群馬・邑楽郡明和町川俣 川俣事件記念碑
1900、2、13足尾銅山の操業停止を求める渡良瀬川流域の農民およそ
2500名は渡良瀬町(現:館林市)に集結した。東京への押し出し(請願)
を決行するためです。
利根川、川俣の渡しへ向かう途中佐貫村(現:明和町)川俣の上宿橋
(邑楽用水路)にさしかかったところで、待ち受けていた300余名の
警官、憲兵隊と衝突し、多くの犠牲者を出した。これが川俣事件です。
この事件に対する政府の措置に失望した田中正造は、貴族院議員を辞職し
天皇への直訴を敢行した。以後足尾銅山の鉱毒問題は谷中村(廃村)の
渡良瀬遊水池化反対闘争へと進みます~
国道122号線を館林から羽生方面に進んでいたら「川俣事件衝突の地」の
標識が目に入り急遽訪れました。
(写真の田中正造生家等は現地とは異なります)