埼玉・小鹿野町 こども歌舞伎(昭和50年埼玉県指定文化財)
今から、約2百数十年前の江戸時代中頃に始められました。
文化・文政期に活躍した初代、板東彦五郎が一座を組織し、
明治、大正に秩父地域の地芝居最盛期を築きました。
秩父地方はもとより、群馬県まで興行を行っていました。
昭和に入り、芝居も大きく変化し、映画やテレビの影響を
受け、昭和の30年代以降衰退の時期を迎えました。
その後、民俗文化財保護の気運が高まり、地芝居を続けて
きた人達が、昭和48年に歌舞伎保存会が結成されました。
郷土の芸能祭りをはじめ、年に6~7回定期上演されています。
衣装、かつら、大道具もほぼ自前でこなし、地芝居のデパート
と言われています。
また、県内外の文化交流にも活躍・80ヶ所の公演をしました。
(小鹿野子ども歌舞伎資料より)
今から、約2百数十年前の江戸時代中頃に始められました。
文化・文政期に活躍した初代、板東彦五郎が一座を組織し、
明治、大正に秩父地域の地芝居最盛期を築きました。
秩父地方はもとより、群馬県まで興行を行っていました。
昭和に入り、芝居も大きく変化し、映画やテレビの影響を
受け、昭和の30年代以降衰退の時期を迎えました。
その後、民俗文化財保護の気運が高まり、地芝居を続けて
きた人達が、昭和48年に歌舞伎保存会が結成されました。
郷土の芸能祭りをはじめ、年に6~7回定期上演されています。
衣装、かつら、大道具もほぼ自前でこなし、地芝居のデパート
と言われています。
また、県内外の文化交流にも活躍・80ヶ所の公演をしました。
(小鹿野子ども歌舞伎資料より)