が治ったこと?
死したベルデナットの遺体が腐らずにあったこと?
どれも違うと思うんです。
きっと、信じる力、祈る力。それこそが奇跡なのではないでしょうか。
ベルナデットは死の直前まで祈っていたそうです。
そしてその祈りは、今もなおルルドを訪れる人たちに受け継がれ共にある。

まったくの余談2ですが、我らがきっしぃは神父様でした。
黒の衣装で、裾がふわっとしてるんです。
・・・が。。。なんか、クルっと裾を翻して歩く様は。。。銃士に見える^^;
なんで?神父様の衣装なのに銃士がかぶるんだーーー(笑)
きっしぃの体躯の良さに、どうやら脳内変換しちゃうようです。
三銃士観たい。。。



この二つのお芝居を見る前日、3月10日に、「東大寺二月堂お水取り」の講義を聞きに行ってました。

不退の行法と言われるこの修二会は、3回の中断の危機を乗り越えて、実忠和尚が初めて行った天平勝宝4年(752)から1264回、一度の中断もなく続けられている行法です。
この祈りは最初に書いたように、一年の穢を悔過するものですが、3回目の中断の危機は太平洋戦争でした。
攻撃の目標とならぬよう、目張りをして満行間近の韃靼を迎えたと「東大寺修二会 14日 結願」で書きました。



憎しみを乗り越えて、受け入れるナータンの生き方。
特別な存在として生きることを嫌い、祈り続けたベルナデット。
個人の救いではなく、すべての過ちを悔過する修二会の行法。

25日から薬師寺さんの修二会が一七日(ひとなのか)ございます。

今年の3月は、今まで以上に「祈り」について「奇跡」についてご縁がある気がします。















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