喜多院 埼玉・川越市小仙波 「国指定文化財」
寛永9年(1932)天海僧正が創建。境内は寛永15年に大火に襲われ
そのほとんどが消失しました。唯一残ったのは「山門」のみです。
大火の再建後、江戸城・紅葉山(皇居)の別殿を移築して
客殿・書院等に当てられました。徳川家光誕生の間や春日局
の化粧の間は今も現存して見ることができます。
境内には、日本三大五百羅漢の一つに数えられる。天明5年から
約50年間にわたり建立されたと言われます。全部で538体鎮座
しています。
どろぼう橋は
どろぼうが神領内なので捕まらないことを知っていながら捕まりました。
厄除元三大師に心から罪を許してもらうよう祈り、改心して、善人になりました。
寺では、幕府に寺社奉行に願い出て無罪放免となり、その後まじめに働き
一生を過ごしました。それ以来「どろぼう橋」と呼ばれています。
川越の街は、歴史のある街なので楽しみがいっぱいです。
寛永9年(1932)天海僧正が創建。境内は寛永15年に大火に襲われ
そのほとんどが消失しました。唯一残ったのは「山門」のみです。
大火の再建後、江戸城・紅葉山(皇居)の別殿を移築して
客殿・書院等に当てられました。徳川家光誕生の間や春日局
の化粧の間は今も現存して見ることができます。
境内には、日本三大五百羅漢の一つに数えられる。天明5年から
約50年間にわたり建立されたと言われます。全部で538体鎮座
しています。
どろぼう橋は
どろぼうが神領内なので捕まらないことを知っていながら捕まりました。
厄除元三大師に心から罪を許してもらうよう祈り、改心して、善人になりました。
寺では、幕府に寺社奉行に願い出て無罪放免となり、その後まじめに働き
一生を過ごしました。それ以来「どろぼう橋」と呼ばれています。
川越の街は、歴史のある街なので楽しみがいっぱいです。